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文は人なり

ヤバイ! 8月ではないか!
1年の下半期に突入して、2ヶ月経過して、3ヶ月目か!

梅雨明けしないなぁ。初めて作ったジプップロック梅干し、いつ干そう? 子どもの塾の夏期講習どうしよ?

次々とタスクは増えてゆくのに、やる気は反比例する。

なんだかなぁ。

その原因の1つが、4月から通塾していた、ライティング講座の課題だった。

4ヶ月、隔週の講義の間に、毎週2000字の文書を書いて提出する。16回の提出のうち、最後の4回が合格して、ホームページに掲載されればよい打率だとか。

ふーん。そうか。最後の4回で合格すればいいなら、それまでは練習だな。

と、ナメてかかった。

そうしたら、「コンテンツが弱いです」「ひとり語りになってます。読者を意識してください」などのコメントとともに、リジェクト率がうなぎのぼりとなった。

心理学研究者という仕事柄、学術論文を書くことは慣れている。そして、リジェクト(掲載不可)にも慣れている。

普通、学術論文は、論文を学会誌に掲載するレベルか審査する査読がある。

査読者数人の合意により、「修正後掲載」あるいは「修正後査読」などと、目の前に人参をぶら下げられた状態で、投稿者は必死に書く。書く。書く。

そうした査読のある論文は、学位論文に繋がるし、評価も高い。

大学内で発行される紀要に掲載される紀要論文は、査読はほぼなく、学科長の許可だけでオッケー。だから、業績的には、高くない。

だから、わたしたち、研究者たちは、名のある学会誌に掲載されることに、血眼になる。血尿を出してでも、書く。

けれども、何度かの修正をして、最後の最後に落とされる、つまり、リジェクトされることも結構ある。

リジェクトは、論文に対しての掲載不可なのに、自分の能力がないことが自分まるごとを否定された気がして、落ち込む。

論文じゃなくても、文には、その人そのものまではいわないけど、書き手の一部が宿る。

文は、人なり。いや、文の一部は人なりか。

だから、例え、ライティング講座の課題でも、リジェクトが続くと、キツイ。1日くらい落ち込む。

そして、2日目には、また、気を取直して、書き始める。

そうこうしてる内に、最終講座になっていた7月終わり。

やっと最後の合格点に達した。

他の人から見たら、とても簡単なゴールだと思うけれど、子育てしながら、仕事しながら、講義を受けて、課題を書く作業は、案外、しんどかった。

書く作業をナメてはいけない。

それが、わたしのライティング講座受講で得た、実感だ。

読者にとっても、独りよがりの文を読まされることは、案外、キツイ。俺様節の押し付けは、プロ作家、プロライターにだけ許される、特権だろう。

俺様になれない、ポンコツライターのわたしには、この4ヶ月はもがき、苦しく、けれど
生みの苦しみと相反する、文を書ける喜びに満ちていた。

文には間違いなく、その人の意識が現れている。文は、生きている。

そんなことを思った2020年の梅雨明け。




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