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はじめに

JL Lab.のCaptain_Tです。何のこっちゃ。でも、こんな感じでいこうと思っている。

「JL Lab.」は、個人事業主として用いている屋号。通常、屋号の後に続く名前は本名、かもしくはビジネス用の源氏名的なものみたいだが、Captain_Tは今のところ、厳密に言うと若干微妙な部分ありつつ、そうはなっていない。
「サタデーナイトフィーバー」とか言って、振り返り雑記をほぼ週一でたぶん書いており、その中には「日本語」または「言語」に関するものが結構あったりするんですが、早い話それを独立させたマガジンを一つ作ろうと。
何でかと言うと、一つには、振り返り作業と直接関係ないコトバ絡みの雑文が多いことに気づいたから。あと、自らの職業人視点を不自然に排除したくなかった。というのがあります。

言葉、それが話し言葉にせよ書き言葉にせよ、自分の仕事には一切関係なく、仕事中もその前後も何も喋らんし、書かんし、聞かんし、読まん。てな人は、かなり珍しいだろう。こんなふうに殆どの「みんな」がコトバを使いながら働いている訳ですが、私の場合、もう少し面倒な関わり方をしており。具体的に言うと、大学を卒業してからはじめた「コピーライター」、一昨年資格を取得して昨年実質的にはじめた「日本語教師」、その他ゴニョゴニョやってる「やさしい日本語」講師などで関わっており、アカデミシャンではないが、場面によってはその筋の専門家とかプロとか呼ばれ得る立ち位置にいます。いる訳ですが、

私の実感としては、たぶん分野を問わずプロと呼ばれる人種は、無駄に買い被られたり、意地悪く排除されたりしてしまうことがある。前者のバリエーションつーか、いい歳した子泣き爺に甘え寄りかかられるのも気色悪いものですが、後者のケースをもう少し説明すると、「素人」を自認する「素人」たちが「素人」として何かしらを楽しんでいる場に交ぜてもらおうと近づいても「プロが何しに来たんだ?お断り!」だったり、「ここにはカネの為にやってる人いませんので」とバイ菌扱いだったり。というのが、残念ながら本当にあるのであり。
私は、そこに、極めて日本的な2種類のナンギを見る。

一、病的なまでの潔癖主義とアマチュアリズム信奉
二、「空気読めカルチャー」に起因する同調圧力と排除グセ

どちらも簡単にまとめる自信がないので、または簡単に済ませたくないので、その都度書いていきたい。

てかね、職業を明示しながら、職業人視点から見る、言う、みたいなことを敢えてやってみたくなった。それは、「変わった(と本人が考えている)趣味」や「ヤバイ(かも知れないと本人が思い込んでいる)道楽」などと同様、勇気を出してカミングアウトしてみたところぜんぜん大したことではなく、良くも悪くも「ああ、そうなの」程度だったりするんじゃないだろうか。という思いが強くなってきたんですね。もちろんそれには、きっと時代の流れなんかも関係しているんだろうと思います。

多くの日本人は慎ましいからか、または周囲からの同調圧力を警戒するためか、自らの「変さ値」を高めに見積もってしまいがちのようだ。

と、だいたいそんな感じの動機なんですが、もう一つ外せないきっかけは、片岡義男さんのエッセイ(註)を読んだこと。

第二次世界大戦と言うのか太平洋戦争と言うのか、終戦後、日本の子どもたちは、米兵を見ると「ギブミーチョコレート」と叫んだ。繰り返し語られ書かれ拡散されるうち、直接は知らなくても、たぶんそんな時代があったんだろう、ぐらいの感じで自分も処理していたエピソードについて片岡義男さんは、はっきり「伝説」と記している。

詳しく書きすぎるとネタバレになるのでどうかとは思うんですが、行きがかり上記すと、英語の構文について何の知識もない日本の子どもが、いきなり「ギヴ・ミー・チョコレート」なんて言えるだろうかという話。

著者が紹介してくれている実際の例は、「チョコレート・ワン・サービス」だ。「チョコレート/一つ/ちょうだい」に一つずつ知っている英単語(と言うよりカタカナ単語)を当てはめていった結果できた文章らしい。もちろん、米兵には通じなかったようだ。

マガジンタイトルの『ラボにて』は、必ずしも事務所で書いているという意味ではありません。『ラボより』だと営業的過ぎる気がして何か嫌だったので。

(2021年10月8日 2回面ワクチン接種の日に)




註:片岡義男『言葉の人生』左右社,2021



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