「江戸時代のお茶」実際にあった「茶壷道中」
5月は新茶の季節です。
日本でお茶は、奈良~平安時代にかけて中国から伝わりましたが、定着しませんでした。
その後、鎌倉時代に臨済宗の開祖・栄西が中国からお茶を持ち帰ったそうです。
栄西からもらった茶の種を、明恵(みょうえ)というお坊さんが、現在の京都に伝えたと言われ、これが宇治茶のルーツとされています。
この宇治茶は代表的な高級茶として、江戸時代には将軍家にも献上されていました。
毎年4月から5月ごろ幕府が将軍御用の宇治茶を茶壷に入れて江戸まで運ばせていた行事を「茶壷道中」と言いました。
まず、空の茶壷を江戸から東海道を下って運び、宇治で茶を詰めると、帰りは中山道を上ったんだそうです。
多いときには千人を超える大行列だったようで、その茶壺が通行する際には、大名らも駕籠を降りなければならず、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられたほどで、大きな負担となったともいわれています。