読書メモ「ヘルシンキ 生活の練習」
「ヘルシンキ 生活の練習」朴沙羅
北欧ライフといったらよいのか、なんとなーく北欧=暮らしやすそう というイメージがあるが、北欧での生活を綴ったエッセイのような本だと思って手に取ったら、ちょっと違う内容で、じっくりじっくり読んでしまいました。
タイトルの意味
ヘルシンキで暮らすことになって、どんなふうに生活に慣れていったか=練習 という意味だと思ったが、そうではなかった。
フィンランドの幼児教育については知識がないが、本書によると、正直さ、忍耐力、勇気、感謝、謙虚さ、共感、自己規律などを「才能」ではなく「スキル」(技術)と取り、それを「練習」することで身につけていく、という考え方がベースにあるそうだ。
男の子が女の子をからかったときにどうしたか
著者のお子さん(女の子)が園で男の子にからかわれている話を聞き、著者は立ち話的なスタンス(クレームではない)で保育者に話したら、保育者は「物事を笑うことと、人を笑うことは別のことだ。世の中には友達を楽しませる技術がある。だからそれを練習しよう。」という発想で、園児たちに働きかけをしたそうだ。
それを聞いた著者は、
「男の子はやんちゃ/アホだから、〇〇しても仕方がない」という説は、その男の子にとっても害があると思う。それに、〇〇された側の人間が嫌な気持ちになったとしても、その言葉で封じ込めてしまいはしないか。
と。そうだなぁと思う。
育児相談をしたら
著者はご自身の子どもへの対応や子育てに不安を感じ、育児相談を受けたそうだ。カウンセラーは「Societyに入ったらどうか?」と提案し、いつでもここに電話してほしいなどの対応をしてくれた。そのときの著者の感想は…
「私が育児相談をした場合、母親としての心構えとか気持ちとかそういうところではなく、いま私が抱えている問題を解決する具体的な提案が出される。わりとドライな感じもするけど、基本的に「お互いに相手を助けたいと思っている」「お互いに相手に悪意があるわけではない」という前提に立っていないと提案できない解決策ばかりのようにも思える。」
日本だと、一通り悩みを聞いたうえで、「みんな同じことで悩んでいるよ、大丈夫よ」と励ますように思う。でも、励まされるより、具体的に、この苦しい状況を何とかしてほしいとも思う。私もそうだった。
保育施設は子どものための施設
日本では、保育園は厚生労働省の管轄で、日中の保育にかける子どものための施設。最近はどうかわかりませんが、基本、親が仕事が休みの日は預けられない。
著者は、日本でも保育園を利用したことがあり、どちらがよい・悪いという話ではなく、「保育園は保護者のための(保護者が働いている間に子どもを預かるための)施設ではなく、子どもが保育・教育を受けるための施設なのだ。」と称している。
日本の保育園は子どものことを考えていない、という指摘ではない。著者も記していたが、日本の保育園は、子どもを保育するだけでなく、保護者のケアもし、さらに季節の行事など生活そのものを支援しようと頑張っている。日本の保育園を知っていると、ちょっとフィンランドの保育園は寂しいかもしれない(親が)。
社会を信頼しているかいないか
著者は社会学者だから、違和感に対し、なぜ自分はそう感じたのかを整理整頓して言語化している。フィンランドが良いとか素敵とかそういう視点ではなく、
「(フィンランドは)困ったら明示的に助けを求めないと、ここでは誰も助けてくれないのではないか。困っているのに助けを求められなかったのは、もしかしたら、私が社会というものを信用してないからなのかな。」
と。
さて、私は日本という社会を信用しているか?というと・・・正直なところいまの政治は信用していないし期待もしていないように思う。
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フィンランドに関心がある・ないに関係なく、性別の問題や仕事や学歴の問題、子どもがいるとか結婚していないとかそういうことで、なーんか生きづらさを感じている人には、ぜひ本書をお勧めします。自分が感じているモヤモヤが、「こういうことだったのかもしれないなぁ」と見えるような気がします。