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知を持って立ち向かえ

今、わたしは、ガラガラの電車に揺られている。

ガラガラの店。人のいない街。それでも、ちらほらと人の行き交いがあるから、ましか。

数ヶ月前までは、普通にできていた親しい人たちとの会食、都会からふらっと訪れる山間の村、家族の待つ故郷への帰省がなくなった。

スーパーから、小麦粉とトイレットペーパーが消えた。薬局から、消毒液やマスクが消えた。

車窓から、人の少ない町を抜け、大型船のいない港が現れてきた。

数ヶ月前に訪れた時は、大型客船が停泊して、リラックスした表情を浮かべる外国人がデッキチェアに横たわって、日光浴していたのに。

ダメだ。胸が痛い。

目に見えない微細なモノ1つで、世界が数ヶ月で一変した。

目に見えぬソレは、当初は、原因も対処法もまだわからなくて、人々を恐怖に陥れた。

世界中の国々で、人々は右往左往した。ソレは人の行き交いを制限した。

だけど、ソレにかかったとされる人がどんどん増えた。外出を制限された。

毎日、毎日、マスコミは、増加を報道した。わたしたちの恐怖はクライマックスを迎えた。パンデミックだ。

やがて、ソレらは、実は、情報を恣意的に操作して印象操作されたインフォデミックとの指摘もチラホラ出てきた。

何が正しいのか、何がなんだかわからない。だって、経験したことがないんだもの。

コレ、なんか、見たことあるなぁ。

そうだ、10年前のアレだ。原発事故での世相だ。

10年前、わたしは、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えてオロオロしていた、1人の母親だった。

浄水場で、有害な汚染物質が見つかり、行政から乳児のいる家庭にミネラルウォーターが配られるというので、役所に出向いた。

1.5リットルの備蓄水がたった1本が配られた。これでは、1日のミルク用で終わってしまう。

すぐさま、水と西地方の野菜の宅配サービスを頼んだ。

夕方になると、計画停電で、信号機や街灯すら消えて、街の灯りも入らない、暗い室内で、赤ちゃんと2人で残された。

孤独だった。

必死にガラケーやパソコンのインターネットで情報を探した。頻回授乳では通信がおぼつかない。出たばかりのiPhoneに買い替え、情報を貪り食べた。

地域のママの会にたどり着き、検査会社の好意を得て、ガイガーカウンタを使い、みんなで町中を計りまくった。食品も検査した。

表と裏から、あらゆるおびただしいデータが集まった。

データを持参して、行政や議員に陳情した。保育園にも訴えた。

何も変わらなかった。

くしの歯が欠けるように、ママの会にいた家族たちは、引っ越して行った。

2年かけて、わたしたち家族もようやく脱出を決め、母子だけで移住した。

じわじわと人々に忍び寄る、恐怖の影。

インフォデックでなく、科学的なデータもそろってきた。

ソレの致死率は、インフルエンザより低く、亡くなった人は、80代と90代で9割を占めていること。基礎疾患がある人に多いこと。

正しく恐ろ
と、識者は言う。

恐怖とは、対象のあるものへの恐れ。対象のないものへの恐れは不安。

知は武器だ。

知ることは、確実に不安を減らす。そして、次の動きを想像し、備えられる。

知という武器で、わたしたちは戦える。知というカタチのないもので、愛の爆弾すら作れる。

知ることは、生きることだ。知への欲求は、人間の本能であるという。

チラホラと、ソレに対する対応へ抗議のデモがドイツやイタリアで起きているという。

知性の爆弾による勝利の暁はもうすぐかも知れない。









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