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【洋書レビュー】Battle Hymn of The Tiger Mother / Amy Chua

こんにちは、師之井景介です。
英語学習に良い本ない?と友人に尋ねたところ、この本をおススメしてもらいました。実際、良い本だったので紹介します。本書は、アメリカの地で中国流の子育てに挑んだ著者の自伝です。

単語レベルと対象読者

特に英語の速読へ挑戦したい方にオススメです。育児方針についてあれこれ考えている方も、読んでみると面白いかもしれません。

単語のレベルは比較的高めで、英語中級者以上の内容だと思います。しかし文法がしっかりしているため、非常に読みやすい文章でした。

詩集や小説はやはり内容を味わいたいし、文体が工夫されていたりすることもあって、どうしてもゆっくりになってしまいます。

しかしこの本は、内容の大半が著者の自慢話なので、多少読み飛ばしてもいいやという気持ちでぐんぐん読み進めることができました。速読・多読のトレーニングには持ってこいの書籍と言えます。(とは言え、私の場合1ページ読むのに2分半~3分かかりました。本文は約230ページなので、だいたい11時間ほどかかった計算です)

ところどころ高度な単語も出てくるので、しっかり読めば語彙も増やせます。さすが、教養を鼻にかけるだけのことはあるなと思いました。

内容: めちゃくちゃ厳しい中国式子育て

中国からアメリカへの移民を両親にもつ著者、Amy Chua。彼女の、教育という名の戦いの日々が綴られてゆきます。“Tiger”は厳格さを表すようで、日本語で言うなら“鬼”といったところでしょう。
本書のタイトルを訳すなら、鬼母による戦いの賛歌とでもなるのでしょうか。

中国式子育てとは、とにかく厳しい子育てを指すようです。常に他者との比較に晒され、競争を強いられる文化。勉強して当たり前、トップを走って当たり前。

故にAmyは、二人の娘が何かを達成しても褒めることはせず、逆に伸び悩みや失敗、反抗を見せようものなら滅茶苦茶𠮟りつけるという、何それ地獄やんけというような教育を施してゆきます。

そして、子どもの自主性を尊重し放任するアメリカの親たちのやり方を”西洋式子育て”としてひたすらに見下し、こき下ろします。

感想: Amyの主張には全く同意できないが…

著者の主張を大雑把にまとめると、以下のようになります。

子どもは正しい自己決定などできるわけないのだから、選択権を与えず親が全てを決めるべき。
競争を勝ち抜いてゆくためには、厳しくしつけなければならない。人より優れていることが当たり前なのだから、何かを成し遂げても褒めない。

これは、間違いなく賛否両論でしょう。

というか私としては、この方の考え方には全く賛成できない。狂ってんなーこいつ、娘たちがただただかわいそうだなー、と思いながら読み進めてゆきました。

今の中国もそうなのかは知りませんが、この本を貸してくれた友人も中国出身で、中国やアジア圏ではこの考え方は一般的だと思うと言っていました。日本でも、特に高度経済成長期の頃などはこの傾向が強かったのかも、などと深い根拠はありませんが思います。

読み始めてまず感じるのは、いちいち自慢が鬱陶しい、権威主義で独善的で傲慢、絵に描いたような教育狂いである著者の姿です。

彼女は、長女Sophiaにはピアノ、次女Luluにはバイオリンを習わせるのですが、その熱意が度を越しています。平日だろうが休日だろうが、一日4時間も5時間も、幼い子どもたちに練習を強いるのです。狂気の沙汰。

しかし驚くべきことは、著者はここまで独善的な信念の持ち主なのに、その記述が非常にフェアであることです。自分の心情と行為のみならず、それらに対する周囲の反応も客観的に記載されています。ゆえに普通に読んでいると、「ここまで客観的に記述できるのに、自分の狂気が分からないの?」と大変奇妙な気持ちになりました。絶対に自分を曲げない、強靭過ぎる信念が迸ります。

特にこの自由の国アメリカで、娘たちはAmyの教育方針によって周囲の友人たちから分断され、常に自由を奪われています。そのストレスが何を生み出すか、周囲も読者も皆気付いているのに、著者だけは決して止まらない。特に次女のLuluは、Amyに対し猛烈な反発を見せます。これは誰もが納得するだろう反抗であり、むべなるかなとしか言いようがありません。

実際この自伝に描かれた戦いの多くは、AmyとLuluによるものです。いやマジで、娘さんたちがかわいそうでした。

しかし不思議なことに、結末まで読み進めるうち、徐々に著者の言うことも一理はあるかもという気持ちになってゆきます。

Amyの凶暴なまでの教育により、二人の娘は驚異的な楽器演奏スキルを身に付けます。そのスキルは、彼女たちにとって宝であることは間違いありません。そして彼女たちも、自らが得たその能力に満足しているのです。

子どもがずば抜けた能力を獲得するために、親が介入する場面というのも確かに必要なのかもな、と少しだけ思わされました。

しかしその一方で、終盤で遂に選択権を勝ち取ったLuluの輝きを見るにつけ、やはりAmyの方針が完全に正しいことなどあり得ないと思います。

結局のところ、完全なる束縛でもなく完全なる放任でもない、良いバランスが求められるのだなあ、という当たり前の感想に着地します。しかし、そこに着地するまでの示唆に富んだ本でした。

その中でも特に印象に残ったのは、以下の一節です。

Here's  a question I often get: "But Amy, let me ask you this. Who are you doing all this pushing for―your daughters" (中略) "or yourself?"
(中略)
To be honest, I sometimes wonder if the question "Who are you really doing this for?" should be asked of Western parents too.
Battle Hymn of The Tiger Mother p.148
私がよく受ける質問はこれだ: "でもAmy、一つ聞かせて。こんな押し付けを誰のためにしてるの?―娘のため?" (中略) "それともあなた自身のため?"
(中略)
率直に言うなら、私は時々思う。"それは本当は誰のための行為なの?" という質問は、西洋の両親たちにもまた向けられるべきだと。
拙訳

子どもの自主性を尊重すると言いつつ甘やかす両親は、結局のところ我が子から嫌われることを避けたいだけなのでは、とAmyは考えます。

そして躾には、時に最も愛されたい相手から嫌われる覚悟も必要なのだと彼女は言います。

うん、まあ、それは確かにそうかもしれない。否定はできない。でもあなたのやり方は、やっぱりどう考えてもやり過ぎだと思うよ。

少なくとも、子どもが何かを成し遂げた時には、ちゃんと褒めてあげてくださいよ。

どんだけ頑張っても褒めてもらえなかったら、自己肯定感も自尊心も、簡単にへし折られちゃいますよ。実際、他ならぬAmyの父自身がそうだったみたいだし、この本を貸してくれた友人も、同様の教育を受けた結果、やはりとても低い自尊心を持たざるを得なかったと言っていました。ダメじゃん。

それにしても最後まで、Amyの狂気を孕んだ教育への信念に驚かされるばかりの一冊でした。皆さんも是非、速読してみてください。


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