見出し画像

ベルゴジャポネーズ モモ3

モモはインターネットで買いたいものがあるらしい。
「インターネットで買いたいものがあるんだけど」
「何?」
「帽子」

「洋服とか、帽子とか身につけるものは実際に見て、試着してから買う方がいいよ。インターネットのイメージだけじゃわかんないし、サイズとか、色とか、布の触感とか実際に見ないで買って、届いてからなんかイメージしてるものと違ったとか、サイズが合わなかった、とかいうことがあるだろうし、返品とか変更とかも大変だから、できれば直接お店で買う方がいいと思うよ」

「でもベルギーには売ってないものなんだよ」

「どこの国のサイトで売ってる物なの?中国とかの遠い国からだと送料も日数も結構かかると思うよ」

「とりあえず、欲しいモノのリンクをママのメールに送って。リンク見て、考えてみるから」

自分の中の直感みたいなものを鈍らせないためにはできるだけネットで買い物しないで実際に自分の目と感覚を通してモノを選ぶということが大事なような気がする。でもコロナ以降はますますインターネットの買い物が当たり前になってきてる現実との矛盾。
最近はこの自分の周りの物や人や事と自分の感覚の間に起こるズレみたいな違和感という感覚に正直に向き合うようにしている。時間をかけて向き合っていくと何かが見えてくる。自分なりの答えが現れてくる。

モモから送られてきたリンクを見てみると
モモが欲しいと言っていた帽子は『カエルのかぶり物』だった
値段は3ユーロ。日本円で500円しない値段。
モモは洋服が好きで、仮装するのが好きだから、きっとここれも仮装で使いたいんだろう。というのは理解ができる。
良く見てみるとやっぱり中国のモノで中国からの配送となっている。
ということは、やはり送料がこの品物よりも高くなるのは予想できる。
高くないし、すぐに買ってあげることもできるんだけど、『ちょっと待った!』と自分の中で誰かが言ってる声が聞こえる。
カエルのかぶり物。しばらくそのカエルのかぶり物を眺めていると、なんだかカエルのかぶり物がだんだん可愛らしく見えてくるようになった。
確かにこれを被ってる人が目の前にいたら、楽しい気持ちなって、笑顔になるだろうなあ。これもモモの演出のアイディアのひとつなんだろうなあ。
普段はどちらかというと、人前にでるのが好きじゃない消極的なタイプ、できれば目立ちたくない性格のモモ。仮装をすることで、普段の自分から違う自分に変身できるのだろう。モモは子供の頃に一人っ子だったせいか『ごっこ遊び』をほとんどしない子供だった。人形遊びもしているところをあんまり見たことがなかった。
だからなのかなあ、この年頃になって『ごっこ遊び』をしたくなってるのかもしれない。
でもよく考えてみると大人でもこの『ごっこ遊び』の核心みたいなものはすごく意味があって大切な気がする。何かになる、その気になる、演じる。毎日の生活の中で人間はこの何かになることを繰り返してるんじゃないのか?ごっこ遊びを本気でやっているのは実は大人なのかもしれない。
お母さんごっこ、お医者さんごっこは自分の子供の頃の記憶で一番良くやった遊びなのでよく覚えている。大人になるとこの遊び心を忘れていくというか無くしてしまう。でも人生というのは実はこの「ごっこ遊び」とも言えるんじゃないの?
本気で遊べた人の勝ち。
モモが私に教えてくれているんだ。きっと。
モモは無意識なのかもしれないけれど。
教えようとしないからこそ、構えないで、ぼんやりとした状況の中でそのものの全体像を把握しようと、捉えようとしてみることが学ぶということの真髄なのかもしれない。そう考えると、遊び心、いたずら心は人生の演出にとって重要な役割になる。

とりあえずその日はカエルを購入せずに保留。寝かせて様子を見ることにした。
自分の中のこの事に向かう考え方と心の動き、モモの様子。1週間くらいしたら、モモもこのことをすっかり忘れるかもしれないし。

数日後、たまたま用事で尋ねた場所の近くに大きな生地屋さんがあったのを思い出して入店。
ハギレのコーナーを覗くと、まさにカエル色のフリースの生地が1、5Mで5ユーロで目に入る。迷いなく購入。
モモにカエル色の生地を見せながら
「今日この生地見つけたんだけど、モモの欲しい帽子を自分で作ってみることにしたから一緒に作ってみない?」
「いいけど、でもインターネットと同じヤツがちゃんと作れるの?」
「うん、多分だけど」
「全く同じじゃないとダメだからね、違ったらインターネットで買ってよ」
モモはインターネットで買うという選択肢から、自分で作るという選択肢に頭を切り替えられないらしく、本当にインターネットのイメージの「カエルのかぶり物」が作れるのかどうかを疑っている様子。
去年コロナが始まった時にマスクを自分で作りたくてミシンを購入した。
その昔は自分で洋服を改造して着るのが好きだったなあ。ダンスをやっていた時代はダンスの衣装もよく自分で作ってたっけなあ。洋服の作り方は中学の家庭科で習っただけで、特に専門的に学んだことはない。でも布地を選んで、デザインを考えて、雰囲気をイメージしながら一枚の平たい布から人間の立体的な体に合うように、創造しながら生み出していく時間はドキドキする、すごく楽しい時間だった。
遊び心。
夢心地。
インターネットで「かぶり物、型紙」の検索をしたら案外簡単に型紙の無料ダウンロードができた。
型紙と布をモモに切ってもらう。
カエル色の平たい布を立体のかぶり物にしていく時間。
モモと遊ぶ時間。カエルの被り物作成者ごっこ。インターネットのかぶり物のイメージ写真を見ながら、できるだけそれに近くなるようにしていく。
「もうちょっとここが平らになるといいのかな?」
「目の位置がもう少し外側の方がいいのかな?」
ああだ、こうだお互いに言いあいながら、少しづつ形を作り出していく。
「布はまだあるから何回か作ってみようよ。これがうまくいかなかったら、次はきっともう少しイメージに近いものが作れよ、きっと」

「アーティストっていうのは、自分のこだわりがあって、納得がいくまで何度も何度も繰り返すから傑作とか名作が生まれるんだろうねー」
たかがカエル、されどカエルのかぶり物
カエル色の布地を通して、モモとの間の時間が流れていく。
いつもならば夕ご飯を食べ終えると
「じゃあ私は自分の部屋に行きまーす、ごちそうさまー」と即座に自分の部屋に姿を消すのが最近のモモだったのに、カエルのかぶり物の創作を始めたら、夕ご飯の後に
「カエルの続き、今日もやる?」とやる気満々のモモ
「今日はフェルト買ってきたから、切って目を作ってみたら?」
モモはイメージの写真を見ながら、フェルトを手に取ってカエルのかぶり物の目を作り始める。

「大きすぎー!」
「なんで丸く切れないのー、これ!」
「ダメだこりゃ。」
「このノリうまく貼れないよー。」
ネットショッピングモードから手作りモードに頭がすっかり切り替わったようだ。
そして、次々に出てくる問題や困難に向き合いながら、自分の頭を使って理想の形に向かっていく。
「やっぱりこれ可愛い、大好き。このカエル」
出来上がったカエルのかぶり物をかぶってどこか得意げで嬉しそうなモモ。

朝、2階に上がろうとして階段を登り始めると階段に何かが置いてある。
近づいてみると、大きなポテトチップスの袋と手書きのメッセージカードが階段の途中に置かれてた。

母の日にあげるものがないけれど、このChipsをうけとってください
Present
モモ

漢字を書くのが嫌いなモモだけど「母の日」はしっかりした漢字だった。

つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?