逃げるは勝ちだし役に立つ

僕は不思議なことに人に恵まれているのかなと思う瞬間がとてもある。

高卒で、資格も特に持ってなくて、友達が少ない。

これは社会不適合者か落ちこぼれのどちらかに属することになると思う。
なのでそんな僕と話してくれる人が実は〜です、なんてことを後々聞くたびに「えー!!」と驚くということがよくある。

数年前から知り合いの仲の方が実は東大出身だということを知った瞬間に僕はそこでも思わず「すげぇ」と口に出した。

でもこうも思った。「この人意外と普通なんやな」ということ。
東大のイメージはいわゆるガリ勉。勉強、勉強、勉強の毎日で頭がおかしくなって行動にもそれが現れているイメージ。少々偏見が過ぎたかもしれない。

その知り合いは確かに不思議なところはある。勉強も出来る、というよりある分野の知識量はものすごい。でも勉強以外のところでは一般の人に対して思う癖や性格の感じ方とさほど変わらない。
そんな人が僕にアドバイスをくれた時のある一言が今も心に残っている。

「オレ合わないと思ったら逃げるんだよね〜」

東大だからできる所業なのか、逃げれない人がいるだろうが、という声は必ずある。
でも知り合いは子供の頃から一貫して続けてきたらしい。

逃げるという言葉にはとてもマイナスイメージがつく。特に日本では逃げることへの背徳感は大きく、それが罪悪感となって自分を苦しめるときもある。

でも、日本の最高学府である東大を卒業した知り合いが逃げることを一貫して続けてきたのならば、逃げることが人生に与える影響はマイナスよりもプラスの面が大きいのではないかと感じてしまう。

そして逃げることが必要とされる場面が、いや逃げることの大切さが説かれ始めてきたここ数年はそれだけ人に対してのプレッシャーや単純な仕事量(考えたり動いたりする量)が多くなってきた証でもあると思うんです。
簡単に言えば忙しくなってきたということ。

僕の父親は子供の頃の僕にその「忙しい」という言葉を使わないように教えてきた。
それは忙しいという字が「心をなくす」という意味だから。心をなくす状態にしてしまうくらいの状況は避けるべきという考え。

時は流れて2019年5月11日深夜放送のオードリーのオールナイトニッポンの中で、若林正恭さんがこうおっしゃっていた。正確ではないが以下のような内容だったと思う。

「しくじり先生ずっとやってて思うのは、みんな忙しくて忙しくて余裕なくてしくじりを始めてしまう」
(しくじり先生とはテレビ朝日系列でやっている番組。芸能人や元スポーツ選手をゲストに迎え、過去のしくじりを反面教師として学んでもらうという授業形式のバラエティ。)

僕は「逃げること」を自分の中でよしとし、「忙しい状態」を避け続けることにしか成功はないんじゃないかと思うんです。

それは「大変が嫌」だとか「受け入れることを拒否」することとはまた違うのではないかと。
逃げることを選べないということは、状況がどうあれやるという選択肢しか選べないということ。状況がどうあれやる選択肢しか選べない状況下で成功する確率は一体どれだけあるのだろうか。

もっといえば、自分のことを知れてなければ知れてないほど冷静な判断を欠いてしまう。
冷静な判断を欠いた結果、いわゆるしくじりに手を出すようになる。

思い返せば僕も要所要所で「逃げること」を選んできたのかもしれないし、「忙しい状態」を本能的に避けてきたのかもしれない。

でもそういうことは先天的にあるわけでもなく、人との出会いの中で学んできたのだと思う。
人に恵まれているってやっぱりすごいことなのだろうけど、それ以上にこんな僕と話してくれる全ての人に感謝しないとな。

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