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僕と僕の対談 〜感情の蘇生〜①

先日noteでこちらのマガジンを見つけた。


酵母マンさんが愛着障害やアダルトチルドレンを克服するまでの記録と、そのノウハウをまとめたマガジンである。


僕にとっては腑に落ちると共感のオンパレードだった。

全編を通してかなり長い。誰にでも勧めることができるものでは正直ないと思う。

もし興味がある方はマガジンに記載のある「目次」通りに読むことをオススメします。


論理的に克服までの過程や起こった出来事を分析されていて、それを図や画像を交えて展開しているので、僕にはとても読みやすかった。

僕は全て読み終わった。

今も読み返しながらnoteを書いている。

次の連載もとても楽しみにしている。



自分が愛着障害とかアダルトチルドレンと呼ばれるものに該当するという認識はある。

ただ診断では言われていないので僕の感覚である。

酵母マンさんのnoteを読み進め、時系列で自分が経てきた変遷と照らし合わせることができた。

あの頃はここで悩んでいた。

これは僕も経験している。

それぞれに論理があり、自分が聞いてきた言葉や考え、疑問点などがつながって線になり面になる感覚があった。


そこで現在の年末年始のトラブルから来る疲れを楽にすることを目的に、これまでの自分との対話の記録を書き出していこうと思いたった。


もちろん一回では終わらないので、連載のような形になると思う。

そうだ。マガジンにしようかな。


まずはこの2年の変遷について。

この2年は過去の自分を見つめる機会も多かった。

そしてその過去と今は複雑に絡み合っているので、それを解きほぐして行こうとも思う。

どのように進めるのかは今全部決まっていない。

書きながら進めて行こうと思う。


もしよろしければ読んでいただきたい。

そして思ったことがあればコメントや連絡をいただけると、これらの記事を通して自分を掘り込むことがより深くなると思うので是非ご意見頂きたいです。

それでははじめます。

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まずこの2年は僕にとって「もう一度生まれるための時間」だったのだなと思っています。

「生まれ変わる」という、その言葉の本当の意味について少しずつ書いて行こうと思う。


先ほどの酵母マンさんのnoteにおいて、克服のための第一段階として自分の中の「感情」と「理性」の関係修復を行うことが重要である書かれている。


「感情」とは自→他の方向性を持った意思

「理性」とは他→自の方向性を持った意思に対する対処の仕方

と定義されている。


2017年頃までの僕は「自分がどうしたいのかわからない」という状態。

「わからないことがわからない」感覚。


これを少し分解すると、

「やりたいこと(感情)よりも、理性を常に優位な状態」

優位なだけならまだいい。

僕は完全に感情を殺している状態だった。

ではその理性の正体は?と考えてみる

この時の理性は「他人の価値の判断基準を鵜呑みにして作った理性」

簡単に言うと「べき論」だけの世界。

そのべきは自分で作ったのではなく、すべて外部からの影響である。

「理性」自体が他→自への要求の対処(その源泉は自分の内側に存在する)なのに、僕の場合はその理性が外側の他の価値観に依存している。


ここで出てきた「価値」や「依存」などの言葉は後の段階で重要なキーワードになる。


このような僕の状態が酵母マンさんの言う「理性が感情を殺している状態」だと思う。

「こうする“べき”」や「他人に植え付けられた価値観」などの他→自に向けられる要求に対処せず(できず)支配されている状態。

流されるがまま。

でも心の中に不満はある。

なんで周りはわかってくれないんだろう。

そこでまた閉じこもる。

変化ももちろんできず、自分を取り繕う。

そして自己否定を繰り返す。


これを現在だけではなく、過去→現在まで連綿と続けてきている。

そりゃあ生きづらい。

その過程で憎悪や怒りなどを抱えることももちろんある。

でもそれも外に出せず、貯めこんで、たまに爆発して周囲を傷つけたり自分を攻撃したりする。

そしてまた自己嫌悪。

こんな負のループを繰り返していた。


ではこの死んだ感情を蘇生させるにはどうすればいいか。


酵母マンさんは「内なる自分の声に、真摯に耳を傾けること」としている。

僕もこれには同意である。

ここで酵母マンさんは認知行動療法の一つである、ノート療法を有効としています。

内容に関してはこちらを参照。

とにかくこれをこれまで死んだ感情の数だけやる。

過去から現在に至るまで殺してきた全ての感情を成仏させるのである。



僕も2015年ごろまでは臨床心理士のカウンセリングを受けていたので、認知行動療法を行なっていたこともあった。

でも継続はしておらず、一時的に本を読んで、ワークを試す程度。


では僕はどのような方法を取ったのか。

まず僕はとにかく現在に絞って「感情の声を聞く」という練習を続けました。

これまで聞いたことのない感情の声を聞くのはとても難しかった。

というか最初はまるで聞こえない。

なので、まずは食べたいものを食べるという、人間の基本の欲望のところからはじめた。

とにかく自分に問いかける。

そして「したい」という気持ちを軸に物事を考え行動する。

この時、友人の協力の効果もかなりあった。

出かける時も、

「どこに行くか」

「何をしたいか」

「どちらを選ぶか」

といった事を全部僕が決めるようにした。

そんな小さな事を繰り返して、まず現在の自分に「過去を振り返るだけの心の体力」をつけて行った。


仕事や人間関係で悩んでいたのもここに要因があると思っている。

だって感情が死んでいる状態で、理性のみで「やりたい仕事は?」という質問に答えたとして、それが本当に自分の声だと信じられるだろうか?


これを始めたのが2017年の終わり頃。

そこから半年後(2018年5月)に最初の大きな自分の心からの「したい」である、「フリーランスになるためのスキルをつけられる環境に行きたい」という最初の行動を起こすことになる。

だがこの頃はまだ過去まで遡れていない。

なので不十分な「感情の蘇生」だったと思う。

ただ現在に着目することで、最低限自分が何をしたいのかを考えて行動するまでの力を蓄えることはできた。


僕の中では、自分の感情に従って、自発的な行動が出来た「最初の成功体験」である。


そこでも、これまで自分が数多くの感情を殺してきたことによって、たくさんの失敗を重ねる。

そこから多くの試行錯誤を重ね今日まで生きてきた。


次回は環境を変えたあとにぶつかった壁やそれに対してどのように対処したのか。そして仕事を始めるまでを書こうと思う。


読んでいただきありがとうございます。


次回もよろしくお願いします。

読んでいただきありがとうございます。もし気に入っていただけたらサポートをおねがいします。今後の感性を磨くための読書費や学びへの費用とさせていただきます。