成したつもりで事を成す、だよ。

画像1

だいたい何かを思いついた時って

自分にブロックがかかってしまう事がよくある。

誰も反対していない時から、一番初めに

一番協力に反対したり「無理な理由」を探すのは、自分。


それって

「出来るか、出来ないか」

の理屈で決めようとしているからだと思うのね。

「こうあるべき」とか。

もっと言えば

「誰かに何か言われたら、自分の価値が下がる」

と思ってるんじゃないかと。

そうやって諦めた事が、自分はたくさんある。

でもね、それは個人の気持ち的には全部本当なんだけど

プロジェクトを成すうえでは

「全部ウソ」だとも思うんだよ。

だって、自分にウソついてるんだもの。


たぶん多くの人は、他の人にそんなに悪い関心を持たない。

「べき」論を押し付けようともしていない。

面白い事なら関心を持ってくれるだろうけど

誰かが失敗したからって、ずっと叩いているヒマな人はいない。

日本は便利だ。

調べようと思えば、タダでいくらでも調べられるし

チャンスはそこら中にある。

「やるか、やらないか」の二択。どっちでもいい。

こんな自由な環境なんだなって気づいた時があったな。


ハッキリといつかは忘れたけど

「出来るか出来ないかの判断基準で始めようとすると

 だいたいは『出来ない』ほうに行ってしまって

 結局諦めてしまう。

 やりたいか、やりたくないかの判断基準なら

 誰が何と言おうと最後までやるだろうなあ」って

 フ~っと思った時があったんだよね。


考えてみたら

福祉のフェスも、ユニバーサルファッションショーも、

色々な企業や行政とのたくさんの連携事業も

街で初めての大規模なパラ・スポーツイベントも

アレもコレも・・

「楽しくて、意味があり、出来れば前例のない」の

気持ちに従ってやってきた事で

「出来るか出来ないか」は不思議なくらい考えなかったし

今の自分の頭の中では

埼玉県三郷市は

すでにダイバーシティの概念が街中に浸透して

学校やお店とかどこにでもそれが表現されているし

オルタナティブスクールはいくつかあるし

動物園や美術館は出来上がっているし

それらを市内外の人たちが利用して、楽しんでいる姿や

その空気感、匂いまで感じているんだよ。


自分がやりたい事に不安がある時とかには

やりたい事が、すでに出来上がっている風景を

自分がそれを体感出来るくらいまで想像・疑似体験をする

逆に「あれ?まだ出来ていないんだっけ?」くらいな感覚になるから

そうは言っても諦めそうな時には、いい方法かも知れない。


NPO法人care nationのメール↓↓

carenation123@gmail.com

NPO法人care nationのHP↓↓

https://carenation.gallery/










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?