バイトで14連敗すると人はどうなるか

何を隠そうこれは僕の体験談です。

たかがバイトだろ?
でもされどバイトなんだと思い知らされました。

バイトに受かることは難しくない。大抵の人はそうです。しかし僕にとっては何よりも難関でした。
でもそのおかげでわかったこともあります。
1つは世間の大学生はこんな辛い思いをして採用活動に勤しんでるということ。そしてそれだけ苦労して合格した先でセクハラとかそういう思いを受けても「耐えろ」とか「気のせい」とか支えてくれる言葉をかけてくれる環境にも、改善する場所にもいないんだな、と。

プロ野球ではその昔のロッテの18連敗、今年はヤクルトの16連敗なんてありましたが、誰にも応援されずに14連敗という、世間からの隔離を受け止めなければいけなかった日々を書き連ねていこうと思います。


①応募してから最初の敗戦まで

応募するにあたって考えたことは以下の点。
まず自分が好きなこと、そして相手の思いを共感できること、にする。
2つ目は今の生活を下げないこと。
3つ目は反社と関わりのあるところを避けること。

僕自身好きなことや共感できることは少ない。だからどうしても誰かと話をしていても、いや話をできる相手が極端に少ない。それをおかしいとは思っていない。なぜならそれをおかしいと思ってしまえば、簡単に自己否定できるから。
自己否定は他人を否定することよりも簡単にできる。しかもそれをしたところで何も生まれない。ただただネガティブの沼にハマるだけだ。

だから好きなことや共感できることで仕事をすることは何より自分に適していると考えた。
共感出来れば集中できる。最近流行りのバイトの不適切な行動をする暇もなくのめり込めると。
お客さんを相手にする仕事ならなおさらだ。困ってる、変えたい、気になった。だから何かを求めていらっしゃる。なら、僕はそこに共感出来ればお客さんを呼び込める。
受かってもいないうちからそんなことを考えた。

2つ目。これは多方面から、は?と言われた。ても話が合わないのだからノーダメージ。
なんでこんなことを考えたか。それはお金持ちを見ていると分かるし、中途半端に稼ぐ大企業の若手社員(幼馴染だが)、売れていない芸能人を見ると分かる。

それぞれに共通しているのは、望む生活を手に入れかけているということだ。いい部屋に住みたい、いい服を着たい、いいものを食べたい。この内のどれかを手に入れている。

人間一度手に入れたものを手放したくない、これは動物全般に言えるかもしれないが、そう思いがちなのだ。ライオンだって餌を手に入れたら夢中で食べる。彼女を手に入れたら離したくない。
手に入れた地位や収入を手放したくない。これがいわゆる既得権益と言うやつ。

話を戻してみよう。いい部屋に住んでいる人が何かしらあって明らかにヤバ目の家に住むかもしれないとなれば、必死で回避策を取ろうとする。
立派なスーツを着ているサラリーマンが、作業服を着て肉体労働をすることをすぐには受け入れはしないだろう。
夕食にステーキや立派なお寿司屋さんに通っているような人が、スーパーの鶏肉を焼いて食べる生活をすぐに受けるだろうか?

これは人として当たり前に考えることなのだ。僕であればいい部屋に住みたい、美味しいものを食べたいという思いはあるが、結果を出してから徐々に受け入れたいと思う。
だけども。
今以下の生活を受けいれるかといえば、答えはNo。
バイトで夜遅くまで働くのもまっとうなやり方かも知れないが、それは今の人生のプランを自分で崩してしまうことになる。一時的であっても、大幅な変化は自分で意図したもの以外は受け入れるべきではない。
今の生活水準を下げれば間違いなく考えることも偏る。

3つ目。これはとてもとてもグレーゾーンなお話。
僕は1つ前のブログで野球をしていると書いた。すると不思議なことに、そういう噂や話をどうしても耳にすることがある。
一方で野球界、スポーツ界問わず一般社会での取締はありがたいことに強くなりつつある。
しかし。
吉本の芸人が知らず知らずに、という例が出てきた場合、後々被害を受けるのは知らず知らずやっていた人だ。特にスポーツに関わってる以上それは避けなければいけない。
当然疑心暗鬼になりながらの検索。

この3つをとなると範囲は限られるが、意外と信用のできる条件がそこそこ出てくる。
僕はいくつかに応募をしました。



最初の面接はとあるスポーツ用品店。
青色を基調にしたお店で、誰もが憧れるようなところ。
少し緊張しつつ、履歴書を手にして面接会場へ向かうが、明らかにバイトを受けにいく人の心境ではなかった。憧れの人に会いに行くような感覚だろうか?

会場では2人の面接官の方とお会いした。
憧れのお店で働いていることもあってすごい人達だなと思いながら話させていただいた。

「本当にこうしてお話出来ただけでもとてもとても光栄です」

そう話して面接を終えた。結果は不合格。
そしてそんなことを言える余裕があったのはここまでだった。

②してみたい!と思ったところが全敗。連敗ストップならず

不合格になった直後から手当たり次第興味のあるところをリストアップしてみた。
本屋、映画館、スポーツ用品店、スポーツジム、時計屋さん…
今思うと時計屋さんには興味はないが、興味があるように思わされていたのだろうか。
それほど精神的には少しいつもとは違ったと、振り返って思う。

求人サイトで応募し、とにかく面接をくり返す。
とあるお店では採用前のテストを全問正解、とある店では1次面接クリア、とあるお店ではこんなに聞くのかというくらいの質問攻め。
普段インタビューの練習(情熱大陸やインタビューに受け答えるという体で人との会話を練習している)をしているおかげで、どんな相手にも冷静に自分の考えを伝えられた。

しかし手帳に書いておいた面接リストには✕が増えていく一方だった。
そして手帳数ページに渡って書いたお店のすべてに✕がついた。

さすがにしんどかった。何せやりたいこと、そして自分の得意が活かせるところで自分自身が認められなかったから。
これは余談だが、あるお店に受からず、後日用があり再度そのお店に行った時に店員が
「ぶっちゃけ〜」「ぶっちゃけ〜」
という言葉遣いをしていた時、「こんな言葉遣いが受かって、俺が受からないのか…」と深く落ち込んだ。

でもこんなこともある、受かる時も来ると信じて、また応募→求人→面接→応募のサイクルを続けていった。

そして好きなラジオ番組のパーソナリティーもこんなことを話していた。
「俺なんともないバイトを9連敗したんだよね」
好きなパーソナリティーが9連敗なら僕もそれくらいするかもしれない!と謎のプラス思考を発揮し、次々と面接を受けていった。


③10連敗する頃に起こった"ある"こと

ある日手帳についた✕の数を数えてみた。
1,2,3,4...
実に9連敗中だった。

好きなパーソナリティーに並んだ!!

そんな謎のプラス思考を発揮していた僕は、10個目以降の面接へ向かった。

「申し訳ないんですが、こちらの身にもなっていただけますか?」
「どの時間帯なら出来ますか?」「いつなら入れますか?」
正直9連敗目ぐらいの面接ではただただ受かればいい、受かってくれしか思っていなかった。
だから正直何を言われても返す言葉もなかった。

当然それでは受からない。
以前していたようないつも通りの対応が出来るように、そして履歴書の書き方も少しずつ工夫を変え、自分という存在が伝わるように努力を重ねた。しかし結果は不合格。

その頃少しずつ変化というものがあった。
1つは金銭面だ。履歴書を書く、と言っても証明写真や履歴書の紙を買い、書き損じればまた新しい紙に…なんてことをしているとものすごい額になる。書き損じの多い僕は、一度お金がなくなって塩とごはんのみの生活をしていたこともある。3食それのみ。
毎日のようにメンタルと体が削られていくのがはっきりと分かった。

2つ目はメンタル面だ。
削られていくメンタルの中身は何なのか。10連敗すると人はどうなるのか。
僕は社会全体にお前はだめ、と烙印を押されている気分になった。そして2度と受かることはないも思った。周りの目から監視され続け、面接を受けようものなら落とされる。ただただお金が消えてなくなるだけ。

本来働くための面接なのに、落とされ続けた挙げ句、アルバイトであっても言葉遣いが出来ていない人にその場を奪われる。本当に死を考え始めた。つまるところ、世の中に必要はないということ。
そしてお金をためてやろうと計画していた人生のプランですら頓挫した。

よかったのは道を外そうとは思わなかったこと。犯罪に手を染めることがなかったこと。
毎日のように線路から飛び降りたり、どうしたら楽に死ねるかだけを考えていた。
そうして応募し続けた残りの件数を処理していく日々が始まった。


④げんを担ぎ、記憶すら飛びかけた14連敗目

心の拠り所にしていた好きなパーソナリティーのバイト連敗記録を更新し、終わりの見えない道をひたすらに歩きつつ自分への評価がどうあれ受け入れなければいけない。
そして責任がないからこそ発せられる「どこでもいいから」という言葉も、徐々に精神を弱めていく原因にもなった。

これは何連敗目か忘れたが、ある外資系企業のお店の面接でわざわざ東京から担当者が来てくれたことがあった。偶然出身校の近くの生まれで様々な共通点があって、話もすごくスムーズにいった。
その中で人生のこととかいろいろ話してくれたのだが、
履歴書のことについて話が及んだ時に意外なことを話してくれた。

「履歴書の経歴の欄があまりにもない人ってその空欄を説明出来れば、その人は目の前のことに続けて取り組んでいたんだなと担当者も理解出来ると思うよ」

この履歴書の空いている白い空欄を説明出来ることというのは立派なことだ、何も考えずにいろんなことに手を出しているよりもよりいい。
そんなことを話してくれた時、自分が今まで純粋に「なりたい」、「出来るようになりたい」と思っていたことがいつかどのタイミングかで相手が理解してくれるかもしれないんだという感動のようなものを覚えた。
それは家族にも、友達にも、練習中に通りがかった人にも、陰口を叩かれ、無責任な言葉しかかけられてこず、ただただ反骨心と強烈な野心で動いてきた自分への1つの、初めての評価のようなものだから。

人は怒られて伸びる、褒められて伸びるなんて言われるけど、その人が喜ぶ評価を与えてやるのが満足や立て直しに必ず役に立つんだな〜と。
僕の場合ちゃんと見ているという評価は、何よりも自分への栄養になった。ほんの少しだけだけど。

僕が10連敗以降で覚えているのはこのあたりだけだ。
毎日のようにげんを担ぎ、面接を受けては同じことの繰り返し。
面接官の表情で落とされるかどうか分かるようにもなってきた。
そのうち誰に対しても疑心暗鬼になった。

しかしとあることが僕を採用に導いてくれた。



⑤やまない雨はなかったが、連敗を止めた理由は意外なことだった

15個目。
興味のあることの1つを扱っているお店。
実はこのお店、以前に断られている。
理由は男だから。女性が働いているようなところではよくあるのだろうか?
男だからだめなのか…とへこんだことを覚えている。

しかしもう一度、という気持ちで面接を受けるべくお店に向かうとすでに採用が決まっていた。

「えっ?????」

履歴書を見ることなく、いつから入れるかを聞かれたので、なぜ採用なのかを聞いてみた。
理由は「ストーカー」だ。
詳しくは書けないが、ストーカーまがいのことを店員が受けていて、丁度そこに男の応募があったから、ボディーガード的な意味合いでの採用!とのこと。

最初の方にこれだけ就活で苦労してセクハラ受けても抜け出せないなんて…みたいなことを書いた。まさか同性のそういう恥ずべき行為によって採用になったとは…


⑥しんどかった連敗を抜けた後

14連敗を抜けたあと、僕は初めての本格的な販売という仕事に就く。何より販売という仕事が好きになった。
普段話せない人がたくさん来るから。

人見知りなのでなかなか話しかけられない。でも話し始めると自分の興味のあることに相手が食いついてくる。
楽しかった。ずーっと話してて、話し過ぎと言われたこともあった(笑)
いつの間にか入って1週間も経ってない僕が店の売上の半分を記録したこともあった。

休憩がほとんどない日もあった。明らかに労働基準法違反だと知り合いにも言われた。
食べる暇もないおかげで体重もかなり減った。
片耳が聞こえなくなることもあった。
夢でも売っていた。

いつからかこの商品をどうやって売っていいのか分からなくなった。
客層に対して明らかに見合わない金額の商品も売らなければいけなかった。
他社製品と比べて1つもメリットがなく、どうしようと思いながら売っていた。
世間では簡単だと思われてるレジは一切出来なかった。どこをどう押して、が全く覚えられない。
しまいにはただで少ない店員同士で嫌われているような感じもあった。

僕は辞めることにした。
このままではダメになると。ちなみにこのとき片耳がストレスで聞こえなくなることもあったが、その時それが
重大なこととは気づかなかった。

店長さんには引き留められた。
ただでさえ採用の時条件を飲んでもらった。
最終的には土日だけでも、数時間だけでも、と。

直接聞いたわけではないが、エリアを取り仕切る人も評価してくれていたらしい。
人生でそんなに評価してくれたことは初めてで嬉しかった。

思いとどまることも考えた。

でも僕は販売はやめようと決意した。


聞こえない時もあった片耳は耳鳴りがたまに起こるようになった。
でも体重は少しずつ回復していった。

14連敗、採用、そして退職。

若い者はやめるのが早いなんて言われる。でもそんなことに構ってられなかった。

一体何だったんだろう。そう思い返すことがある。

僕は「世の中の闇を見る時間だった」と思うことにしてる。
バイトに受からなければ優劣をつけられる。
下の人間と一旦思えば、その人間を自分の支配下に置きたがる。
コントロールできないものを力でコントロールしようとする。
書いてもきりがない。

そんな人の集まりで世の中なんてよくなるわけ無いだろう。

でも僕はそんな人間にはならないようにと強く思った。

バイト14連敗して、どう思ったかを書くつもりはない。
だってしんどいから。あんなにしんどいのかと思うとまたやろうという気には普通はならない。
普通は14連敗なんてないからそういう人の気持ちなんて分かれる人は少ない。

でも、そういう人の気持ちを分かってあげること、見下さないことで何か世の中が変わるような気がしてならない。
そして本当の意味で心の器が大きい人、人間らしい人の母数を増やすために、
いや今の世の中だからその母数を減らさないように、僕らは生きているのかもしれない。


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