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チャリングクロス街

ながさごだいすけ

気分が一向に上向かないのは、落ち込みの原因が容易に解決できるようなものではないからだとしても、少なくともそれを忘れさせてくれるような出来事があれば、すぐにそんなことは忘れてしまえるのが人間である、と前回も書いたが、楽しいことなどどこにもないので、ならばせめて楽しい思い出を語れば、そのうちに気分も上向いてくるのではないか、と思った。

だが、そういうときに限って楽しかった思い出が出てこない。すぐに出てくるのは、最近まで断続的に思い出して書き綴っていた40年前の欧州旅行だが、残念なことに前回で欧州を一周し終わってしまった。正確には終わっていないのだが、依然としていくら考えても、たぶんオーステンドから乗ったであろうフェリーのことは思い出せないのである。美しい中世都市ベルンの熊さんと、ユングフラウヨッホのカウベルの印象が強烈だったというよりは、もちろん強烈だったには違いないが、旅の疲れが出て、夜行列車ではぐっすり眠りこけ、半分眠ったまま、フェリーに乗ったとみえる。

別に旅行だけが、特に海外旅行だけが楽しい思い出とは限らないのだが、もともと人付き合いが好きでないわたしは、めったに他人に語れるようなできごとには遭遇しない。そういう時間のほとんどを、本を読んで過ごすか、でなければ本屋で過ごしている(最近はアマゾンで過ごしているというほうが正確かもしれない)のだから当然である。

実は、初めて行った欧州でも、かなりの時間を本屋に費やしたのだが、そんなことを書いても誰も面白くないだろう、というか他人に語るような面白いエピソードを思い出せないので語りようがなかった。帰りのフェリーの記憶が完全に欠落しているのとは異なり、思い出自体は記憶しているのだが、話してもまったく面白くなりそうな気がしないのである。

たとえば、『チャリングクロス街84番地』という往復書簡集がある。原書は1970年に出版されており、翻訳は今でも入手可能な中公文庫版が1984年刊となっている。わたしが買ったのは単行本のほうで(ただし失くしてしまった)、初めてイギリスに行くより前に出版されていて、お気に入りの一冊になっていた。なので、当然のように、チャリングクロス街84番地に詣でることも旅の大きな目的の一つになっていた。もっとも、単行本のあとがきに、すでに店自体がなくなっていると書かれていたから、それを承知の上で、わたしは、幻の聖地に巡礼したわけである。

パリにもそのような店が一軒存在した。ヘミングウェイやジェイムス・ジョイスが滞在したことで有名なシェイクスピア書店である。こちらもかなり昔(1941年)に閉店しており、わたしが渡航した1983年当時に存在していたのは、同じ店の名を冠したまったく別の書店だった(そちらはそちらで有名だったが、当時のわたしはあまり興味がなかった)。両方ともセーヌ左岸のカルチェラタンの辺りにあった。

どちらも、行ったところでなにがあるというわけでもなかった。店自体が存在しないので、聖地の正確な場所すらおぼつかなかった。このあたりと思うところで写真を撮ったような気もするが、記念碑があるわけでもなく、何の関係もない店を写しただけなので、いったい何の写真だったかすぐにわからなくなってしまった。そもそもつぶれた本屋に観光に行こうなどと考えたのが失敗だったのだ。

ならば本を買いに行けばよかったのか、というと、そちらも捗々しい結果は得られなかった。チャリングクロス街では、フォイルズという書店に行った。そういう店があることは両親から聞いていたので、かならず立ち寄ってあれこれ買いたいと計画していたのは間違いないのだが、結局なにひとつ買うことができずに店を後にしたような気がする。

書店を散策する趣味のない妹と二人では、しかも本がすべて横文字ときては、とてもゆっくり眺めている暇はなかったということもある。日本国内でも初めて行った書店(札幌でジュンク堂を見つけた時がそうだった)では目的の売り場に行き着くのも一苦労で、棚に並んだ本のタイトルに圧倒されて、買う前に疲労困憊してしまうことも多いのだが、それがすべて横文字で、売り場案内もすべて横文字、店員さんももちろん横文字でなければ通じないとなって、戦う前に戦意喪失したというほうが正しいかもしれない。

パリに行ったときは少し余裕も出てきて、絵本やコミックなどのビジュアル系で言葉がやさしい本のコーナーを探すようになったのだが、当時はフランス語がまったくできなかった(文字通り、自分の名前を名乗ることすらできなかった)ので、絵本でもかなり無理があった。コミックは置いてないか、あっても店の隅っこに追いやられていたように思う。

この初めての欧州旅行で、アラビア語の『コーラン(クルアーン)』を買ったことは既に書いたが、実はそれ以外に本を買った記憶は欠落している。毎日何回となく目についた書店に寄りながらなにも買わなかったとは考えにくいのだが、わたしにしては珍しく、本屋で本を買った記憶が残っていない。それ以後に何度となく訪れた欧州で何を買ったかはかなりハッキリ思い出せるので、これは本当に不思議である。

幸い実家にいるので、80年当時の書棚(全部をきれいに整理できるような広い書庫はないので、引っ越しのときの荷物が偏在して置かれている。80年代後半は実家に住んでいたので、全部出してきちんと本棚に並べてある。90年代以降の分はほとんど段ボールのままだ)をさがしてみると、2冊見つかった。80年代の書棚は他とは異なる部屋にあるので、その時代に買ったことはほぼ間違いないが、なぜその時の欧州土産だと思ったかというと、理由は2つあって、ひとつは、80年代には洋書は買わなくなっていたということ(買うとしたら専門書だけだった)、そして内容的に、90年代以降にはまず買わなかったであろう本だったからである。

それは、フランソワーズ・サガンの『Reponses』とヘルマン・ヘッセの『Materialien Zu Hermann Hesses "Der Steppenwolf"』である。どちらも中学・高校時代に好きだった作家で、主要な著作はほとんど読んでいた。サガンの本は日本語訳が『愛と同じくらい孤独』というもので、インタビューをまとめたものだった。ヘッセのほうは、『荒野のおおかみ』に関連のある素材をまとめたマニア向けの本である。どちらもリンク先の写真と同じものを持っている。日本の書店では、最終ページに鉛筆で日本の売値がかかれていることが多いので、どちらにもそれがないことも、旅行中に買った可能性を高めている。

この2冊を見つけたことで、そのとき一緒に『トーマス・マン/ヘルマン・ヘッセ往復書簡集』も買ったような気がしてきたが、残念ながら見つからなかった。確か白いハードカバーの薄い本だったと思う(後日、80年代の棚を漁っていたら偶然見つけた。『Hermann Hesse Thomas Mann Briefwechsel』リンク先の写真と同じBibliothek Suhrkamp版だった。こちらも鉛筆の売値はない。記憶していたよりかなり厚く、写真がたくさん入っていた)。

いずれにしても、買ったときの記憶は欠落したままである。ほんとうに、こんなことは珍しい。気分が上向くどころか、なんでここまで完璧に忘れているのか、逆に気になりだしてきた…


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