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命が動く時間の記録_桑島智輝「我我」感想文

どうも、とりです。発売から2ヶ月ほど経ちましたが桑島智輝さんの写真集「我我」の感想文を書いていきます。

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写真集「我我」のなかでの安達さんは、ひとりの女性であり、母親であり、娘であり、人間である。皆が口を揃えて、安達さんの写真集ではなく桑島さんの写真集だと言うのは、写っている安達さんは女優でもタレントでもないただの存在で、ほとんどの表現が桑島さんに委ねられているからだろう。私がグラビアを好きになり、写真を言葉で表現したいと思ったきっかけが、安達祐実さんの芸能生活30周年を記念して制作された「私生活」という写真集でした。まだお付き合いをされる前に桑島さんが撮った安達さんの写真集。「私生活」は完全に安達さんが主役で、その表現に涙するほど感動したし、本当にいろんな意味で私の人生の軸にある一冊なので、今回その安達さんがどことなく上の空な感じなのがとても新鮮だった。そして、桑島さんが撮りたくなる瞬間と心情がド直球に伝わるところに、もの凄く愛おしさを感じた。私も思う。これは桑島さんの写真集だ。


妊娠中の安達さんの写真が多く撮られている。私は妊娠も結婚も未経験だし、10ヶ月も自分以外の生命を宿して生活する妊婦というものに自分がなれるのだろうかと考えると、不安や恐怖に苛まれて心臓がバクバクしてしまう。私にとってはまだまだ遠い世界だと思いつつも、子どもが生まれるまでの時間は、夫婦が一番夫婦らしく過ごす時間のように思えて、憧れてしまった。

子を身籠もる安達さんは壊れてしまいそうなほど儚く見えるし、夫として見守り支えることしかできない桑島さんの視線が悲しくも不安そうにも感じられる。しかし、今しかない時間をお互いが大切に過ごしている様子から、やっぱり人は何かを愛し、愛するもののために生きているのかもしれないなと考えさせられる。一日一日、過ごす時間はとても儚いもので、落ちた花瓶は割れてしまうし、水とガラスが飛び散り、花の美しさにも傷がついてしまう。本当に、こんな時でもカメラを構えるの?と言ってしまいそうな場面でも、カメラを構え続けて、愛おしい全ての時間を追いかけるように、丁寧に、シャッターが押されている。

可愛い赤ちゃんが生まれた。生命の産声をまた、丁寧に撮られている。

私は、私が生まれる前の両親の話をあまり聞いたことがない。ちょうど私が母のお腹の中にいる頃に、父が他の女性と関係を持ったそうで、謝り続ける父を母は許さなかったそうだ。というのをぼんやり聞いたことがあるだけなのだけれど、その話を思い出してしまい泣いてしまった。一日一日、過ごす時間はとても儚いものなのに。今は私含め、みんな元気でやっているからいいけれど、落ちた花瓶は割れてしまうし、水とガラスが飛び散り、花の美しさにも傷がついてしまった。時間とはそういうものなんだなと。


妊婦さんはこんなにもふくよかになるのかと衝撃だった。安達さんって物凄く華奢なのに、胸が張っていて、もちろんお腹も張っていて、出産後も赤ちゃんのために2倍生きているようなエネルギーの蓄えを感じる。徐々に徐々に、ハツラツとした一人の女性へと戻っていく様子があって、子どもが少し大きくなったことが伺えて、桑島さんの心も安堵と楽観の気持ちが大きくなったように感じる。私もとても、頬が緩んだ。

二つの命を抱えた身体が、一つの命に戻って、もう一つの命もまた、一つの命として立ち上がっている。誰しも、どれほど愛し合っても、一つの命でしかいられないのだけど、その一つの命を大切に記録してくれる存在の力強さその存在がいることで一つの命もまた強くなれるのだと感じました。私も一つの命として立ち上がり22年が経ったのだな。凄いことだよな。

安達祐実さんの写真集「私生活」で、安達さんが「私はカメラの前に立って、生きていることを許されている気がするのです」と言葉を綴られていたけれど、それは女優という職業柄だからという意味ではないと思う。スマートホンにカメラ機能が付いていて、無駄に連写をしたりするけど、その無駄が、二度と取り返せない時間の記録となっているわけで、私も、写真に写り、写真を撮ることで、生きていられているんじゃないかと感じてしまいます。

凄い写真集だけど、ただの私写真。ただの私写真だから、時間のなかを愛を求め生きていることを感じさせるのだろう。実家のアルバムでも、1台前のスマホのカメラロールでもいい。そこに生きた時間が愛おしく残っていたら、生きてきたのだなあと、笑いたくなっちゃうはずだ。

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本当に素敵な写真集で、拙い文章ながらも、感じたことを丁寧に書いてみた。私が「私生活」を見て得た感動は、安達さんの生きる姿だけではなく、桑島さんが安達さんを見つめる視線、二人の関係性に強く惹かれたからかもしれない。

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