「普通は」とかナンセンス且つ死語すぎてウケる。
今日はいろいろあってとても疲れたので日々常に感じていることを短く書き落とします。
「女子大学生の脳味噌の中そのまま言語化してみた(2)」です。(もうタイトル覚えてない)
わたしはよく、友達や周りの大人に
「あんたは就職しなさそう」
とか
「普通の人生は歩まなさそう」
と言われます。
普通の人生ってなんだよ。
21世紀、今の世の中「普通は〜」とか「みんなが〜」とか、そういう文言ってナンセンスですよ。ってわたしは常に感じています。
わたしが日本の大学を受験しないことを決めた時、学校の先生に
「うちではそういった前例がないから。」
と、止められました。
前例がなかったら、何がいけないのでしょうか。
もう一つ、わたしの話になりますが、小学生、中学生の時まで、「人と違うのがいい、みんなと一緒はイヤ」という拘りが凄く強い子でした。
マイノリティであることへの優越感を感じていたような気がします。
明確な原因はわかりませんが、昔から周りの大人に「あんたはみんなと違って〜だから、すごいねぇ、」と褒められていたことがあると思います。
みんなと違って、珍しい習い事を始めたり
みんなと違って、なかなかコアなものにハマったり
みんなと違って、学級委員や生徒会長をやり続けたり
みんなと違って、小学生が知らないような職業を将来の夢にしたり
別に演技をしたり、嘘をついたり、自分を偽っていたわけじゃない。それに後悔もしてない。
でも、今は「みんなと違うのがいい」よりも、「どうせみんな違う」「みんなと違って変わっていることが、すごいわけじゃないし、むしろ普通なこと」といったニュアンスで生きてます。
わたしの世代だから余計強く思うことなのかもしれないけど、
「俺なんて普通に大学テキトーに過ごして、なんとか会社に就職して、普通のサラリーマンだよ」
なんて卑下される方もいらっしゃいますが、皮肉とか嫌味抜きで、「普通に大学に通って会社に勤める」という一つの選択肢は、他の人生の選択と同じくらい大変な物だとわたしは思っています。
経験したことないのに偉そうに申しておりますが。笑
この考え方が出てきてから、「自分はみんなと違う選択をしたからすごいんだ、賢いんだ」という、潜在的な傲慢さを、自分でコントロールできるようになりましたし、人と接する時も、「みんなそれぞれすごいなぁ、この人はわたしにはなれないけど、わたしもこの人にはなれないなぁ」みたいな、一種の尊敬心を抱けるようになりました。
海外で暮らしていると「こんなの普通じゃない!」の連続です。日本のシステムや慣習の方がいい(自分が慣れているので)と感じることもあれば、こちらのシステムの方が優れていることもたくさんあります。
日本と、わたしが住んでいる国、以外の第三国のことも知る機会も増え、わたしがずっと20年近く耳にしてきた「普通」の概念って、案外しょぼいものだと気づきました。
もう今日は眠たいので、そこらへんについてはまた後々詳しく自分の学びについてまとめますたぶん。
10行くらいで投稿するつもりだったのに、思ったよりがっつりかいちゃったなぁ。
とにかく、時の流れが速いこれからの時代に「普通」なんてナンセンスなんだ!という話でした。みんな異常でみんな普通なんだもん!!
ここまでお付き合いくださった方がいたら、ありがとうございました。
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