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理由は「存在していること」だけで十分なのではないか。

こんにちは。
猫好きカウンセラー🐾若桜みつきです。


よく
「あるを見よう」と
言いますよね。

無価値感に苛まれているなら
「存在しているだけで価値がある」と。

お金が無いが口癖なら
「お金はある」と。


だけど
これがまた難しくないですか?

言うことはできるけど
心の底から思える気がしないとか。

そもそも
そんなこと言えないとか。

色んな思いが浮かんできて
進みにくいと感じることが多くないでしょうか。


「ない」を見るのは
脳に染み込んだ癖ですし

ネガティブ寄りの思考は
生存本能ですから

「あるを見る」にシフトしていくのは
なかなか時間がかかるように思います。


先日、ふと思ったんですよね。

「無い」を見てしまうのは認知の歪みだとして
じゃぁ認知の歪みが無いってどんな状態?と。


それは
『生まれてすぐの赤ん坊』だと思うんです。


生まれてすぐの赤ん坊はまっさらです。
そこには「ある」も「ない」もない。

ただそこに「在る」だけ。


ここまで考えた時に
「あるを見る」のも認知の歪みと言えるかも?
と思いました。

「ある」でも「ない」でもない
ニュートラルが歪みの無い状態であるとすれば
どちらかに偏ることは歪みになるなぁと。

歪ませようとするのだから
なかなか変わらないのも仕方ないのでは?と。


【無い↔ ニュートラル ↔有る】

思考経路を考えてみると
まず辿るのは
【無い→ ニュートラル】ですね。

【無い→ 有る】は
段階を飛ばしているから辿り着くのが大変
という可能性がある気がします。


これに当てはめて考えてみると、

無価値感 → 存在しているだけで価値が有る
ではなく
無価値感 → 私はここに在る。それでいい。

お金がない → お金は有る
ではなく
お金がない → お金は在る

ということになるでしょうか。


有価値かどうかではなく
存在しているかどうかだけ。


一生懸命に頑張って
「自分は有価値である」と思うより

「存在しているからそれでいい」くらいの方が
ハードルが低くていいと思うんです。


ここに存在していること。

ただそれだけが
ここにいていい理由でいいと思うのです。


いつも読んでくださってありがとうございます。
あなたがいつも愛に包まれていますように。
若桜みつき
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