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10月2日(土)成功体験

ここ暫くの振り返り作業に関連して。


失敗から学んだり、成功によって自信をつけてうんぬんといった話を割と聞いてきたし、今も結構頻繁に目にし耳にする。

だが私は、失敗から学びたい訳でも、成功によって自信をつけたい訳でもなく。単に視界をもっとクリアにできたならそれに越したことはないと思うだけで、たまにやる振り返り作業は、言ってみれば意識の窓拭きのようなもの。

そして、「成功体験」の方がよりクセモノつーか警戒すべき記憶だと考えている。

私が社会人になった頃、「成功体験」の大切さを説く人は既に多かったと記憶する。それが、場合によっては悪いこととして語られだしたのは10年ほど前か(不正確)。

例えば、どこかの企業の管理職が「成功体験」の記憶を持って、もう少し待遇の良いライバル企業の同ポジションに移った場合、時代も組織もまっく違うにも関わらず、かつてうまくいったやり方にこだわるあまり、そのまま踏襲してしまいがちだからうんぬん。これ、いろんなルールが次々と上書きされている今のタイミングますますヤバイっしょ。


日本語の濁音は、非母語話者にとって時に難しくまたは紛らわしいものらしく

「ごめんなさいカラス割っちゃった」

とか言ってしまったりする。

日本語の場合、有声音と無声音は言語的に異なる音として認識されるのでうんぬんかんぬん。といった説明が伝わる筈もないので、ややお腹に力を入れ、私は濁音の発声を実演してみることにした。

「しっかり声を出します。がー」

幸い、すぐに伝わったのでホッとする。

要領を掴んだらしい彼は

「ガイモノ行きます/漢字で書ギます/ムラガミハルギ読みます」

などと、謎の濁音混じりフレーズを連発しながらケラケラ笑っていた。

濁音含む有声音は、日本人にとっても難しい場合があるように思う。と言うより「難しいから言えなくて当然だよね」の勢いで正しい日本語たらはデザインされてるんやないか。

ビッグカメラではなく『ビックカメラ』、ビッグスモールンではなく『ビックスモールン』、『ビックデータ』の活用について熱弁された時は、なぜか笑いを堪えるのに大変な努力を強いられた。


で、今回のプチ成功体験、今後の人生の中で、果たして吉と出るか、凶と出るか。

自分では、シニフィアン/シニフィエ または 指すもの/指されるものの対応関係が、少しだけクリアに見えるようになった気がしている。

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