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第三の可能表現「心情可能」について

「2023年が木村(仮名)にとって素晴らしい年になりますように」
と、新年早々、敬称落としたまま大事なメールを送信してしまった。

 気を取り直し、先週土曜_てことは昨年の大晦日_の振り返り関連雑記を。
 私は、この一年でいろいろと、これまでできなかったことができるようになってきた。
 今、「できる」という可能表現を使ったが、これは「能力可能」でもなく「状況可能」でもなく、「心情可能」とでも呼ぶべき第三の可能表現で。勝手に設定していた私的タブーが、何らかの理由で無効化された場合に出てくる。ことが多い。
 例えば、

《私は、宣伝会議賞に初めて応募することができた。》

 何で今までできなかったかというと、素人でも応募できる賞にプロが応募するのは、もしかしてものすごい恥ずかしいことなんやないか。更には、自分と同じ課題にチャレンジしたコピーライター志望の学生や、コピーライターじゃないけどキャッチフレーズ作ってみました、てな人らが入選し、自分のは選にもれたりしたら、さらに恥ずかしく。
 それらが、何でか、良くも悪くも、まったく恥ずかしいことでも何でもないようなってきた。
「能力可能」というのは、自分のだいたいのスペックを認識できていれば、その可能性の程度について、それほど大きく判断を誤ることはないように思える。
「状況可能」については、客観をそこそこクリアに見渡せていれば、何となくそれなりのタイミングが掴めるんじゃないか。よろず不可視化バイアスをキャンセルしつつ、そう思う。
 いずれにせよ、可能表現には「能力可能」と「状況可能」の二つしかないんだと思い込んでしまうのは最悪なんで。今年こそ、床と天井の間にもう一つ直角を見つけようと思う。


※宣伝会議賞は、かつて糸井重里さんも受賞されてますが、応募時点で既に職業コピーライターだったそうです。

※検定試験等には、可能表現はヘッダ画像の2種類であるという前提で付き合ってあげたら良いと思います。第三の可能表現うんぬんと解答し点がもらえなかったとしても責任は負いかねますので。

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