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4月3日(土)ハジマリとかオワリとか

同棲中の娘の彼氏に会ったり、緩やかに衰弱しつつある父の送り方について身内で話し合ったり、思えばキツイ1カ月だった。ほかにも何やかんやと、もうしばらく続くだろう。

娘の彼氏は、自分と違って理系の青年で、仕事は研究職とのこと。何の研究をしているのかと尋ねたところとても丁寧に説明してくれたんだけど、結局イマイチわからず。まあ、こんな感じなら、少なくとも仕事の内容については意見が対立することもなさそうだ。良かった良かった。などとバカのポジティブシンキング。

父の送り方については、人の生死や宗教観の違い以前に語彙の混乱もあってなかなか話が進まなかった。例えば、家族葬の「葬」が葬式の葬であるのに対し、樹木葬の「葬」は埋葬の葬だったりするせいで、ともすると何について相談しているのか訳わからなくなったり。これは割かし面倒で悩ましい。

〜「文法より語彙」説、一理あるつーかやっぱそやろね感強く。例えば、いくら複雑な構文を使いこなせても「選球眼」とか「変化球のキレ」が何のことかわからないと、野球談義に支障をきたす〜

にしても、それなりに厳粛な「始まり」とか「終わり」の問題に、どう対処するべきか。自分は超ケーハクな人間なんで、どっちも、その、失礼しますっ、て訳にもいかないみたいだ。

カルロス・カスタネダの著作中に出てくるヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスは、著者が創作したキャラだという説もありますが、「始まりも終わりも、お前の頭の中にしかありゃせんのだ」みたいなことをたぶん言ってた。と思う。

もっと話を大きくしよう。稲垣足穂『宇宙論入門』に、こんな一節がある。

『……この時間と空間の世界に、考えられるかぎりの大破壊が起こったとしても、それはやはり一つの改革を目的とするものであって、全体としての話ではない』


という訳で、ここは未来と過去の話で笑いたいと思う。

※笑うポイントが他人と違っても、そんな悩まなくて良いと思います。ズレてるてことはスペースがあるてことだし、ポリリズムのグルーヴには欠かせない要素だから。自分は「土になった」「わんぱくやったんやろな」でむちゃ笑ったけど、動画ではその部分に笑い声を確認できなかった。

※Captain_Tのアイコンは、椋妃さん撮影の私の右肩です。

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