文法以前(2)私のナワールまたはneither/neither world
【2022.7.2追記】グラデーションとはまた違う意味で微妙な領域。または、今ここで自分が属している社会/文化において支配的なロジックとは、まったく違う何かによって動いている世界。それらと言語について。
今回の話は、ちゃんとわかるように書けるかまるで自信がない。と言うか、どう書いたものか困り果てつつ。だからこそ書くべきだ。と、そんな気持ちでトライしてみたいと思います。
日本語という良くも悪くも微妙な言語を話したり聴いたり書いたり読んだりしながら生きることは、私にとっては即ち、端折って言うなら「ナワールとしてneither/neither worldを生きる」ということです。ほら、やっぱり何のこっちゃ訳わからない。
ナワールは、カスタネダの「ドン・ファン」シリーズに出てくるワードで、単純にはヤキ・インディアンの呪術師 ドン・ファン・マトゥスの別名だったりするが、ざっくりそれが指す意味を私流に説明すると、
1)こことは違ったロジックが支配する別レイヤーの世界
2)二つに裂けたアタマを持ち、「こっち側の世界」と「別レイヤーの世界」を同時に生きる者
であり。
neither/neither worldは、
1)「ゾス・キア」という独自の体系を打ち立てた二十世紀の魔術師 オースチン・スペアが唱えた概念で、雑に言えば「あっちでもこっちでもない世界」
2)ロックバンドの名称
です。
ちなみにバンドの方は、一度共演じゃないけど、とあるライブイベントで同じステージに立ったことがある。トリはYBO2だった。
余計困ったことになってきた。どうしよう。政治的には右翼でなく/左翼でもなく。というと、二十世紀の日本で頻繁に使われていたらしい「ノンポリ」といったカタカナ略語などが想起されるが、誤魔化して「関係ない」という態度を取ろうというのではなく、むしろ反対で。シュレーディンガーの猫よろしくどっちの立場をも引き受けるというか、掛け算もすれば足し算もするというか……。ますます意味不明の文章になっている。
高橋源一郎さんの『「ことば」に殺される前に』に収録されている『午前0時の小説ラジオ』の章に、あ、それそれそれです。と思えるような箇所があったので全文引用したいような気持もあったりするのですが、長くなり過ぎるので諦め、p225〜229あたりから引用しつつ無理矢理キュッとまとめるなら『「私の責任は私が引き受けたものに限られる」という考え方』を是とせず、二つの『「責務」に引き裂かれたまま』の状態を選択すること。つまり「ナワールとしてneither/neither worldを生きる」ことにほかならないのです。
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