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【西心録】僕が広島に恩返ししたい理由

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▲小学校の時見た漫画に心を揺さぶられた。はだしのゲンだ。1945年8月6日午前8時15分。人類史上原子爆弾が初めて投下された街・広島で戦前から暮らしていたある家族の物語である。戦前戦中戦後、という激動の時代を、かなりきついタッチで描いた漫画は僕の人生を間違いなく動かした。そして広島という街と出会わせてくれた。

▲今年は被爆から75年。75年草木も生えぬと言われた広島の街は、今いくつもの川に囲まれ、緑が生い茂り、フラワーフェスティバル、近年のカープ人気などで人々の笑顔が絶えない街になっている。僕も幾度となく訪れているが自分自身が素になれて、かつ真剣に自分と向き合える場所。行けば知り合いが温かく迎えてくれるし、わざわざ僕のために会いに来てくれるおばちゃんもいる。そんな人たちに僕は心を支えてもらっている。そして僕はこの人たちのために必ず恩返しがしたいと思うようになったが、それよりも前にこんなことを思っていた。

▲小学校の頃見たはだしのゲンでカープを知った僕は「原爆で苦しんだり辛い人を勇気づけよう。カープの選手となって、今はお年寄りかもしれないけど、辛いことを思い出す時間よりも、自分のプレーで喜んでもらう時間を増やしたい」そう心に誓った。小学校3年生ぐらいの男の子が生まれて初めて持った”理念”だった。これは家族にも幼馴染にも言ったことがない。そして広島の知り合いにも言ったこともない。それは広島で言えるほど自分に自信がなかったからだ。被爆した人を勇気づけたい。その言葉が広島で持つ意味を僕は誰よりも知っているし、とてつもなく重いものだ。

▲はだしのゲンで野球、そしてカープ、広島を知った僕はカープファンになり、そして広島の地に行くことが何よりの夢に変わった。歴代の名選手の言葉を知り、衣笠さんや山本浩二さんのように立派な大人になろうと思った。どんなことをされてもカープの選手はここでこんなことはしないと、間違った道へ進むことを決して選ばなかった。小学校・中学校といじめを受けた時父親は僕に炎のストッパー津田の存在を教えてくれた。彼の座右の銘・弱気は最大の敵という言葉が、カープファンというだけでいじめられ、挙句の果てには「カープファンだからいじめられるんだよ?」と先生に言われた時の自分の心を救ってくれた。大げさかもしれないが、被爆後の広島を生きた1人1人が僕を作り上げ、幾度となく自殺を考えた自分を救ってくれた。

▲僕は小学校の頃の自分を裏切っていないだろうか、と自問自答する機会が大人になるにつれ増えた。それは純粋に心に持っている理念が全く変わらないからだ。野球を続けているのもそうだ。実は昨年夏体調を崩し、食事の障害からの回復の目標にしたのは「ひろしま国際平和マラソン5kmコース完走」だった。好きなこの街に”戻るため”なら頑張れる。

▲5kmを完走し、広島の街中を歩いた時、間違いなくこの街への感謝と恩返しの気持ちと愛があった。そして原爆ドーム前の川のほとりで夜景を眺めながら素の自分と向き合った時、誰に何と言われようとこの理念を達成すると強く心に決めた。形が変えたとしても「自分が勇気付けたり、辛い記憶ではなく自分の姿で喜んでほしい」という理念は忘れてはならない。たくさん自分を成長させてくれて、心の支えになって、そして命を救ってくれたこの街に恩返しもしたい。いや、必ずするんだ、と。
いつになるか分からないが、僕にとって愛する広島が今よりもずっと笑顔であふれる街になるよう、全力で生きていきたい。

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