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『はぐれんぼう』 青山七恵

社会の片隅に追いやられがちな繊細さんがゆるりと自分探しなどをしていくお話か、と思いきや、予測を裏切るパンチの効いた冒険譚だ。

押しが弱く存在感も薄い主人公優子は、「あさりクリーニング」でアルバイトとして働いている。
職場ではおしゃべりで押しの強い先輩社員、馬宵さんの話相手になり、家では地味な自炊をしながら、淡々と過ごす毎日。

そんなある日優子は馬宵さんから、「はぐれんぼちゃん」たちを家に持ち帰ってくれ、と命じられる。
「はぐれんぼ」とは、クリーニングが済んだものの依頼主が引き取りに来ず、店の預かり品となっている衣類のこと。
はぐれんぼは店から倉庫に送られ保管されているのだが、倉庫に保管しきれなくなったということで店に送り返されてきたのだ。

はぐれんぼの詰まった箱を持ち帰った優子はその夜、奇妙な夢を見る。自分がはぐれんぼの一つとなり、持ち主の体に着られている夢だ。
そして目覚めると、優子は自分がいつの間にか、持ち帰ったはぐれんぼちゃん達を着込んでいることに気がつく。

はぐれんぼに導かれるように外に出かけた優子は、同じく預かり品の衣類を着込んだ美男子「ユザさん」と出会う。
倉庫を目指しているところだというユザさんから一緒に行こうと誘われ、彼に同行することにする優子。その後、同じように「あさりクリーニング」の店員で、預かり品を着込んでしまった者達が二人の前に現れ、合流していく。

正しく丁寧だけれど取り付く島のない雰囲気を醸すユザさん、人からの視線を恐怖するあまり腰が曲がるほど下を向いているキヨさん、そしてたくましく現金な夫婦者のアンヌさんとタローさん。
優子と馬宵さんも含め、どの人物も一見個性的だが、実はわりとよくいるタイプだ。読みながらこの人物はあの人に似てるな、または自分に似てるな、と思うことがあるかもしれない。

さて、面白くなるのはここからだ。
一行が目的地にたどり着くと、倉庫だったそこはなぜかスーパー銭湯になっている。

唐突に出現するクリーミーカラーの快適空間。
そこにいる人々は、客らしき人もスタッフらしき人も、皆一様に弛緩したようなリラックス状態にある。
異空間のようなそこに絡め取られていく優子たち。桃源郷のような場所なのに、とても邪悪で薄気味悪い。

何時までに何をして、どこに行かなくてはいけない、という縛りがないことがこんなに気楽なものだったとは、これも発見だ。ここでは、目覚めたらその都度「昨日」の続きの「今日」が始まるのではなく、どこにもつながらないただの「今日」が永遠にポコポコ湧き出てくる。

建物全体が催眠にかかっているようなこの施設で、従業員として食堂で働きながら、朝晩や月日の感覚もあやふやとなり、「なめらかでリラックスし」た生活を送り始めた優子。
だが彼女は、そこに何か正しくないものが潜んでいることに気づき、そして彼女は行動を起こす。

白に近いクリーム色の服の謎、地下に集められた子供達、ランドリーバッグの中にあったあるもの、そして。。。
怒涛の展開に引き込まれ、後半は一気読み必至だ。

細かいところが具体的でありさえすれば、ぜんたいとしては嘘のような話であっても、ひとはちゃんと信じるものなんです。
ここにあるのは人間のずるさと恥ずかしさの堆積です。この施設ではそれをエネルギーとして再活用してるんですよ。サステイナブルな、循環型の施設です。

ある人物の言葉が、邪悪ながら鋭く真実を突く。

優子が立ち向かう相手は一体何なのか。
彼女の無我夢中の抵抗が彼女自身に気づかせることとは何か。そして、優子が諦めなかったことでもたらされた変化とは。

あえて言葉にはしなかったし、これまでちゃんと考えて認めようとしたこともなかったけれど、私はずっと、内心、自分の、何のとりえも将来の展望もない生活が恥ずかしく、知らんぷりをして逃げたいと思っていたのかもしれない。だからそういうもののぜんぶを、いまここで、遠ざけられていることにほっとしているのだ。

弱々しい我らがヒロインがパワフルに変わっていく姿は清々しい。


もしいま、あの素敵なカーディガンをこっそり焼却炉から救い出し、自宅に保管し続けてくれていた誰かが「とっておきました」と目の前に現れたら、わたしは涙を流して喜ぶだろう。

優子の、捨ててしまった赤いカーディガンの話が心に残る。
誰もが心の中に、それぞれの赤いカーディガンを持っているだろう。それ自体は取り戻しようがなくても、それを愛しく思う心を捨ててしまうか持ち続けるかは、大きな違いかもしれない。
そんなことを思う。

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