【自己紹介】はじめまして中川麻里です
「はじめまして」の方にも、「あ、中川さんね」の方にも楽しんでいただけるよう、中川麻里の自己紹介をしたいと思います。
まずは少しだけお仕事の内容から。
お仕事:日本でただ一人?経営者の【個人のミッション】を一緒に考える人
私は、 創業10年以上の経営者を対象に 【個人としてのミッション】を作るお仕事をしています。
(2024年開始)
具体的には、
「社長業に追われる日々… 本当にここままでいいのか?」 ふとそんな虚しさを感じる経営者に、
というご提案をしております。
50代経営者が人生後半ミッションを考える意義とは何か?
【50代経営者向け・人生後半ミッションコンサルタント】として活動するワケ
仕事内容はとりあえずこんな感じ。
以下、私の生い立ちからはじまり、いろんな出来事を経ていかにいまの自分に至ったのかを、読み物ふうにまとめてみます。
読みやすいよう、箇条書きで自分の人生をざっくり振り返りつつ、文章で補足するかたちで自己紹介をいたします。
生誕〜就職まで
姉+私+弟という3人きょうだいの真ん中に生まれ育ちました。
両親ともデリカシーがない人達で、幼い私に「男の子が欲しくて流産を繰り返して生まれた二人目が女のあんただった。だからもう一人産んだ(ら弟が生まれた)」とよく言っていました。
そんな親に対する反抗心がハンパなく(?)、4歳ごろから家出をすると言っていつも大騒ぎをしては、物置に閉じ込められていました…
そういう環境だったので、私は無意識に「自分はがんばらないと、親に存在を認めてもらえない!」と思っていたフシがあります(それで小学生以後は「お手伝い」や「勉強」をがんばった=認めてもらいたかった)。
黒歴史:転々とした暗黒の20年
この時期は人生最大の黒歴史…
私は、大学時代から(志望大学を決める前からですが)「何をしたいのか」がわからずに、ずーっとそれを引きずっていました。
大学での転学部を皮切りに、就職してからも転職を繰り返してました。
ほんとキツかった。
「仕事が続かない」ことで自己肯定感が下がりっぱなしになります。
「何をやってもダメなヤツ」って自分を責めるんです。
その結果、長いことウツを患ったり、自傷的な依存症になったり、がんになったり…心身ともにつらかったなぁ。
話を戻すと、そうやって「20年以上、自分は何をやりたいのか!?」を問い続けていたんですが、一方で、人からは「何度も転職するなんてバイタリティあるね」「エネルギッシュだね」と言われることもあり(そう言って慰めてくれたみんな、ありがとう)。
そうした発言をいい意味にとると、私は「やりたいこと探しへのこだわり」が尋常でなかったということにハタと気づき、「そのエネルギーを活用して人のためになろう!キャリアカウンセラーになろう!」と思い立ちます。
キャリアカウンセラーの仕事はそれなりに順調でした。
夫の死と、這い上がれなかった3年間
縁あって結婚し高齢出産しました。
41歳での初産と子育てはキツかったですが、子は今も宝です。
家族3人の幸せな生活も束の間、夫が胃がんで倒れました。
発見時にはステージ3C。
ステージ4の一歩手前でした。
しかしながら手術は成功。規則正しい生活のすえ、夫は徐々に回復!
仕事にも復帰、その後彼は転職したり旅行にも行ったりできるようになり、元気になってよかったねと喜んでいたものの…
がんが再発し、あっという間に亡くなりました…
そしてそんな私を様々なトラブルが襲います。
夫の死や義実家にまつわる裁判や弁護士沙汰をいくつも抱え、何が正しくて何が間違っているのかの感覚がだんだん麻痺していきました。
さらに私の持病が悪化して寝たきりにもなりました…。
この間いろんな思いがありました。
なぜ夫は死んだのか?
なぜ夫を救えなかったのか?
夫はなぜがん再発を黙っていたのか?
そういう答えの出ない問いが私の中を延々とぐるぐる渦巻いていました。
が、一番強く思ったのは「人はいつ死ぬかわからない」ということです。
そして「人生を全うするとはどういうことなのか」ということ。
夫はきっと今世に未練を持ったまま逝ったように思ったのです。
夫の死は、私にこの問いをずっと突きつけていました。
よみがえったのは2023年
夫の死後、多くのトラブルをどうやっつけたのか、もはや覚えていません。 (日常とは別のOSが出動して片付けてくれたような感覚)
しかし「日にちぐすり」とはよく言ったもので、夫を失った喪失感を、私は徐々に「自分の一部」としていくことができました(夫の死を「乗り越えた」のではなく、その経験を「自分の一部にした」感覚です)。
そして自分の病気の治療にも積極的になり、今では日常生活が送れるようになっています。
実は夫の死を、大学時代からの親友をはじめほとんど誰にも話していませんでした。 何があったのかを振り返ることすら心が痛すぎて、怖かったのです。
でも夫が亡くなり3年ほど経過したあたりから、周りの人にぽつりぽつりと打ち明けるようになりました。
そんな中で3年ぶりに再会した親友が、ある「プロファイリングの資格」を取得したことを知ります。それは私も以前受けたことのあるプロファイリングテストだったので、今後何かの役に立つだろうと思い、あまり後先考えず(そういう行動は私には珍しいのだけど)に資格を取得することにしました(ウェルスダイナミクスという資格)。
そこからまた導かれるように、ある経営者コミュニティに参加し、コミュニティ内のプログラムで価値観の深掘りにチャレンジすることになりました。
私はその価値観の掘り下げに真剣に取り組みました。
試行錯誤の上、出来上がったのがこれ↓
価値観・ミッション・ビジョン
このミッションを手にして私は、迷いに迷いを重ねた黒歴史の20年を含め、自分の人生に一本の大きな筋が通っているのを感じたのです(このへんの話は長くなるので別稿にします)。
そして、
そう腹オチしたら、涙がこぼれてきました。
それは私が自分の人生に心から満足した瞬間でした。
自分を褒めてやりたいと思いました。よくここまで生きてきたよ、がんばってきたよって。
こうした価値観やミッションをもとに、冒頭にお伝えした【経営者個人の人生ミッション コンサルティング】という仕事をすることに決めました。
経営者はエネルギーの高い人が多いです。
彼らが自分の価値観やミッションをバチっと言語化したら、もっとすごいエネルギーと行動力が湧く! ミッションがちゃんと従業員に伝わったらお客様に伝わったら会社経営に絶対いい影響を与えて売上げが伸びる! そしたらミッションののった商品サービスで日本が満たされるし日本は絶対にもっと良くなる! みたいなことを思ったんです。
それには、ささやかながら私自身の経験が裏付けとなりました。
私も自分のミッションを手にしてからは、夫の死後ずっと沈んでいた自分と同じ自分とは思えないくらい、無理なく自然にパリっと動けるようになったのです。 そしてたくさんの方が自分を助けてくださるようになりました(このこともまた別稿に譲ります)。
さらに、ずっとやりたかったのに挫折しっぱなしだった「小説執筆」をやり遂げることができました。
(現在はさまざまな賞に応募するようになった)
こんな価値観やミッションを掲げるようになったのは23年の12月のことです。 私はいま、生まれ変わったような気持ちで充実した毎日を過ごしています。
以下はおまけ♪
性格とか
趣味とか
資格など
ここまでお読みくださりありがとうございますm(__)m
noteではふだんの生活ではつながれない方とつながれたらうれしいです。
そしてコメントをいただけるととても喜びます!
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