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禰豆子の謎①子守唄で鬼化が止まったのはなぜ

アニメ鬼滅の刃は遊郭編に突入していますね!毎週楽しみに観ています。
今回は遊郭編の子守唄についてです。
このnoteでは縁壱と縁壱の妻“うた”との繋がりを中心に考えていきたいと思います。

あくまで個人的な意見です。何度も同じことを繰り返し書きますがご容赦ください。

鬼滅の刃最終話までネタバレしていますので、まだ読んでいない方は最終話まで読んでからお越しください。






目次
1、子守唄
2、記憶
①お母さんを思い出したから
②炭治郎を思い出したから
③炭治郎はお母さんだったから
④禰豆子は“今”を大切にしているから
3、うたと笑顔と大泣き
4、おわり(余談)
5、さらに余談


1、子守唄

上弦の鬼、堕姫と戦っていた炭治郎は体力の限界を迎え倒れてしまいます。
入れ替わるように禰豆子が堕姫と戦いますが、鬼では鬼を倒すことが出来ません。血を使いすぎた禰豆子は人間を襲おうとしました。
宇随天元の提案で炭治郎が子守唄を歌うと、禰豆子は大泣きして眠りました。
なぜ唄が禰豆子の自我に届いたのでしょうか?

炭治郎が歌った子守唄は
佐賀県の子守唄として実際に存在する「小山の子うさぎ」
という歌だそうです。

この歌の内容についての考察はすでにしていらっしゃるかたがいて、読んでいてとても面白かったのでみなさんもググってみてください。

今回の考察では歌詞の内容について全く触れませんが、参考までに掲載させていただきます。

佐賀県の子守唄 小山の子うさぎ

こんこん小山の子うさぎは
何故にお耳が長うござる
小さい時に母さまが
長い木の葉を食べたゆえ
そーれでお耳が長うござる

こんこん小山の子うさぎは
何故にお目目が赤うござる
小さい時に母さまが
赤い木の実を食べたゆえ
そーれでお目目が赤うござる


2、記憶

以前のnoteでも禰豆子の記憶と眠りについて書かせていたのでよろしかったらご覧ください。↓

子守唄を聞いた禰豆子は過去のことを思い出しています。この”記憶”が禰豆子の鬼化を止めたのは間違いないです。

①お母さんを思い出したから
鬼化の進行が止まった理由について、
第一に「お母さんを思い出したから」という理由があげられるかと思います。
そんなの言うまでもないだろ!と思いますでしょ。
子守唄を聞いた禰豆子は自分の小さかった頃を思い出し、その回想にお母さん(葵枝)が登場していますから、ほんとに、言うまでもないですね。竈門家の絆が禰豆子を鬼化から救ったと言えます。

ですがひとつ疑問が残ります。
(画像↓10巻85話)

家族の絆が禰豆子を救ったとするなら、同じ家族である炭治郎の声はなぜ届かなかったのでしょうか。


②炭治郎を思い出したから
鬼になると、たとえ自分の家族であっても喰ってしまいます。
鬼滅の刃において鬼は
記憶の喪失を伴う、あるいは冷酷になる、と言えるでしょう。
禰豆子の場合、炭治郎を救うため、家族の仇をとるために堕姫と戦いました。
記憶が蘇ったからこそ戦っていたわけですが
(10巻82話より”揺さぶられる”という表現がなんか引っ掛かるなぁ…)

どんどん残酷になっていき、何度身体を切断されても攻撃をやめませんでした。禰豆子はいつのまにか記憶を忘れて人間らしさを失っていき、ついに人を喰おうとしてしまいます。読んでいた当時このシーンはめちゃくちゃハラハラしながら読んでましたね…今読んでもハラハラします…。

子守唄を聞いた禰豆子の回想の中に“お兄ちゃん”が出てくるんですね。
(10巻85話より)

禰豆子の可愛い質問に笑顔になる葵枝さん…。ここは画像ではなくぜひ単行本でご覧ください…。この笑顔素敵すぎて涙出てきませんか…泣

さて、このシーンでは葵枝の笑顔があるだけですが、吹き出しがないだけで、実は絶対何か答えていると思うんです。その言葉で禰豆子は大泣きしたのではないか、と。

葵枝は禰豆子の質問になんと答えたのでしょうか?

小学校だか中学校の国語の授業で出てくる問題みたいになってしまいましたが、
ここは読者の妄想が膨らむという意味でもすごく良いシーンですよね。ここは読者がそれぞれ自由に妄想するのが正解です。

で、個人的に思ったのが
「禰豆子はお兄ちゃんが大好きなのね」と言ったんじゃないかなぁと想像しました。
禰豆子は葵枝の言葉によって炭治郎を思い出し、子守唄(母=過去)から炭治郎(現在)を思い出したのではないかと思います。
多分、炭治郎ではない誰かがこの子守唄を歌ったとしても禰豆子は大泣きしたかもしれません。


③炭治郎はお母さんだったから
先ほど、葵枝は禰豆子の質問に答えたはず、と書かせていただきましたが、それはぼくが個人的に思っているだけであって、
実際には“葵枝の笑顔”のみが禰豆子の回想として描かれます。葵枝が何も言わなかったとしても禰豆子はお母さんから炭治郎を思い出していたと思います。
というのも、鬼になってしまった禰豆子にとって炭治郎は“お母さん”的存在だったと思われるからです。
(画像↓1話より“お母さん”は炭治郎に引き継がれる)

(↓16巻おまけページより)

(というか、炭治郎はほかの場面では“お父さん”でもあるのですが、禰豆子にとっては“お母さん”です)

対して禰豆子は“お父さん”、そして“小さい子ども”として描かれています(禰豆子=お父さん説はまた別のnoteで書きます)

そして遊郭編より前に、那田蜘蛛山編でもお母さんが登場しています。葵枝が語りかけても起きませんでしたが、“お兄ちゃん”という言葉で禰豆子は覚醒します。
(5巻40話より)

禰豆子の中で“お母さん”と“お兄ちゃん”は繋がっています。
②の繰り返しになりますが、子守唄によってお母さんを思い出し、同時に炭治郎を思い出したと思われます。



④禰豆子は“今”を大切にしているから
炭治郎が気を失っている間、昔の夢を見るシーンです。
(11巻92話より。本当に妹なのか?と疑うほど禰豆子の精神年齢は高い)

禰豆子は“今”を大切にする女の子なのです。

禰豆子ははじめ、炭治郎を助けるという目的で参戦したと思われるのですが、
記憶が揺さぶられたために家族を殺された恨みを晴らすために堕姫と戦っているように見えます。
つまり“復讐”(仇討ち)になるわけですが、この時禰豆子は家族を殺された、という“過去”に囚われています。
禰豆子は我を忘れるほど怒り、炭治郎の存在を忘れてしまっています。
復讐とは過去に囚われることです。禰豆子は残忍になり、鬼化が一気に進行してしまいました。

②と③でも書きましたが、子守唄によって禰豆子はお母さんを通して炭治郎の事を思い出します。
つまり過去(お母さん)から現在(炭治郎)という“今”を思い出すのです。(禰豆子が珠世の薬で人間に戻るときも炭治郎を思い出している)

禰豆子は以前珠世を葵枝だと思っていたりしたので、多分これまで家族の死を思い出していなかったのだと思います。
しかし堕姫を目の前にして家族を殺された記憶が蘇り、これまで眠っていた禰豆子の“自我”も少しだけ蘇ったのだと思われます。
禰豆子はこれまで記憶を思い出せなかったせいで、家族が殺されたことを悲しむことすら出来なかったと思います。
禰豆子が大泣きしたのは、家族が死んでしまった過去を受け入れたからではないでしょうか。(無限夢列車編で炭治郎が夢の中で家族を振り切って走り出したときも涙を流している。禰豆子の大泣きについては7巻57話の炭治郎の想いともリンクしていると思うのでぜひそちらもご参照)
そして復讐のために戦うのではなく、“現在”を生きている炭治郎を守るために、
人間を喰って回復するのではなく、眠りによって回復しようとしたのだと思います。
“今”を大切にしている禰豆子だからこそ鬼に飲み込まれることなく、自我を保てたのです。

もうちょっと掘り下げます。
禰豆子の性格ついて竹雄はこう言っています。
(10巻83話より)

「周りに大人が大勢いたから良かったけど」ということは、「もしかしたらガラの悪い大人に暴力を振るわれたかもしれない」ということを示唆しています。
禰豆子は自分が敵わない相手でもひるまず、許せないことがあると相手が謝るまで許せなかった過去があったようです。

そして“許せない”からこそ”復讐”をしようとするのです。

人間を殺す鬼は許せません。禰豆子が自我を失ってまで堕姫を殺そうとする気持ちもなんとなくわかります。
自分を顧みない禰豆子だから尚更、自分が死んででも、自我が鬼に飲み込まれたとしても殺そうとしたのだと思います。

しかしもし禰豆子の自我が鬼に飲み込まれたら、禰豆子は人を喰うことになります。炭治郎は禰豆子を守れなかったと悲しむでしょう。しかも切腹しなければなりません。
”復讐”とは禰豆子の“死”を意味し、同時に炭治郎の“死”も意味します。つまり、鬼化して“復讐”をする場合、ふたりは死ぬしかないのです。

この場面では“復讐と自己犠牲”というテーマが読者に投げ掛けられていると思います。
自分を犠牲にしてまで復讐することは正しいのでしょうか?

禰豆子は復讐(過去)という自己犠牲(死)ではなく、炭治郎(現在)を守る(生きる)という選択をしました。

この選択は決して、
家族の死より炭治郎の生の方が重い、と言っているわけではないと思います。
なぜ禰豆子が“今”を選択したのか、については先ほどの通り禰豆子が“今”を大切にする女の子であり、記憶によってその自我を思い出したからだと思われます。
この戦いによって禰豆子の血鬼術に“治癒”という、“生かすため”の能力が備わったのがその象徴と言えるでしょう。
(11巻95話より)

復讐と自己犠牲のテーマは無惨との戦いまで持ち越されていると思います。

3、うたと笑顔と大泣き

子守唄と縁壱の妻“うた”との繋がりについて見ていきます。
禰豆子の大泣きまでの物語と、縁壱の物語には共通点があります。
それは

唄(うた)と笑顔と大泣き

です。

個人的に鬼滅の刃で“笑顔”が一番印象的だったのは炭吉の娘の
すみれの笑顔です。
(21巻187話より)

この笑顔に縁壱は涙します。(21巻187話)

このシーンは感動しますよね…。
(すみれの向こうに見える空はなんとなく夕焼けっぽいですし、葵枝の笑顔のときもたぶん空は夕焼けだと思う)

縁壱の涙についてはさまざまな解釈があると思うのですが、
今回推したいのは、

縁壱=禰豆子  ·  すみれ(うた)=葵枝(炭治郎)   説

です!

はい、わけがわからないですね!ぼくも頭の中がごちゃごちゃです。

この縁壱の大泣きのシーンがですね、どうしても禰豆子が葵枝の笑顔で大泣きしたシーンと被るんです。
それを裏付けるのが炭治郎と縁壱の妻“うた”であると思っています。

と、いうのも、遊郭編では堕姫も妓夫太郎も炭治郎の“瞳”に対してこう言っているからです。
(9巻76話より)

(10巻88話より)

さらに子守唄でも“お目々”が出てきますよね(10巻85話より)

炭治郎は綺麗なきらきらしたお目々ということです。遊郭編では炭治郎の瞳が三度も強調されます
この美しい瞳は“黒曜石のような瞳”を持つ縁壱の妻のうたとの共通点なんですね。黒曜石はきらきらと光ります。
(21巻186話より)

黒曜石といえば通常漆黒です。炭治郎の瞳は赤色ですが、
縁壱と炭治郎の日輪刀が漆黒であること、そして赫刀(かくとう)になれば漆黒から赤色に変化することからも、
瞳の色の違いは
うたから炭治郎へ変化したことを示唆しているようにも思えます。

黒⇔赤
うた⇔炭治郎?

いかにもらしいことを書きましたが、色の違いについては正直よくわからないですね…。
しかし炭治郎の瞳がうたの瞳と関連付けられていることは疑いようがないかと思います。
さらに名前の“うた”と子守唄の“唄”が掛かっているので無関係とは言えないでしょう。

さて、縁壱の大泣きについて。
(縁壱が竈門家にやって来たときの心情については21巻をご覧ください)
とにかく縁壱は失敗や後悔など、どうやってもどうにも出来ないことで思い悩んでいます。兄を守れず、仇を討つことも出来なかった。ぼくが思うに、縁壱は炭吉と話をした後、死のうとしていたんだと思っています。

禰豆子も家族を守れず、鬼同士で戦っても決着がつけられない(鬼は鬼を殺せない)から仇も討てない。だから自我を放棄しようとしました。禰豆子が自我を捨てることは死を意味します。

縁壱も禰豆子も“笑顔”によって死を思い止まったんだと思います。

”笑顔”によってすみれと葵枝が繋がりますし、
“大泣き”については縁壱は“うた”を思い出して泣き、禰豆子は炭治郎を思い出して泣いたと思います。この“記憶”という点でうたと炭治郎が繋がります
(禰豆子が大泣きした理由については④で既に書かせていただきました。詳しくはまた別のnoteで更新するかもしれません)

縁壱がうたを思い出して大泣きしたと思う根拠についてですが、
縁壱は無惨と対峙したとき、「この男を倒すために生まれてきた」と思っています。
縁壱はうたを殺されてから鬼を倒すために鬼狩りになり、無惨にとどめを刺せなかったことを悔いています。
縁壱が生まれてきた“意味”が、「無惨を倒すこと」になってしまったのです。
そんな時、すみれを抱っこした縁壱は自分の“夢”を思い出したのではないでしょうか。
縁壱の夢は本来無惨を殺すことではなく、「家族と静かに暮らすこと」です。
つまりすみれを抱っこしたときに“うた(家族)”を思い出したのではないか、と思うのです。

(縁壱の場合、無惨への復讐というよりは“使命感”という感じがします)
過去の失敗に囚われていた縁壱は竈門家という“家族を守った”という“今”があることをすみれの笑顔によって悟るのです。
炭吉が「あなたは命の恩人だ」と言っても縁壱の心には響かず「なんの価値もない男なのだ」と卑下するばかりでしたが、すみれの笑顔は縁壱の心にしっかり届きました。
縁壱は兄やうた(家族)を守ることは出来ませんでしたが、「家族と静かに暮らす」という縁壱の夢が竈門家に息づいていると感じたのだと思います。縁壱が耳飾りを炭吉に渡したのは、その夢を託したからかもしれません。

(余談:12巻99話の炭治郎の夢の中の縁壱と21巻187話の縁壱が時系列的に繋がらないのが気になる。99話の方は記憶ではなくただの“夢”だったということなのだろうか…)


鱗滝は禰豆子に「人間を守れ」と暗示をかけており、禰豆子の目には人間はみんな竈門家の“家族”に見えていました。
堕姫を前にして復讐心に傾いていた禰豆子に炭治郎の声は届きません。しかし葵枝の笑顔によって復讐のために戦ってきたのではなく「家族(炭治郎)を守る」ために戦っていたこと思い出したのではないでしょうか。
禰豆子はとりあえず(とりあえず?)堕姫から炭治郎を守るという目的は既に果たしています。そして「家族を守る」ために(喰わないために)眠ったのかもしれません。


4、おわり(余談)

禰豆子の心情と縁壱の心情を重ねて考察してみましたが如何だったでしょうか。
縁壱に限らず、ぼくはチートキャラが大好きだということに最近やっと気づきました…。今後も縁壱と絡めた考察ばかり書いてしまうと思います…。

なぜ縁壱の物語を引き合いに出すのかというと、
(以前別のnoteでも書かせていただいたことをコピペします)
鬼滅の刃では“物語”を縁壱の“日の呼吸”になぞらえており、
回ったことによって“13個め”の物語が生まれます


このぐるぐると回る物語の“基盤”となっているのが日の呼吸の使い手である“縁壱”です。

というのも鬼滅の刃に登場する、”呼吸を使う鬼殺隊員たち”はみんな“縁壱と同じ人生を歩んでいるのではないか”と思わせる場面が多々あるからです。

(8巻68話)

というか、呼吸を使えない禰豆子にも縁壱の“後追い”となる物語があったのは意外でした。
この禰豆子大泣きの回は、縁壱で言うと日の呼吸の継承のきっかけとなる回でもあります。
もしも竈門家が日の呼吸を継承していなかったら無惨を倒すことは出来なかったと思います。
産屋敷輝哉が言うように、この禰豆子の大泣きの後から
(11巻97話)

“無惨を倒せなかった縁壱の物語”は大きく変わっていきます。遊郭編を機に、縁壱がなし得なかった“物語”が少しずつ紡がれていくのです。

…。

……『鬼滅の刃』はどこまでも緻密に物語が作られていて本当に凄いなと思います…………。

5、さらに余談

それから民俗学の観点から見ても面白いですね。
調べれば調べるほどわけがわからなくなるのでざっくりとしたことしか書けませんが…。みなさんもぜひ調べてみてください。
古事記には「天の石屋戸」という話があります。
太陽の神様である天照大神が天の石屋戸にこもってしまい、世界が暗闇に包まれて良くないことが次々と起こるようになってしまいました。
天照を外に出すため、神々が舞を踊って騒いでいる(笑い声)と天照が石屋戸から出てきた、という話です。
この石屋戸の話から”笑い”には強い力があると信じられ、
吉野の天皇社という神社では笑い祭が行われているそうです。
神楽と神楽歌も天の石屋戸の話が起源だとされているようです。神楽歌の中には”竈殿歌(かまどのうた)”というものもありました。関連があるのかないのかさっぱりわかりませんが調べているととても面白いです。
個人的に禰豆子は神として描かれていると思っています。
今回禰豆子の自我を呼び寄せたのは神楽歌ではありませんでしたが、
子守唄の歌と葵枝の笑顔が禰豆子を呼び寄せたのかもしれません。








note更新の活力にします‼️