【🇫🇷日記#50】ボルドー:鉄道と月の港とヒートテックの旅
スペインの次の目的地はフランスだ。3泊4日の旅の始まりである。
最初の2泊はボルドーで、最後の1泊はパリ。電車の車窓風景を楽しむことが旅の目的だ。
1月11日(木)
バルセロナ・サンツ駅から高速鉄道TGV inOui(テジェヴェ・イヌイ)のニ等車に乗り込む。
電車での他国への移動はこれまでに体験がない。
国境を越えたころ、警察が沢山電車に乗ってきた。私はパスポートを提示した。
警察はパスポートに一瞥をくれると、すぐに返してくれた。
スペインもフランスもシェンゲン協定加盟国なので、込み入った入国手続きなどは要求されない。
スペイン国境付近にあるナルボンヌまで3時間の旅。熟睡してしまったため、車窓風景は全然見られなかった。
駅の売店でポッキーのようなお菓子とサンドイッチを買った。
ナルボンヌからインターシティの二等車両に乗り、南西部ボルドーまで移動する。
日本の特急に近い車両であるが、何人もキセルしている。
車両自体、不潔ということではないが、格別にきれいというわけでもない。かなりの田舎にある在来線に乗っているイメージだ。
トゥールーズ以降、どんどん人がいなくなっていく。夕方の電車で感じられる寂しさが、私はすきだ。
3時間半の移動の末、ボルドー・サン・ジャン駅に着いた。
サン・ジャン駅からトラムで移動しホテルに行く手筈なのだが、紛らわしいことに「サン・ジャン駅」が複数ある。
"Saint-Jean", "Gare Saint-Jean" そして"Bordeaux Saint-Jean"。迷った末、ついにトラムのサン・ジャン駅にたどり着いた。
「月の港」と呼ばれるボルドーは、ガロンヌ川沿いの静かな街だ。とても寒い。
しかし、体にまとわりつくような湿気が不思議と心地よい。「凍てつく」寒さとは別種の感覚だ。
アジア人が一人もいない。(バルセロナは韓国人観光客が多く、よく「韓国人ですか?」と聞かれた。)
それどころか、この季節は旅行者もあまりいなさそうだ。
また驚いたのが、英語をあまり喋ってくれない(もしくは本当に喋れない)人が結構多いということだ。その点でもバルセロナと大きく異なる。
夜10時代で既に大概のレストランが閉まっていた。代わりにパブやバーは大盛況だ。
街をうろうろしていると、酔っ払いのおじさんたちが道案内をしてくれた(困ったことにフランス語で)。
「ジャポネがシェフをしているレストランがあるから、アプリで調べて行け。食い終わったら俺と呑もう」と言っていた。
僕はフランス語はできないが、断片的に理解できた(気がする)単語とジェスチャーをつなぎ合わせた結果そのように理解した。たぶんそうだ。
1月12日(金)
バルセロナ旅行以来、ひざが尋常ではなく痛い。痛みをこらえて街に繰り出す。
まずはトラムでカンコンスまで行き、別の路線に乗り換える。
まずはブルス公園で降りた。
その後近くのサンクロワ駅まで移動する。トラムが頻繁に来てくれるのがありがたい。
車は街の外周を走るのが殆どで、街の中ではあまり見かけない。
トラムがメインの移動手段だ。車社会のクウェートとは大きく異なる街づくり。落ち着いて(ひき殺されることを警戒せずに)街をほっつき歩ける。
リシュリュー通りではアラビア語を沢山見かけた。
パンを食べたかったのだが、ここではケバブやシャワルマの店が多くてなかなか見つからない。
アラビア語でケンカしている人たちを見かけた。「お前は惨めなだ!」云々と言っている。
チョココロネを買ったお店の店主もアラビア語で対応してくれた。フランス語が出来ない私にとって、かなりありがたいことだ。
中東・アフリカにルーツをもつ人々の生活圏とそうでない区画とが、ある程度明確に別れている気がする。
サンミシェル大聖堂をはじめとするキリスト教建築群が比較的そこから近くにあるのも、なかなか興味深い。
夜はサン・タンドレ大聖堂に行った。
バルセロナに比べて、ボルドーは全体的に物価が安い気がする。
歩き回っていたのでお腹がすいた。前菜とメイン、双方にダックを注文した。ワインと前菜、メイン、デザートで27.5ユーロだった。バルセロナに比べてかなり安い。
ギター弾きのおじさんが私に近づいてきた。少しおひねりをあげた。
おじさんはおひねりを集め終えると、ビールを頼んだ。
ホテルに帰ろう。夜はかなり寒く辛い。4℃くらいだそうだ。寒すぎる。
ヒートテックにシャツの出で立ちでは乗り切れない。
懸命に服屋を探したが、残念ながら8時代では閉まっている。
これでボルドーの旅は終わりだ。
結局、ブルス広場周辺の限られたエリアしか回れなかった。
あと3日はとるべきだった。
季節ゆえか、観光客が少なく静かだったのも高評価だ。ボルドーは私のお気に入りになった。
1月13日(土)
シャワーの暴発により、持っているヒートテック全てが水浸しになってしまった。
私はどんどん北上しているわけで、一般に気温は下がっていくと考えるべきである。手持ちは長袖シャツと、びしょ濡れのヒートテック、そして安物のスカスカ生地ジャケットだけだ。
私はヨーロッパの寒さに耐えきれるのだろうか?
朝からパリに向かう。TGVで3時間かけて移動する。
何を差し置いても、ルーヴル美術館に行かねばならない。
例のように地下鉄で移動する。
任天堂3DSを利用した観光案内に興味があったが、残念ながら利用できなかった。
モナリザを見なければならない。
スペインから謎の膝痛に苦しめられていたが、モナリザを観ようと思ったら痛みが引いた。アドレナリンが湧きがってくる。
私は感動しきりだったが、実はモナリザにはそこまで感動しなかった。
正確に言えば、感動自体はしたものの、想定していたものとは違った。
絵画の妙ではなく、ロックスターを前に握手や写真撮影を求めるファンの感激と言うべきだ。
閉館が近づくと、中心部の区画からどんどんと閉められていった。そのどさくさに紛れ、私は「ミロのビーナス」を15分ほど独占できた。
私はルーブルに大変な感動を覚えた。
私は宇多田ヒカルのプロパガンダ・ソングの影響下にあったが、「なん
てことはない」なんてことはない、と断ぜざるを得ない。
私だけのモナリザに出会っていなかったことが原因であるかもしれないが。
私はパリで服を爆買いした。おしゃれの為ではない。生存のためである。
ヒートテックと長袖シャツで西欧の冬をサバイブするのは不可能だった。
エッフェル塔近くのレストランでディナーとしゃれこむ。
エッフェル塔からの絶景は忘れがたい。
バスで凱旋門まで移動する。
終電ぎりぎりの地下鉄でホテルに戻った。
帰宅後、ミネラルウォーターを開ける。炭酸だったようで、開けた瞬間に噴きだしてきた。あまりの勢いに服が水まみれとなった。
1日に2回ヒートテックが潰れるとは。
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