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【全力記事!】サラリーマンを辞めるために、noteをはじめた

こんにちは!みかんです。

先日、noteをうろうろしていた時にこんな記事に出会いました。

藤原さんは最後まで一気に読ませる文章を書かれる方です。

第一回創作大賞の受賞者でもあります。

すごい!

藤原さんの文章から、いつも勉強させていただいております。

このコンテストのテーマ「なぜ、私は書くのか」を見たときに、一度自分の気持ちを整理したいなと思い参加させていただくことにしました!

いつもは2,000字以内の記事にしているのですが、今回は少し長くなりますのでご了承ください!

サラリーマンを辞めることへの怖さ

私は一度会社を休職したことがあります。

その時のことはこの記事で紹介しているのですが、承認欲求が満たされない怖さを痛感しました。

当時は1か月30日仕事をしている仕事人間でした。

そんな私が会社に行けなくなるとどうなるか。

今まで仕事で満たされていた気持ちを忘れようとするか、他のもので埋めようとするのです。

ウイスキー700mlの瓶が1日で空に。

スマホゲームへの課金が100万円に。

さらには離婚の危機に。

まあ、めちゃくちゃですよ。

私が仕事を休み始めたときに妻は

「私が支えるから大丈夫だよ」と言ってくれました。

完全な裏切りですよね。

課金100万円が妻にばれたときの、妻の表情は今でも忘れられません。

怒り、悲しみ、蔑み、失望、全てが詰まった表情です。

自分を一番信頼してくれている人を裏切った時のことは、強烈な体験として心に刻まれています。

私は仕事を辞めて、承認欲求が得られなくなったときの自分自身に対する恐怖心があるのです。

お金のことは問題なし

仕事を休んだことで結果的に良かったこともあります。

会社にお金の面で依存しなくなったことです。

お金の面を全て会社に依存している怖さ。

休職期間中に傷病手当は出ましたが、毎日のぬぐい切れないお金への不安。

この気持ちへの恐怖から投資を本格的に始めました。

復職してから毎月結構な額を投資し続けて、ここ数年は投資収入が生活費を上回るFIRE状態になりました。

お金ではない承認欲求への不安

2024年1月。

妻に相談しました。

私「あと1年で仕事を辞めようと思っているんだけど。」

妻「いいよ!でも少し心配だな。」

妻の心配は私の心配と同じです。

お金ではなく私の精神面のこと。

私が休職したときのように、またおかしくなったらどうしよう、という心配です。

あれから何年も経ちましたし、私も変わった気がします。

ただ、人間の本質的な部分って大きく変わらないような気もします。

大丈夫だと思うけど承認欲求への保険は作っておきたい。

その手段としてSNSをしようと思いました。

noteを選んだ理由

私はSNSでの発信をほとんどしたことがありません。

仕事用にインスタやXのアカウントはあるのですが見るだけでした。

いざ発信しようとしても、インスタで発信できるほど毎日の生活はキラキラしていません。

限りなく引きこもりに近いサラリーマンですから。

Xは文字数制限があり伝えたいことを伝えるには言葉が足りません。

あと炎上しそうで怖い(笑)

noteは生活がキラキラしていなくてもいいし、文字数制限もないので、日々いろいろなことを考えている私にぴったりだと思いました。

noteを始める前に考えた打算的なこと

私は打算的というか合理的なところがあります。

noteを始める前もそうでした。

インターネット上の世界は、ロングテール・ショートヘッドの世界です。

この記事で紹介していることと少しだけかぶります。


恐竜の頭がショートヘッド。尻尾はロングテール。

YouTubeで考えてみましょう。

縦軸(頭)をyoutuberの数、横軸(尻尾)を再生数としたときに、尻尾の先にいけばいくほど極端なことが起きます。

尻尾の先はヒカキンさんや、東海オンエアさんとかですかね。

ヒカキンさんたちはYouTube全体の中で人気なのですが、一方ニッチな分野で人気な人たちがいます。

ニッチな分野の中、全てに恐竜が存在します。

マトリョーシカをイメージしてください。

例えば少しニッチなお金のYouTuberの世界。

お金全体の情報が一番左の大きなマトリョーシカ。それが一番大きな恐竜です。

株式投資に特化した情報は、左から2番目のマトリョーシカ。

不動産投資に特化した情報は、左から3番目のマトリョーシカ。

それぞれのニッチなジャンルの中に、全て恐竜が存在しています。

全てに恐竜が存在しているのであれば、大切なことはニッチで一番になる希少性です。

自分の希少性

noteを始めるときに自分の希少性のことを考えました。

30代サラリーマンでFIRE状態の人数は全体の1%ぐらい。

猫3匹飼っている人は全体の5%ぐらい。

年間100冊程度読書する人は全体の10%ぐらい。

これらの数字は感覚ですが掛け合わせると

1%×5%×10%=0.005%=10万人に5人

これは別に私だけの話ではないと思います。

今になって考えてみると、人生でその人が経験したことを掛け合わせれば、だれでも希少性があるのでしょうね。

noteは打算的で合理的な世界ではなかった

そんな気持ちでnoteを始めると、意識するのは数字です。

ビュー数、フォロワー数、スキ数。

そこを最初は求めました。

相互フォローをすればフォロワーは増えます。

とりあえずフォローしている人の記事をスキすれば、私の記事にもスキを返してくれます。

フォロワーさんが増えると必然的にビュー数も伸びます。

noteでやることが記事を書く、あとは作業としてスキをする。

もちろん読んでいた記事もたくさんありました。

でもあるとき

「これ何が楽しいの?」

そんなことを思いました。

なんかおかしいなーと思いながら続けました。

50日連続投稿を続けてこんな記事を書きました。

noteを長く続けている人で私が面白いなーと感じる人たちって、note上での交流を意識されていたんですね。

数字ではなく些細な交流。

私が求めていた承認欲求は言い換えれば、交流から生まれるちょっとした幸せです。

noteを本格的に始めてまだ2か月ちょっと。

紆余曲折はありながらも、当初の目的に少しずつ合致してきたように感じます。

noteとの付き合い方

noteを始めたばかりのころの記事と今の記事を比べると、少しずつ変わってきました。

少しずつではありますが自分を良く見せることが無くなってきました。

日々感じたことをありのまま書けるようになってきました。

それに伴い当初意識していた数字面も伸びてきました。

順番が違ったのでしょうね。

数字を求めて打算的に立ち回るのではなく、ありのままの自分を表現した先に数字がついてくる。

サラリーマンを辞めるために、noteをはじめた

サラリーマンを辞めるために、はじめたnote。

承認欲求の先にあるちょっとした幸せにも気づきました。

今の自分や、過去の自分と向き合う時間が増えました。

手段としてのnote。

今となってはそれ自体が目的になっている。

これが私の書く理由。

こんな拙い文章を最後までお読みいただきありがとうございます!これからもサポートいただけるよう精進いたします!