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わたしはいま幸せですと言えるか

夢を見た。

「うん、いま幸せだよ。あのころ思い描いていた将来像とは違うけど。」そう話すわたしに、「そっか、それはよかった。ほんとうによかった。」と彼女が微笑えむ夢を。


ここ数週間、心が塞ぎ込んでいた。
常に睡眠不足だし、仕事だって思い通りに進まない。いつも時間に追われて、イライラして、うまくいかないことに腹を立てている。
もっと、こうしたい。もっと、ああなりたい。
もっともっともっともっと、、、欲求は尽きない。

私は、満たされない思いを抱えたまま過ごす日々の中で突然現れた夢に困惑した。

夢の中のわたしは幸せだったのだ。

幸せかどうかなんて正直言って今まで考えたことがなかった。幸せと言えば、幸せかもしれないし、幸せでないと言えばそうかもしれない。悲観的にものごとを考えがちなわたしはどちらかというと、不幸とまではいかなくとも幸せではない、と言う方がなんとなくしっくりくる。

現に満たされない欲求を持て余してくすぶっている。


現実の私は幸せなのか?


こうふく【幸福】
現在(に至るまで)の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持ちを抱くことも無く、現状が持続してほしいと思うこと(心の状態)
ー新明解国語辞典 第八版


日がな一日ベッドの中で泣き暮らし、暗いトンネルの中を抜け出せない日々を過ごしていたとき、朝が来るのを恐れていた。食事は生命維持のためのものだったし、育てていた観葉植物はいつから枯れているのかもわからなかった。この毎日が、人生が早く過ぎ去って終わってしまえとさえ思っていた。今なら言える。あの頃の私はたしかに不幸だった。安らぎや精神的な充足感はなく、現状が続くなんてまっぴらごめんだった。

でも、今では朝が来るのが待ち遠しい。朝日に照らされた庭の植物が障子に影を落とす、そんな朝の美しい景色を楽しみにしている。安らぎがたしかにそこにある。

わたしが安らぎや精神的な充足感を覚えるとき。
それは心が良きほうに動くときかもしれない。

くるくるかわる我が子の愛くるしい表情を眺めているとき。
日の光が湖面に反射してキラキラと輝きゆらめくのを見たとき。
イヤホンから流れるラフマニノフの音楽で身体中いっぱいに満たされているとき。
いつもよりお出汁が効いた味噌汁を一口のんだとき。

あっという間に過ぎ去っていく宝物のような瞬間を見つけてはいつも心を動かしている。

植物はすくすく大きくなり、太陽、雲のようすも刻一刻と変化する。庭のシルエットが同じになる朝はどんなに望んでも二度と訪れない。

おいしいものをたくさん食べたくてもおなかはいっぱいになるし、美しい瞬間は光とともに移り行き、音楽は時間とともに終わってしまう。だから、この瞬間がずっと続けばと思うのだろう。ずっと続かないからこそ、心が動くその刹那をたくさん拾っては胸にしまっていきたい。儚く美しい一瞬に思いを馳せることができる限り、わたしはいつでも幸せになれる。

夢の中で微笑んでくれたのは、トンネルの中にいた私をよく知る後輩。きっと私は彼女に伝えたかったのだろう。もう大丈夫。幸せだよと。

思い描いていた自分には程遠く、そこはかとない欲望に飲み込まれて満たされない毎日だけれど、たしかに私はいま幸せなようだ。この幸せな日々を過ごしてゆくため、今日も心を良きほうへ傾けていこう。



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