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音楽エッセー#17童謡「うぐいす」カルミナ・アレンジ


童謡「うぐいす」カルミナ・アレンジ

1.なつかしくてあたらしくて小さな音楽たち


 カルミナは、これまでにないような音楽を作ることを目指して結成したユニット。歌をさらに探究しようと、この2年は童謡のオリジナル・アレンジに取り組んできた。
 童謡は何年も前に作られて、何世代にも渡って老若男女に歌い継がれている。そして季節ごとの自然や行事、旬の生き物が描写されている。
 この2年、数々の童謡と向き合ううち、季節の移り変わりの自然や生き物のエネルギーと呼応し合いながらたゆまず命の営みを続ける確かさ、生活の幸せや喜びが、歌を通じて流れ込んでくるのを感じた。それが、今から音楽を新しく生みそうとしているカルミナの私たちの情熱と相まって、良い作品作りにつながったように思われる。

 この3月、童謡「雪」に続いて「うぐいす」カルミナ・アレンジを製作したので、その過程を振り返ってみたい。

2.童謡「うぐいす」 作詞:林柳波 作曲:井上武士

 うぐいすと聞くと、「鶯色」と呼ばれる緑色や、鶯餅、「梅に鶯」という風物詩が連想される。たまに都心で鳴き声を聞くと、何だかありがたい気分にもなる。
 童謡「うぐいす」は、作詞は林柳波(1892年(明治25年)ー 1974年(昭和49年)3月27日)。作曲は井上武士1894年 (明治27年) - 1974年 (昭和49年)。
林柳波と井上武士の共同制作では「うぐいす」の他に「うみ」が有名。
歌詞で、ウグイスの鳴き声を「ホウホウ ホケキョ、ホウ ホケキョ」とそのまま描写する歌詞がある。また1番と2番で歌詞が重複しており、とてもシンプルな歌になっている。

3.「うぐいす」カルミナ・アレンジを作ろう

さぁどんな音楽を作ろうか?
どんなアレンジが作り出せる?
さぁここからがイマジン想像の世界。

 展覧会で展示室に足を踏み入れた時に静かに自分に押し寄せてくる雰囲気。その気配が流れ込んでくるのに呼応して、自分の中で膨らむ期待。もし「カルミナ」という画家がいたら、どんなうぐいすの絵を描く?
 二人の力を合わせて、面白いものを作りたい!原曲がシンプルなだけに、たくさん遊べる余地がある。出来上がった曲を聴いて、ドキドキしたり、キュンとしたり、ジーンとするような、これ以上にない魅力的なうぐいすを描いてみたい!

・どんな編曲にしよう?

1.音でうぐいすを描こう!

 魅力的にうぐいすを描きたい。
メロディはいじらない。だからピアノ伴奏に、どれだけ創意工夫をして理想のイメージを描き出せるか、腕を振るうことになる。
絵ならば、イメージを描くとき、油絵、水墨画、ちぎり絵、仕上がりのイメージが変わる。ピアノ伴奏のアレンジでは、音の強弱、曲の速さ、伴奏のパターンの違いで、仕上がりのメロディの印象や歌の全体の印象が変わる。

例えば、和音を1拍ずつ打つような伴奏では、少し堅い感じ。

和音の伴奏

分散和音の伴奏に変えると、柔らかく流れる感じになる。

分散和音の伴奏

音が高いところから低いところへ飛び回るような伴奏にしたら、聴いた人が、うぐいすが飛び回る様子が頭の中に浮かぶかな?

細かく動き回るような伴奏

または、「ホケキョウ」というユニークなメロディをピアノに取り入れたらどうだろう?

ピアノ伴奏で「ホケキョウ」と鳴いてみる


 このように、あらゆる可能性を探りながら、音や和音やリズムを作っては変更して、変更しては作ってを繰り返し、ピアノの伴奏のアレンジの制作を進めていく。

2.音楽と鳥

 西洋音楽史において、鳥は重要なモチーフで、音で鳥を描いた西洋音楽の楽曲はとても多い。どれも素晴らしい曲ばかりだ。

例えば、ベートーヴェン交響曲第6番「田園」第2楽章に、ナイチンゲールとウズラとカッコーの鳴き声が現れる。

シューマン ピアノ曲「森の情景」Op.82 より第7曲「予言の鳥」

ムソルグスキー「展覧会の絵」より第5曲「卵の殻をつけたヒヨコの踊り」

サン・サーンス「動物の謝肉祭」より「白鳥」

 共通する大きな特徴は、速く駆け上がるかと思ったらすぐに素早く下降する、気まぐれで軽やかな素早い音程の跳躍だけど、それぞれ曲によって描かれ方は違う。
 ベートーヴェンが描いた、田園のナイチンゲール、ウズラ、カッコー。懐かしい田園への憧憬が心に豊かに浮かぶ。
シューマンが描いた神秘的な予言の鳥。飛びながら何かを訴えているのだろうか?
ムソルグスキーが描いた殻を付けたヒヨコたち。ピヨピヨうじゃうじゃ(笑)
サンサーンスが描いた白鳥。ひたすら静かでエレガントで美しいー!

 カルミナ・アレンジも負けないように良い曲を作ろう!

3.カルミナ・のんちゃん(加藤希)

そして声。

 笑い声、喘ぎ声、叫び声、うめき声、産声、咳払い、あくび、動物の鳴き声。
声(の音)には、生命の存在感をより強く感じる。正に世界にたった1つの声紋のたった1つの固有の音色であり、そしてたった1つの肉体の響き、そして今を生きるたった1つの生命の音。

のんちゃんはボイスパフォーマーでもあり、口、鼻、頭、喉、胸、体全体を鳴動させていろいろな音を出せる。

 ボイス・パフォーマーZarina Kopyrinaは、ある1つの低音の長い持続の倍音音程上に、声のパフォーマンスを展開してゆく。鳥の囀りや猿の雄叫び、風の音を織り交ぜつつ、長時間歌い続ける。曲を聴くというより、時を忘れて1つの音世界に包み込まれる体験という方が良いかもしれない。

 ボイス・パフォーマンスは、聞き手における音を聴く「姿勢」が刺激されるように感じる。

 鳥の囀りや猿の雄叫び、風の音を聞いていると、いろいろな感情が湧く。なにより「不気味」で、そして「怖い」けれど、すごく「気持ち良い」よ!
原始時代、かつて人間が森に暮らしていた頃、自然災害や野獣は、私たちにとって大きな脅威だったはずだ。だから、原始人はきっと現代人よりも環境音に敏感で、風の音のちょっとした変化から天候の変化を察知したり、動物の鳴き声を聞き分けて、野獣に襲われる危機を察知したり、あるいは季節の移り変わりの変化も察知したりしていたことだろう。
Zarinaのパフォーマンスでのいろいろな「不気味で怖い音」を聴き続けていると、体が心地よく緊張してくる。危機に備えて原始的な本能の記憶が刺激されて、細胞の1つ1つが活性化してワクワクしてくるのかもしれない。

 カルミナ・アレンジで、のんちゃんのボイス・パフォーマンスの才能をどう活かせるか、考えるのが楽しい。これまで「お花がわらった」「ちょうちょう」「雨ふり」「たこのうた」では、ボイス・パフォーマンスで笑い声、風や雨の音を織り交ぜて、既存の童謡から新しい音楽体験を導き出すことができた。のんちゃんの声の「音」の表現によって、聞き手の細胞を活性化させて「聴く」姿勢を敏感にさせたい。素材は童謡だけど、その音楽の聴取体験は、細胞レベルで興奮するような、刺激的な音楽体験にしたい。

 うぐいすは「春告鳥」とも表記する。厳しい冬には、生き物の中には、寒さで命を落とす者が居たかもしれない。生き物にとって試練の冬が終わり、命が一斉に芽吹く春になった。冬から春になったことを告げる、うぐいすの一鳴き。

・カルミナのうぐいすの想像

1.カルミナのうぐいすはどんな色?

カルミナのうぐいすはどんな色?
緑色?明るい緑?深緑?ブルーに近い緑?
創造の世界では、どのようにでも想像するのは自由!

和音は、その中にどんな音程がいくつ含まれているかによって、音色が変わる。

原曲のメロディの構成音を含んだ和音での伴奏

メロディの構成音(ファ・ソ・ラ・ド)と同じ音程から成る和音は、メロディと良く調和して溶け合う。

メロディの構成音以外の音程を足した複雑な和音での伴奏

 一方、メロディの構成音に無い(♮シ・#レ)の音程を付け足した和音で伴奏してみる。メロディと和音がぶつかって不協和音が響き、明るいような暗いような悲しいような響きに変わる。絵に例えるなら、うぐいすを緑色で描いておいて、そこに黄色や青や赤や金色などの色を付け足していくような感じだろうか。

 そして羽の色だけではなく、尾羽の色と形、眼の色、とさか…etc、鳥の体の部位の詳細にも想像を広げる。この際、極彩色の極楽鳥みたいなうぐいすも、ありかも知れない。そうやって、「カルミナのうぐいす」を音で創造してゆく。

レメディオス・バロ 「鳥の創造」 
※この作品の画家(著作者)は、1963年に亡くなっています。
環太平洋パートナーシップ協定の発効日(2018年12月30日)の時点で著作者の没後50年以上経過
しているため、日本においてパブリックドメインの状態にあります。

 次第に曲が少しずつ形になってゆき、うぐいすが少しずつ形をとり始める。
さぁいよいよ次は、鳴き声を想像しよう!

2.早く鳴きたいー!

うぐいすが鳴く!

 ホウ、ホウ、ホケキョウ、ホウホケキョウッ!!勢いよく鳴く。とか。
ホウ…、ホウ…、ホケキョウ、ホウホケキョウ…。優しくそおっと鳴く。とか。

 動物の声帯模写の名手として知られた演芸家、江戸家猫八さんのうぐいすは、指を咥えた口から、甲高く勢いよくハリある一鳴きが飛び出す。
その一声が響き渡ると、辺りが緑深い山に変わり、ひんやりとした空気に包まれているようにも感じる。
この芸は、初代江戸家猫八から二代目から現役の小猫さんまで、五世代に渡って受け継がれている。「ホウ ホケキョウ」の一鳴きを、世代を超えて追求している情熱がすごいし、一方でそれを聴くのを楽しみに待ち続ける、私たち聴衆の情熱もすごい。
ちなみに、日本から持ち込まれたハワイに生息している種は、「ホウ ホケキョウ」と鳴かないらしい。「ホウ ホケキョウ」を聴くことは、世界的に見ても固有な、貴重な音響を体験しているのだなぁと実感する。

 カルミナのうぐいすも、春を迎えて生命の高ぶりに突き動かされ、たっぷりホーーーーーっと助走をつけて、
「鳴きたいっ!鳴きたいっ!鳴くの楽しいーーー!」と大きく朗らかに鳴いて欲しい!

 声は、緑深い山の木々と呼応して、私たちが森に生きていて鳥の声を聞いていた記憶や細胞と呼応して響き合い、聴いた人にじわーっと幸せな気持ち、温かい気持ちが湧いてくると良いなぁ!!

3.みんなに聴いて欲しいー!

 カルミナ・アレンジは、まずは、ふーん?…。へー?…。と頭を空っぽにして音楽に浸って欲しい。耳を澄ませて聴いて欲しい。流れてゆく音楽やハーモニーの移り変わりや、うぐいすの一鳴きに。

面白い?…どう?/うん!面白い!!

…と、なって欲しいけれども(笑)すぐに簡単にそうならなくてもいい。ポケットかどこかにしまって、そのまま忘れてしまってもいい。
でも、いつか何かのタイミングで、心の中の何かと共鳴して、「なんか無性にカルミナの音楽が聴きたいー!」となってくれたら嬉しい。

それでなんと先日、「カルミナのタクさんですよね!」と声を掛けていただいた。
いわくアートイベントのワークショップのBGMを構想していて、ふとカルミナ・ライブの曲がBGMに最適だ!と思い出したんだって。

奇跡か?!(笑)

オーマイガー。嬉しい!

 音楽は再現芸術と言われる。音は立ちのぼり鳴り響いた側からすぐ消滅してしまう。じゃぁ音楽はどこへいくか?人の記憶に残る。人の記憶の中で何度でも再生される。この世に素敵な曲は数々あるけれど、僕らが作った音楽が、その方の心の中に、ふと蘇って再生されたのだ。

奇跡か?!(2回目)

オーマイガー。なんてこった!

 嬉しい。というか、これまでの努力が実ったように思えてホッと力が抜けた。
これまでカルミナは、普段よく聴き慣れた音楽と比べて、ちょっと変わった響きがする音楽も作ったりしていて、これまで、音楽を発信していてもどこに届くか解らないまま心細さがあった。でも、「良い」と言ってくれる人が現れたことで、まるで千人力を得た気分になった。

 カルミナ「ほんわかふわっと和菓子の鳳月堂」のサビの歌詞に、
「もっと届けたい、もっと繋げたい、もっと伝えたい!」とある。
本当に実感した。伝えたい相手が見えたことで、俄然、やる気が湧いて来た。今は、もっとカルミナの音楽を聴いていただける機会を多くしてみたらどうか?と考えている。

ぜひ、僕の音楽に耳を傾けてください。そして、どうぞ音楽を楽しんでください。次回作をお楽しみに!

☆この記事を最後までご覧いただきまして、どうもありがとうございました☆

※この記事のヘッダーの画像は、KaoRu IshiDaさんの作品をお借りしました。
https://www.kaoruishida.com
どうもありがとうございました。

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