一字違うだけで大違い!「され妻」考察

わたくし,つい最近,新しい言葉を覚えました。

「され妻」です。

なに?おされな妻?

と,思ったら,違って,ズバリ言えば,「浮気を夫にされた妻」。

ドッシャー!重たい・・・・・・・。

昨今の芸能人の不貞(浮気とは言わないであえて)問題がスケープゴード的に使われて,民衆のガス抜きでもあるわけですけども。

でも,夫婦間の問題をとやかく外野が言うなんて,野暮ったいなぁ。

不貞が姦通罪だった時代なんて昔でしょ?

一応,オットー先生(弁護士)に確認したら,法律的には不貞は裁かれるそうで・・・・・・。

へぇ~。

「サレ妻」って,された側は被害者なわけだから,子どもがいたら,さらに深刻だよなぁ。

だから,婚姻制度があって,結婚していると,こういう時,法律的に守られるのであって,安心システムだわ!

そう思うのだけども,なんか「サレ妻」って,なんか,「された感があるわたし,かわいそう」とか,自己憐憫ニュアンスを感じてしまうのは,わたしが深読みしすぎるだけなのでしょうか。

そりゃ,法律的に制裁を加えられるべきだとは思うけれど,かわいそうかどうか,という感情にまでどっぷりつかる必要はないんじゃないか?

いや,浸かっていいんですよ。ええ,する方が悪いんだから。

でも,「どっぷりつかったわたしをかわいそうと思って! わたしを認めて! 私を見て!」という,「他者からの評価をもらいたい!」承認欲求を感じてしまうのは,わたしだけなのか。

いや,あなたと言う存在は「され妻」じゃなくても,あなただからすばらしいんだから,「され妻」フラストレーションは,もっと,違う形で出せばいいんでないかい?

なんて,友達には言えないな。

でも,承認欲求をぐいぐい押し付けるような人とは友達にはならないし,いないから,そう言う人とは出会いようがないけど。

四十路を超えて,承認欲求が強いならば,精神発達と生活年齢(実際の年齢)の乖離がありそうだ,と心理職は分析するなぁ。

どうせなら,同じ「され妻」でも「愛され妻」だったら,まだ,かわいい自慢だと思う。

一字違いだけど,大違い。

でも,自分で「愛され妻」って言ってしまうのは,痛いな。

だって,「愛されている自分ってすばらしい」って訳だろうから。そうじゃなくて,「愛されてても愛されてなくてもどっちでもいい。愛されてても愛されてなくても,どっちの自分も愛おしい」と,思えたら,いいんじゃないかな。

自己肯定感は,自給自足では,まかなえないから,やっかいなのだけど(自己は,他人の存在がないと成立しないというパラドックスがあるから)。

そうじゃなくて,ダメな自分でもいけている自分でもどっちの自分も受け入れる「セルフコンパッション」という,新しい心理学の「自己」のとらえ方が好きだ。

心理学的に新しい概念だから,ちょっとまだ,心理学的にはいろいろありそうだけど,すばらしい考え方だと思うな。

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