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文法以前(9)自分の言葉? そんなもんあんの?

Happy vernal equinox! 春分おめでとうございます。
確認してないしそもそも私は使わないので関係ないんですが、何か春分関連のワードが商標登録されているとか。これ、どうなんか。

職業柄、《禁句》多めの状況下で書くことが多いんですが、実を言うとそこに不自由を感じたことは特にない。ないんですが、すれば良いというような商標登録はどうかと思うし、時に暴力的あるいは暴力そのものだったりするのは確かなようです。著作権(保護)は大切だし尊重しないといけないんですが、これ、特定の言葉に対して特定の人物が所有権を主張しているといった、吐き気のする状況とどこが違うのか/違わないのか。地球を勝手にゾーニングの上区分所有する《国家》や《私有地》の発想に近いようでもあるし、前提としてとんでもない勘違いや思い上がりがあるのかないのか。

《言葉に対する所有権》という発想を前提とする、《自分の言葉で》うんぬんという言い回しが苦手だ。 
これは、あるいは、《言葉》を生命体なのかそうでないのか微妙な《ウイルス》のようなものとしてとらえている私の感覚が多少特殊なのかも知れないが、《自分の言葉》などと言ってしまえる時点で他者をモノ扱いしていると感じてしまい、大変に不快。
また、私は小説などのいわゆる創作を《裡なる他者の存在を言語化して示すゲーム》と捉えているのですが_下記リンク先参照_……。


やっぱり、少しおかしいんだろうか。
整備され可視化された法体系よりも、視える人にしか視えない暗黙の掟を懐かしく感じたりするのは、こんな折である。



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