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スキルを身につける期間ではなく、才能を見つける期間

才能×努力=現在のポジション

もともとの才能があり、努力をした結果、成功している人が多い。

才能がないにも関わらず、何年も芽が出ないことをやり続けることは時間のムダになる。

人生100年時代といわれており、労働期間が60〜70年あるといわれている。

才能は幼少期の家庭環境に影響されることが多く、その才能を見つけて伸ばすことができると異端児ということになる。

好きなことを仕事にしている人達は幼少期の経験や家庭環境から無意識に選択をしていることが多い。

しかし、邪な動機を持って好きなことを仕事にしようとすると、失敗するリスクが高まる。

例えば、芸人の世界で、モテたい、金持ちになりたいと思って入った人はたいてい一発屋になるか芽がでないまま年齢を重ねてしまうことが多くある。

ビジネスの世界でも、一攫千金をあてたいと思い、独立をしたけれどすぐに倒産してしまうこともある。

なぜ成功と失敗の差について気づかないのか不思議である。

才能を10点、努力を10点取した時、100点満点の人に対して、80点の人は勝てない。

才能が足りないのか、努力がたりないのか分析をしていないからである。

幸せの定義も多様化しているけれど、成功したいというのであれば、高さと長さの両方が必要になっていく。

才能は生まれ持った能力であり、誰しもその力を帰ることはできない。

努力は自分がトコトンやり詰めていけばはっきりとわかるものであり、研究心と探究心がなければ努力は続かない。

常識を疑い、いろいろなところへアンテナを伸ばしていないといけないからだ。

時代とともに流れが変わり、マーケットが変われば、ニーズ、シーズも変わってくることになる。

それをいかに敏感に察知して形にしていくのかが問われる時代へと入っている。

才能は違和感であり、察知できるかどうか

どんな職業でも才能がある、才能がないと言われがちですし、その仕事に向いている、向いていないと判断をされがちなことです。

その判断については個人的な視点や経験から裏打ちをされていわれていることですが、突き詰めていくと才能はプロであれば気づく違和感を察知して回避できるかどうかであるのではないだろうかという結論に達した。

例えば、演奏家、歌手であれば、音階がずれてしまっていることに気づく。

物書きであれば文章構成、起承転結、二重否定など、文章に対しておかしい点を気づく。

どんな職業でもプロとして絶対に間違えてはいけないところについて察知して、回避する技術と言うものを持っている。

この違和感に気づくことができないとなると、気持ち悪くてしょうがないというのが心情である。

プロとして当たり前の感覚というのが正しいかどうかはわからないけれど、これが20代であればかわいいとして処理できますが、30代、40代と年齢を重ねていくと、ただの不信感にしかとらわれないのが本音である。

プロとして才能がないのであれば、違う職種で勝負をしてみればいいと思うのですが、能力がないということで花形の出世コースからハズレていることについても気づいていない人が多くいるのが現状でしょう。

そういう人は内弁慶となり、モンスター上司、粘土層、働かないおっさんたちと言われるようになる。

自分のポストを譲らずに、断固として死守するためには、組織論や根性論を繰り出してくることで自分を正当化する。

例外としているのがどの世界にも超天才といわれる人がいる。

ちなみに、いわゆる「天才」はセオリーに対して型破りな人が多いが、これは違和感を感知できずに型を破っているわけではなく、多くの場合は違和感は認識しつつもあえて型を破っている。

だから、そもそも違和感を感知できない人とは根本的に違うのではないかと思う。

石の上にも三年というけれど…

未だに人事で採用をしていると、1社に3年以上在籍していないとスキルは身につかないということをいう。

3年間である程度のスキルを習得することができるという性善説からきている。

しかし、インターネットが普及し、情報がシェアされている時代に、3年でスキルを身につけるということについて疑う事になります。

職人さんが背中を見て、技を盗めという時代ではなく、そのレベルより実際には猛烈なスピードでビジネスが進んでいることに気づいていないからだろう。

ノウハウやマニュアルについては、基礎部分ですから要領よく学び、仮説思考が身についている人であれば、ドンドン吸収することができる。

人の成長をざっくりと3年でスキルが身につくというのは今の時代では通用をしないかも知れません。

この3年というのはスキルを身につける期間ではなく、その仕事に対して才能があるかどうかを見極める為に必要な機関ではないかという仮説が浮上してくる。

そこ3年で才能があるということを感じたならば、次の3年で実績を残し、社外でも通用するスキルを身につけることが必要になります。

プロ野球選手や芸能人のような、才能のある者同士がさらにしのぎを削らなければならない職業を除けば、たいていの仕事は3年くらい全力でやれば、向いているかいないかくらいはわかるのではないかと思う。

その代わりに全力投球をすることが前提条件であり、ライフワークバランスといっている次元ではない。

時間を有効活用して、正しい方向で正しい努力をすることで道は開けるが、ラクをして成功をするための道は開かないということをしっかりと肝に銘じてほしい。

だから、自分が何に向いているかわからないとか、今やっている仕事が向いているかどうかわからないという人は、こんな時代に於いても「石の上にも三年」を実践してみる価値はあると思う。

3年やっても手応えを感じられなかったり、周囲から芳しい評価が得られなかったら、おそらく辞めてしまっても差し支えない。

その3年は長い人生において決して無駄にはならないだろう。

また、頑張って続けていく途中で「あ、向いてないな」と100%確信したら、3年待たずとも遠慮なく方向転換すればいいとも思う。

そこに妙な敗北感を感じる必要は一切ない。

ある職種における才能の有無というのは「善悪」の問題ではないし、その人の全人格が否定されるようなものでもない。

たまたまイメージだけで志願した「面白そうな」「かっこよさそうな」「自分に向いていそうな」仕事に、向いていなかったというだけの話である。


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