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干しぶどうと水で過ごす日々から一転、大手広告代理店のプロデューサーへ その②

■ついに英会話教材のセールスの仕事を退職、駅弁販売員へ

英会話教材のセールスを辞める決定的なきっかけが、ある時やってきました。
干しぶどうを食べながらどうにか頑張ったんですけど、本当にどうにもこうにもならなくなって明日の お金がなくなったんです。
それで上司に「本当は続けたいんですけど、もう限界です」と言ったんですが、返っていた言葉が強烈でした。
「ここで辞めたらお前は負け犬だ。」
続けて「一緒に消費者金融に行こう」って言われたんです。
つまり、金を借りてでもお前は続けろ、と。
継続すればいつか花開く、と…。
さすがに、働くためにお金を借りるって意味が分からないじゃないですか。
でも負け犬になりたくないって一瞬悩んじゃったんですから僕もよっぽどですよね。
上司はたまにおごってくれるけど、毎月ご飯食わしてくれるわけじゃない。
ここで逃げることも大事…。
結局最後は、「負けてもいいや」って開き直りました。とりあえずご飯食べたいし(笑)
それでスパッと退職して、次は東京駅の駅弁の販売員の仕事に就きました。
なぜ駅弁の販売員だったかというと、東京駅の地下に寝るところがあるんですよ。
風呂もあるし食堂もあるんですよ。住み込めちゃうわけです。
寝るところもある、3食出る、余った弁当を持って帰れる。
預金も手持ちのお金もすってんてんでやめちゃったんで、家に帰ってもしょうがない、住み込みで働くことを考えたんです。
とにかく、まずはゼロの状態まで回復したかった。
親に借金があるし、就職活動をしようにもスーツを買うお金さえもなかったですから。
バイトがオフの日はお金がかからない図書館へ行き、特に趣味もなかったので、心理学で有名な加藤諦三さんの本を読んで「生きるって何だ?」みたいなことを考えていました。


■固定給欲しさに人材派遣会社の営業へ

お弁当販売のおかげで何とか持ち直したので、次は人材派遣会社の営業マンに転職しました。
それまで固定給で働くという経験がなかったので、毎月15万円もらえるってだけで選んだんです。
業種としては、SE(システムエンジニア)専門の業務請負型派遣で、エンジニアの履歴書を持って システム開発で困っている企業へ行き、良いエンジニアがいますよと売り込みをかけました。
ただ、自分はシステムエンジニアのことが全然分からない。
商品のことがわからなかったので、結局半年間1件も契約が取れませんでした(笑)
そこで、「開発の現場に行ってITを学ぼう」と考え、誰かを派遣するのではなく自分を派遣する仕 事を取ってきて、とある大手メーカーのITサポート会社でヘルプデスク要因として働くことになったんです。

■制作プロダクションへ転職

ヘルプデスクの派遣業務のお給料は10万円も上がり、月に25万円ももらえたんですが、慣れてくると本当につまらない仕事で。
開発の現場とはいえ、当時のおじさんたちはコンピューターに疎かったんですね。
「フロッピーが抜けないぞ」とか「漢字変換が出来ないぞ」とか言われるんですが、どれもボタン一つで直るような仕事ばかり。会社で居眠りをしてしまうこともザラでした。
給料はいいんだけれど、このままだと自分が腐る。
やっぱり生き甲斐も大事だよねって気づきました。
その頃ちょうどITバブルで「インターネットが来るぞ!」みたいな高揚感が社会全体にありました。
IT企業が雨後のタケノコのようにいっぱい出来ていました。
同じITでもちょっと分野が違う向こうの業界なら昔思い描いていた成り上がりが実現できるんじゃないかと考え、思い切ってWeb系の制作プロダクションへ転職しました。
システム開発のヘルプデスクをしていたので、「パソコン触れます、知識あります」とハッタリをきかせてみたら、見事に採用(笑)
でもその直後ですよ、ITバブルがはじけたのは。
クライアント先がその頃傾いちゃって業者整理を始めたんですね。
で、僕の会社が業者整理の見積もり合戦で負けちゃったんですよ。
結果、会社全体の売上の6〜7割がなくなり、ある日社長が全社会議で我が社の経営状況がやば いと言い始めて。社員を半分にしたいと。
今辞めれば会社都合で辞めさせることができるし失業手当もすぐに支給される、残ればしばらく給料を下げるしボーナスは出せないぞと。
そこで考えてこの会社に未来はないな、と。
で、辞めたんですよ。
転職して一年で半ばリストラのような形で職を失いました。

■広告代理店営業マンへの転身

その後ほどなくして大手広告代理店系列の会社へ入社。
それまでのように行き当たりばったりではなく、ある程度筋道を立てて動きました。
話は少し戻りますが、前の制作プロダクションはベンチャーだったのでお客がないし、顧客開拓を行っていました。
上司から渡された電話帳を見ながら「HP作りませんか」と、片っ端から電話をかけるわけです。
で、実際に電話をかけると、「もう代理店さんに頼んでますから」といわれるんです。
その時は意味が分からなくて「代理店って何だ?」みたいな。

販売代理店かと思いきや、どうやら広告代理店らしい。しかも口々に同じ会社名を言うんです。
かなりの確率でその広告代理店が食い込んでいたので、それだけにこんな地道に電話をかけて 「HPいかがですか?」みたいな仕事のやり方はしていないはずだ、と感じました。
もしここをやめるようなことがあったら、代理店の仕事のからくりを知りたいなと思いました。
で、そんな折りにリストラ事件があったので、次は絶対に広告代理店なるものに行こう!広告代理店なるものを見てみよう!と。
ちょうどそのタイミングで、テレアポで聞き慣れた広告代理店がインターネット専門の合弁会社を設立するっていうニュースを知ったんです。
求人を見ると、若い人材が欲しい、勢いのあるやつなら尚良しということで迷うことなく応募しました。
なんとか面接までこぎ着けて、社長面接の時に言われたひと言が「目つきが鋭い」と。
そりゃそうですよ。こっちはいつも腹ぺこだったんだから目つきだけは鋭いわけです(笑)
そんなことは知ってか知らずか、「お前目つきが鋭いから採ってやる」と、たったそれだけで採用してもらえたんです。
今でこそ会社には東大や京大卒ばかり。後にも先にも目つきだけで採用された人っていないんじゃないかなぁ。
とにかく、幸運も重なり、思い描いた通りに人生が回り始めました。
さらに嬉しいことに、採用後すぐにテレアポで幾度となく耳にした大手広告代理店へ常駐することに!
でも即戦力としては認められず、かなりしごかれました。
営業担当でしたが、とりあえずお客様と直接しゃべることが許されない。
なぜならそのレベルに達していなかったから。
メールを送るにもまず先輩に紙でチェックしてもらうんですけど「こんなもの先方に出せるか!」と床に投げ捨てられ(笑)。
とにかく、ありとあらゆることを徹底的に叩き込まれました。それこそ、電話での言葉づかいや箸の上げ下げひとつまで。


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