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〜瞑想〜欲張らない。呼吸を感じるだけで満足する。

こんにちは。工藤悠也です。

1年前ぐらいから、瞑想を習慣的に行っています。
ここ半年ぐらいは毎日30分は。と決めて続けている状態で、
今やってるのは主に自然な呼吸に意識を向ける瞑想です。

呼吸に意識を向けていると、いつのまにか他の思考をしていたり、妄想が始まったりと、意識がそれます。
それに気づいたらまた優しくゆっくり意識を呼吸に向け直すということを続けています。

そんななか、ここ最近気づいてきたことなのですが、
瞑想中に他のことに意識を向けてしまうのは、”呼吸”という平凡な刺激量の少ない状態に対し、退屈を感じて不満を感じているからなのかもしれないなと。
だから、違う刺激を求め、何か違うことを考えて満足しようとしているのかなーーーとも感じてきました。

”呼吸だけに集中するだなんて、退屈なことやってらんねーぜ!”
というイメージです。

これって、”セルフコンパッション(あるがままの自分を慈しみの心を持って受け入れること)”や、”足るを知る”とか、アドラー心理学の”何を与えられているのか。ではなく、何ができるのかに着目せよ”というアドバイスなどに共通する、

まず、今のあるがままの自分を受け入れて、満足せよ。
その上で、現実的にどうにかなる課題をクリアしていこう。

という考え方とは相反する気がしています。

今の自分には呼吸という平凡なことしか注意を向けられないとしても、少し我慢してその目の前の平凡な呼吸を注意深く観察して気づきを得る。
という行為を繰り返すことによって、今への注意力が高まると、
現実社会で今自分が直面している現状を直視して、ニュートラルに受け入れることができるようになるのかもしれないなと。

僕自身の中では結構この2つの能力の使い方イメージは近いです。

欲張らない。平凡な”呼吸”だけれども、その感覚だけで満足する。

焦ってあれこれ求めない。

うん。面白いですね。瞑想続けます。

ではまた明日。

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