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『雲』 エリック・マコーマック

『雲』エリック・マコーマック(柴田元幸訳、東京創元社、2019年)

以下、ネタバレだらけです。

しみの話

 しわは、年をとるとともに、その人の顔の表情のくせによって作られるのだろう。よく怒っていた人は、額に怒りじわができて、よく笑っていた人は、頬に笑いじわができる。そういう意味で、しわはその人が生のこなし方、振舞い方によって決まってくるといえる。木が日当たりを考えて枝を伸ばし、一本いっぽん違う形を持つのと似ているかも知れない。それらは、一つの生の刻印であり、意識的か無意識的かにかかわらず、生物無生物を問わず、全てのものが持っている振る舞いの痕跡だといえる。

 しみはどうか。それは振る舞い方に委ねられてはいない。僕は、腕の内側に、生まれた時からコーヒーじみがある。それは、出産の過程でできたものなのだろう、僕の生き方に関わることなく、それはある。そして、それはしわや木の節のように長い時間をかけてできるものではない。あるか、ないかのどちらかであり、中間はない。しわの形成には意味はない。同時にしわはとことん無意味な図象だ。そのような形成と形状の無意味性はなんだか、不気味な感じがする。

 コーヒーをこぼした時にできるしみは、どうだろうか。まっさらなシャツにコーヒーをこぼす。こぼした部分を中心に、少しづつ周りに浸透していき、どこかでその浸透が止まる。コーヒーじみとは違い、コーヒーのしみは、グラデーションをなす。でもそれはしわとは違い、なんだか不気味な浸透で、白さの中心に穿たれたそのブラックホールはどこかに繋がっているようにも思える。それは探検家たちが夢見た未知の大陸のように見えるかも知れない。形成と形状の無意味性が僕たちを惹きつけ、恐れさせる。子供のころ、夜眠れず、天井のしみをじっと見つめていると、そのしみが何か恐ろしいものに見えてくるといったことは誰もが経験しただろう。しわが、生のふるまいの刻印として、完全な有意味性の世界に属しているのに対して、しみは無意味性の世界に属している。僕らはときに、その無意味性ゆえに、しみに惹かれ、魅せられ、その世界にとらわれる。

<しみ>の小説

エリック・マコーマックの『雲』は<しみ>の小説だ。語り手のハリーが出張先のメキシコで入った古書店には、しみがついた古本が並んでいる。

 本によっては傷みも著しく、紙魚(しみ)の巣があちこちに出来ている。何か齧歯類に齧られたように見える本もあった。(10)

 ハリーが惹かれるある一冊の本にも「あちこちに白黴と湿気の染みがついている」(10)。そして、その本に書かれた奇譚は、雲という空の染みが鏡となって大地をうつすというものだ。ちなみに、ハリーがこの本を手に取ることになったのは、その奇譚が起きた場所が、ハリーの個人的な記憶にまつわる場所だったからであるのだが、その場所がハリーの心の中に<しみ>として染み付いていたということは言うまでもない。

 その一冊の古書が物語を駆動させる。それはハリーが幼いころに経験した「天井のしみ」と同じように、ハリーを惹きつける。

 その夜私はベッドに横たわり、天井の湿ったしみと睨めっこしていた。今でも幾晩も私はそれらのしみを、冒険物語で読む熱帯の島々だと想像していた。(中略)いつの日か、大きくなったら、そういう楽園のような場所で暮らすんだ、そう私は考えていた。(中略)
 けれどその晩に限って、しみはどこまでもトールゲートのしみでしかなく、何か致死的なきのこのように闇のなかで脈打っていた。結局私は体を横に向け、目をぎゅっと閉じて、意志の力で自分を眠りに追い込むしかなかった。(39)

 <しみ>は、魅惑するものから、恐ろしいものに変わる。それは、<しみ>が無意味であるからだ。<しみ>は解釈の可能性に開かれている。夜眠れず、何かを恐れているときに見る天井のしみは口が裂けた女の顔に見える。昼、恋人とともにみる、空のしみである雲は、幸せなハートの形に見える。それは人間心理の必然で、ロールシャッハテストが示す通りだ。

 恋人の腕を夢想するハリーにとっては、しみは二人を見守るものとなる。

 私は毎晩寝床で、彼女が私の両腕に抱かれて横たわるという筋書きを無数に想像した。運命によって引き合わされた恋人同士。天井の湿ったしみの下、彼女は私のあらゆる官能的夢想の中心を成していた。(49)

 物語が進むにつれて、ハリーが手にした一冊の古書も、魅惑するものから恐ろしいものに変っていく。

<しみ>のバリエーション 島と刺青

 ハリーは物語全編を通して、多くの場所を旅する(それはこの物語の大きな魅力だ)。彼が一つの場所にとどまることを知らないのは、常識的に解釈すれば彼の未熟さと堪え性のなさだといえるだろうが、物語が<しみ>という要素によって駆動されてきたことを考えるならば、彼の多動癖は場所に染み付いた<しみ>、そしてその<しみ>が自らに染み込んで行くことへの抵抗だといえるだろう。だが、<しみ>はどこにでもあらわれ、彼を逃さない。次のような描写は新たな土地でも<しみ>が待ち構えていることを示唆している。

 三日後、雲の高い柱が遠くの水平線に見えてきた。じきに柱の下に小さなしみが見えてきて、やがてそれが山の輪郭になった。さらに接近すると、ついにはその山の下に広がる島の岸や森が見えてきた。呪われた島(イスラ・ペルディーダ)(176)

 ここでは、かなり直裁に<しみ>が呪いに直結している。新天地にたどり着く前から、その相貌に語り手であるハリーは<しみ>を見つけ出してしまうのだ。オルーバという島の出来事もまた<しみ>的なもので溢れているといえよう。毎度のごとく、ハリーは島に<しみ>の形を見出し、島にすむ女の話をきく。

 前の夜に水平線に浮かぶしみと見えたものが、島であることがわかった。そばでロープを巻いている船員に、私はどうにか吐きもせず、目的地はもう近いのかと訊ねた。「ええ、もうじきです」と相手は言った。「あれがオルーバです、まっすぐ前の。あそこの女たちは刺青をしていて足も頑丈なんです」(287)

 ここで出てくる刺青というのも<しみ>の一種だとは言えないだろうか。もちろん刺青をしている本人たちからしたら、それは何かの証であり、大きな意味をもつ。しかし、無知の僕たちがそれを眺めるとき、その謎めいたイメージは何かを意味していることはわかるものの、それが何かはわからない。刺青の当事者たちにとってどのような意味をもつのかを僕たちが解釈するとき、その解釈にはこちら側の心情が投影される。肌のロールシャッハテスト。僕たちは刺青に向き合うとき形状の無意味性に晒される。

 そして、ハリーはここでも期せずして自らに<しみ>をつけてしまうことになる。ハリーが椰子酒に酔って寝ているところにマラタウィという女が入ってきて一夜をともにする(それは、オルーバの歓待の儀式だという)。そして島を離れる際に、ハリーはマラタウィが義理の兄弟であったことを知るのだ。

 だがもし私が、その行為が起きる前に事実を知っていたなら、どれだけ椰子酒を飲んでいてもあんな真似をする気にはならなかっただろう。そしていまはもう知っている。今後ほかに誰一人知らずに終わるとしても、私はその事実を抱えて生きねばならないのだ。(300〜301)

 たぶんハリーはその事実を、女の刺青と乱れた寝床に染み付いた体液のしみとともに思い出すのだろう。その映像は彼の脳裏に<しみ>のように染み付いて消えることはない。

<しみ>の連鎖、<しみ>が意味をなすとき

 デュポンというかつての友人に連れてこられた研究所でもハリーは<しみ>を経験する。ハリーは、グリフィンという気の狂った女と(またしても!)図らずも寝てしまったあとに、その女が研究所の飼い猫を八つ裂きにしたことを知らされる。血で染まった地面を見たハリーは何を思っただろう。それは書かれていない。しかし、またしても<しみ>がハリーに染み付いたことは間違いない。ハリーは一人になると、外傷が加えられていないか自らの身体をチェックする。

 何もなし。痛みもないし、手術の痕跡もまったくない。少し二日酔いの気がある以外、研究所に着いたときと気分も変わらなかった。デュポンも言ったとおり、気分が変わらないというのも処置に対する普通の反応なのだが。まぁとにかく、傷跡はなかった。(362)

 そう、外傷はない。しかし、ハリーよ。自分の内側をじっと見るのだ。そこには、何か得体の知れない<しみ>が、血のしみと体液のしみと重なり合いながら存在してはいないか

 ハリーがそのことに気づくのは物語の最後だ。ハリーを惹きつけ、この物語の起点となっていた古書の著者の生涯が明らかにされる。この著者もまた、猫が惨殺されたように、自らの妻に切り刻まれ、惨殺されていた。そこで、一つの物語の円環は閉じたかに見える。しかし、ハリーの杞憂は消えない。グリフィンがまた自分を求めて、やってくるのではないかという思いがハリーの胸に染み付いて消えないのだ。

 いまにもふたたび息をしよう、気を緩めようとしたところで、突然あの衣擦れの音、忍び笑いの音がすぐうしろで聞こえた。後頭部の髪の毛が逆立った。ここでは身をよじって逃げる余地も、ふり返って斧で打ちかかる余地もない。私は恐怖に凍りついたウサギのように背を丸め、肉食獣が襲ってくるのを待った。
 何も起こらなかった。(448)

 彼の身に染み付いた<しみ>。それらは消え失せることはないだろう。それらは随時<しみ>のロールシャッハテストをハリーに強いてくる。それはハリーの精神状態に依存する。ハリーも気づいている。

 落着いて客観的でいられるときは、それで済む。(451)

 しかし、精神が<しみ>の不気味さにとらわれ、<しみ>の歯車が回りだすと、それは過去の<しみ>を巻き込みながら彼にまとわりつく。<しみ>がつくり出す奇妙な図象にとらわれたとき、逃げ道はない。壁の模様が、空の雲が、こぼした水が、煙が、<しみ>になって僕たちにおそいかかる。


 ところで、本書はカバーを外すと、しみのようなデザインになっている。これはいったいなんのしみなんだろうか。


 

 

 


 

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