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“The Swimmer” John Cheever

カーヴァー、ブローティガン、アップダイク•・・。少し昔のアメリカの小説家が、全般的に好きである。
今回はそんな私のお気に入りのアメリカ人作家達の一人、ジョン・チーヴァーの、素晴らしい短編小説を一つ紹介したい。
『泳ぐ人』という題名で翻訳もあり、映画化もされている作品だ。

*****

真夏のある日曜日。昼過ぎの高級住宅街。
ネッドは友人宅のプールサイドでくつろいでいる。
もう若くはないもののまだ引き締まった若さを保っている身体。身のこなしに纏う快活さ。ネッドは、例えるならば「夏の日の終わりの数時間」のような男らしい。

ジンを片手にネッドは、8マイル南にある自宅のことを思い浮かべる。4人の娘たちはランチを終えて今頃テニスをしているかもしれない。
その時ふとネッドの頭に、家々のプールを泳ぎ継いで家まで帰るという考えが浮かんだ。

He seemed to see, with a cartographer’s eye, that string of swimming pools, that quasi-subterranean stream that curved across the country.••••••he would have named the stream Lucinda after his wife.

まるで地図を作製するように、彼にはプールの川が見える気がした、曲がりくねりながら国を横断する地下水流めいた川が。・・・彼はその水流を、妻の名を取ってルシンダと名付けた。(※ヨンデラ訳)

ルシンダ川を家まで泳ぐなんて、今日のような美しい夏の日にうってつけではないか。
ネッドはプールの端まで泳いで芝生にあがり、何処へ行くのと問う妻のルシンダに対して泳いで家に帰ると答えると、芝生を突っ切って歩き出す。

隣のグラハム家、そしてその隣のハマー家、、、知人たちの豪邸のプールを、時に留守のところを、時にパーティー中の主人たちの歓迎をかいくぐりながら、ネッドは渡り泳いで行く。
夏の暑い日差し。笑いさざめく人々。まだまだ若い肉体にみなぎる力。ネッドは軽やかにプールを泳ぎ芝生を超えて。。。

しかしそこに徐々に、奇妙な陰りが見え始めるのだ。
数件目の家はなぜか無人で、パーティーが終わった直後のように見えるのだが、そこで空模様が急に変わり、ネッドは無人のプールで突然の嵐に見舞われてしまう。
避難したあずまやで、暴風が吹き散らす紅葉した落ち葉を見たネッドは、秋の気配にそこはかとない悲しみを感じる。

次のリンドリー家では芝生が伸び放題になっており、次のウェルチャー家ではプールから水が抜かれ、売り家のサインが出されている。ウェルチャー家からのディナーの誘いを断ったのはつい先週あたりだった気がするのだが。。。

ルシンダ川を半分ほど来たところには友人である老ハロラン夫妻の家がある。ネッドが現れた時、ハロラン氏はプールから落ち葉を掬い取っており、夫人は新聞を読んでいた。夫人がネッドに声をかける。

We’ve been terribly sorry to hear about your misfortunes, Neddy.

お気の毒に、大変な不運だったそうね、ネッド。

意味がわからずにいるネッドだが、夫人が言うには、ネッドは家を売り、娘たちにも何か良からぬことがあったらしい。

“ I don’t recall having sold the house,” Ned said, “and the girls are at home.”
“ Yes,”  Mrs.Halloran sighed.  “Yes...” Her voice filled the air with an unseasonable melancholy and Ned spoke briskly.  “ Thank you for the swim.”

「家を売った記憶はありませんよ。」ネッドは言った。「それに娘たちは家にいます。」
「そうね。」ハロラン夫人はため息を吐く。「そうね。。。」彼女の声にはこの季節に似合わない物悲しさが満ちており、ネッドは快活に言った。
「泳がせて下さりありがとうございます。」

誰かが認識違いをしているのか。ネッドの記憶がおかしくなっているのか。ネッドの目には本当に現実が映っているのか。
読み進むほど、ざわざわとした不安が高まっていく。

プールの水流を進みながら、身体が疲れ、強い寒気を感じ始めるネッド。
周りでは木から葉が落ちている。
そして物語は、寒々しく凍りつくようなラストへ向かうのだ。

元愛人の家で彼女に冷たくあしらわれ、ヘトヘトになってプールから上がると、夜気の中に秋の花であるマリーゴールドの匂いが漂っている。夜空にも秋の星座を見たネッドは泣き始める。
混乱し疲れ切ってどうにか自宅にたどり着いたネッドだが、家には人の気配がない。
雨樋が壊れている。
家の扉は閉め切られている。
帰ってきた我が家は、空き家だった。。。

*****


なんとも落ち着かない気分にさせられる作品である。
どこでおかしくなり始めたのか気付かぬうちに引き返せない暗闇にはまりこんでいく怖さと共に、富や若さや人生の輝きが、両手から砂がこぼれ落ちていくように消えてしまうという、切実な恐ろしさが骨身に染みる。
完成された上品な文章と、ホラーよりもぞっとする怖さは、何度読んでも100%の満足感だ。ぜひ読んでみてほしい。
映画も、有名ではないものの評価が高いらしいので、一度観てみたいと思っている。