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【12日目|後編】サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼ポルトガルの道 Santiago de Compostela 旅の終わりに

おことわり
2023年の5月に巡礼路を歩いた記録を1年後に同日付でアップしています。当時の記録に加筆して旅を振り返ります。

前編はこちら
【12日目|前編】サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼ポルトガルの道 Padrón → Santiago de Compostela 道が終わるところ


最後の巡礼宿

いったん大聖堂前広場を後にし、宿を確保しに行くことにした。

15:20
トロンパス通りRua das Trompasを下ると、ワチャワチャと放課後の子どもたち。品の良さそうな子どもたちと横付けされるお迎えの車。名門校でもあるのだろう。制服の女子が戯れている。芝生の上でふざけている女の子がスカートのままやおら逆立ちを始めたので、ドキリとした。毛糸のデカパンを中に履いているようで安心した。
ガリシアのお嬢様、オテンバか。

そびえ立つ威容 Albergue Seminario Menor

15:50
アルベルゲ・セミナリオ・メノールAlbergue Seminario Menor
Albergue de Peregrinos | Camino de Santiago (alberguesdelcamino.com)
190床もあるアルベルゲだからと余裕をかましていくと、FULLの張り紙が。

FULLの張り紙が。いやな予感がする。
予感じゃなくて満床ですと書いてあるのか。
レセプションに並ぶ人たち。

ダメ元でレセプションに並んでみる。到着の人々から日本人の会話が聞こえる。ポルトガルの道を来て、ここまで一度しか日本人と話をしなかった。挨拶してお互いのルートなど述べ会い、健闘を称え合う。

受付には時間がかかっている。自分の番が来るまでドキドキだった。
空きベッドはあるかと聞いてみると、まるで今思いついたかのように「ちょっとまって」とコンピュータでブッキングをチェックしてくれる。「15分前ならだめだったよ」と言いながら、一つキャンセルがあるところに入れてくれた。

ラッキーだった。

でも待て? 予約できるのかよ。それを先に知っていれば・・・。
基本的に巡礼宿Albergueアルベルゲは1泊しかできない認識であったが、ここは2泊、3泊しても良いのだそうだ。

立派なエントランスホール。
広い廊下、建物も作りがとにかく大きい。ベッドにたどり着くまでに迷った。
今日の寝床

17:00
シャワーを浴び、洗濯をして外に出る。

それぞれのコンポステーラ(巡礼証明)

再び広場に行くと、到着者のピークは過ぎたか、さっき程のハピネスは感じられなかった。一つには日の陰りもあり、また自分のこころの落ち着きもあるのだろう。

さて、巡礼者が着いてするべきことが2つある。一つはもちろんカテドラルのお参りだが、もうひとつは巡礼証明書の取得だろう。

カテドラルを背にして、広場の階段を降りた道を右手に400メートル行くと発行所がある。案内などないので、皆どうしてここを知っているのだろうと疑問に思うくらいだ。

 行ってみると、僕みたいにここでいいのか? と思いながらか巡礼手帳クレデンシャルを握りしめた者たちがいちいち係員に聞いているのが見えた。

僕は入らなっかった。

どういうわけか、ふと最終証明を貰わないということに決めてしまった。

巡礼3日目のMarinhasの宿で受付の際にサンティアゴ巡礼の動機を尋ねられた。皆に聞いていたので手続き上のことだろう。
Curtural(文化的)? Spiritual(信仰)? というので、僕は宗教上の巡礼ではないので"カルチュラル"と答えた。
それからというもの、考えたこともない旅の目的というものが、頭の片隅にいつもいて、落ち着かなかった。
そこではたぶん皆がカルチュラルと答えていたと思う。サンティアゴ巡礼は老若男女、どんな人でも気軽に参加するポップでファッションな行脚なのだ。

ただ、自分はある田舎町での光景が引っかかっていた。チャペルで熱心に祈る40代と見える小柄な女性の姿である。彼女とはその前の街の宿で会っているので、すぐにわかった。たぶん地元、ポルトガル人かガリシア人あたりじゃないかと想像する。
その日、休憩のタイミング違いで、彼女とは抜きつ抜かれつしていた。僕があるチャペルで休んでいると、目が慣れてきたときに、ふと人の存在に気づいた。「あの彼女もいたのか」。長い時間、祈っているようだった。しばらくしてその体勢を解くと、蝋燭を買い、それを灯して出ていった。動機で言えば信仰枠だ。
彼女とはその後、また出会った。家の軒先の階段の一番下でちょこんと座っているところを、僕が追い越した。お互い同じペースで歩いているのを知っているから微笑みあった。彼女の方から「暑いね」と声をかけてくれ、僕は「本当に」と言ってって別れたのだ。

後になって信仰を理由に巡礼を歩いているのかと質問してみればよかったと思ったが、聞かなくても分かりきったことだとも思いなおした。

たまたまそういう風に見えたのかもしれない。彼女も気まぐれで祈っていたのかもしれない。
しかし目的めいたものを、その彼女の小柄な背中に見てしまった後は、自分も影響を受けた。

巡礼者は最初からこのスタンプラリーの行程の果てに、歩いた証明があることを知っている。それをコンポステーラという。
La «Compostella«, acreditación de la peregrinación a la Tumba de Santiago
巡礼のルール、達成条件の記載がクレデンシャルにある。その中でわざわざラテン語で書いてある文言に目を向けよう。

"devotionis affectu, voti vel pietatis causa"
献身、誓い、敬虔の動機によって

自分が立ち止まってしまったのは昨夜読んだこの文言と旅で出会った彼女の態度とのせいだ。そしてコンポステーラを取得しない決断をした。
旅が終わってしまうのが惜しいから、エンディングを留保するというのとはこの場合明確に違うと思う。自分の場合はそれほどの思い入れもなく歩きはじめてしまったことの後ろめたさにこそあるのだ。

しばらくその人々の出入りする様子を見て、巡礼者オフィスを立ち去った。

なので、巡礼者がもらう最後の証明を僕は知らない。

SIGMA dp3 Quattro ƒ/4.5 1/160 50 mm ISO 100

聖ヤコブを訪ねる

さて、続きを話そう。

証明に強い思い入れを持ってないとはいえ、カテドラル訪問には大いに意味があった。

道中、少なくとも一人の女性一人の幽霊に、あなたのコラソン(心)とともにサンティアゴまで行ってきますよと言って来たからだ。軽い気持ちで口から出た言葉だが、信仰のない自分が、カテドラルに堂々と入るための、理由ではあった。

キリスト者とは違う形で、カテドラル内にとどまり、自分の心と向き合い、神について思いを馳せた。

SIGMA dp3 Quattro ƒ/4.5 1/80 50 mm ISO 100

17:30
聖ヤコブの柩は祭壇の地下にあり、誰でも入って見ることができる。銀の箱が安置されている。

大聖堂の中
聖ヤコブの棺が安置されている

死後900年も経って突如としてヨーロッパの辺境で見出されたヤコブの遺体が、熱烈な信仰を呼び起こし、中世から現代まで、巡礼のブームが続いている。

巡礼は楽しかった。それ自体が持つ楽しさがあった。中世においては道も悪く、装備もなく、追い剥ぎも出る危険なものだったという。それを知った上でも、案外いまの巡礼ポップ層みたいな心の持ち方を、その昔も持っていたのではないか。歩くこと、知り合うこと、分かち合うことの良さを感じていたのではないか。そう考えてみることは愉快だった。

18:50
郵便局で切手を買って、食事場所を探す。ビールが飲みたい。

可愛い切手

19:30
タコ料理屋Pulperiaに入り、注文を済ませ、ビールを飲んだ。そしてようやく家族に手紙を書いた。本来ならもっと先に家族のことを思っておくべきだったのにだ。

後日譚

ここでこの旅のお話は終わります。

ただ、宿で明けた翌朝からの話しが別の旅の話として続きます。ご興味ありましたらお付き合いください。

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