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#8生きる意味ではなく、「生きていく意味」

僕はある問いの答えをすごく考えていました。

生きる価値って、生きる意味って。

そもそもの発端は自分自身出口の見えない今から、コントロールできないことを除いた時、自分の生きる道ってロボットでも代用できるようなところなのかなと考えたこと。

まず考えたのは生きるという動詞に意味とか価値とかいう言葉は、日本語として正しいのか。
生きることにそもそも意味があることが違う。価値も違う。
そんなことを考えていました。

友達に相談しても答えが早々出るものではありませんでした。

そこである2人のエピソードを思い出した。ウサインボルトと新庄剛志。
ウサインボルトは陸上100mの世界新記録を作った人。ジャマイカ代表としてゴール後のポーズは有名。
彼が記録について尋ねられた時こう答えたことを記憶しています。
「記録はその場でしか取れない。だから記録が大事。」
少しうろ覚えならすみません。
でも、世界記録だけじゃなく、学校の賞や何かがかかった時というのは同じようなことが言えるんだと思う。

しかし新庄剛志さん、プロ野球やメジャーリーグで活躍された身体能力抜群の外野手です、はこうコメントを残しています。
「記録より記憶に残るプレーを」
これも少しうろ覚えならすみません。
ボルトとはまるで正反対です。しかし新庄さんがこれまでしてきたプレーは印象に残るものばかりです。
オールスターでのホームスチール、槙原の敬遠球をサヨナラヒット、開幕戦で天井から出てくる...
一つとして何かのタイトルを決めるものではありませんでしたが、でもすごい!と思わせてくれるものばかりです。
見てない人はぜひYoutubeで見てほしい。

もう1人、僕の尊敬するジーコは鹿島アントラーズに今年の半ばに復帰されましたが、彼の言葉も印象的です。

上の記事の中に「選手がどう評価されるかはタイトルを取った回数で決まる」というような文があります。結果が大事ということです。

でも僕は思ったんです。

記録も記憶も大事やん、と。
多分記録は自分を守ったり、その時の達成感がモチベーションになったりと、自分の心も守ると思うんです。
小さかろうが、大きかろうが、何かをしたという記録は決して消えるものではありません。

でも記憶は記録ではないから万人に知れ渡るものではないかな、と。
でもその代わり、思い出や楽しかったこととして充実している時が残り、自分自身が生きた証にもなる。

どっちも大事。でも、生きる意味や価値が記憶や記録を残すこととリンクしている、という論はまだ確証めいたものではなかったんです。

そこで思い出したのは「使命」という言葉。
命を使うと書いて、使命。昔お世話になった先生に相談した時に出てきた言葉です。命を使ってやること。したいこと。

それって生きているうちにしたいこと。
それを言葉にすると、夢、だったり、目標だったりするのかな。

そんなことを考えていた時Youtubeに出てきた動画は、吉川晃司が自身のルーツをたどる旅。実は彼の実の親が子供のころ住んでいたのは、原爆ドームの向かい。中島地区という場所です。
原爆投下の1年前、当時広島でも有数の繁華街だった中島地区にあった吉川旅館という旅館を他の人に譲ったこと、疎開で避難していたこと、様々なことが重なり、今吉川晃司さんは生きられていることを改めて知ったそうです。

僕はカープファンです。カープが好きだけど、それは73年前の原子爆弾によって苦しめられた街の人々の姿を描いた漫画で知ったんです。

だからこの苦しみは、努力は、この街にあったことはカープファンとして重く受け止めないといけないし、後世へ引き継いでいかなければいけない。

絶対にやってはいけないことが、この広島と長崎で現実に起きたんだと。

そんな思いはきっと使命なのでしょう。単にやりたいことではなく、やらなくちゃと自然に思えたこと。
だとしたらそれは生きる意味ではなく「生きていく意味」なんだと。
1人も欠けてはいけない。1人の人としてあの惨禍を引継ぎ、その街に生まれたチームを応援し続けるんだと。

生きていく意味は各々が持ち続けられるんだと思う。
自分の人生でやりたいこと、したいこと、それだけではない。
結果も大事、記憶も大事。どっちも大事。

生きる意味や生きる価値をずっと考え続けたけど、
多分人に人生に価値が出るとしたら、それは自分にはわからないところ。
自分でその価値を知ることはないんやろな、と。

だから「生きる価値」なんて存在しないんだ。「生きた価値」が残る。
そして「生きる意味」はもともと間違ってる。自由に決められる「生きていく意味」だけがある。

目の前に何も書かれていないノートがある。
毎日つけている日記。トレーニングのこととかいろんなことを書いている。

僕はまだまだ学ぶことも、知らない新しいこともある。見たことのない景色もある。

生きていく意味は小学校の時に見つけていた。
自分でもびっくりした。
最初は興味の1つが、いつからか「使命」になり「生きていく意味」になった。
胸を張って言える「生きていく意味」

でもそれだけでは楽しくもないし、何も残せない。

けど。
生きていく意味を明確にできた今、僕は生きていく意味を持って歩みつつ、夢をかなえたり、新しいことをして楽しい思い出を残したり、優勝してその時だけしか見えない景色を見るんだという希望にあふれている。

出来ないことがあってもいい。あれっと思うことがあってもいい。

僕は僕だけにしかない、たった一つのものを手に入れたから。

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