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神とは何か 『霊訓 第四回(※長文注意)

第四章 絶対無限の存在とキリスト意識

 本章は説明しようとする事の性質上、難解な表現をせざるを得ない部分があります。難しいと感じた時は無理に読み進めようとせず、どうか興味が湧いたときに読んでください。

 神とは何かということを人類は遠い過去から探求してきました。神とは古代の人々が想像したように、決して怒ったり祟りを成すような人間的な存在ではありません。

 神は愛であり、生命です。始まりもなく終わりもない。永遠にして不変、無限であって私たちの理解を越えるもの。それは言葉で表現することはできず、形に表すこともできない。私たちの限られた認識能力ではその被造物から創造主の絶大な叡智を推し測ることしかできません。

 絶対無限の存在(性)という言葉が、現在のところ神を最も正確かつ端的に表した表現と言われています。神はこの「存在がある世界」を超越しているので絶対無限の存在性と呼びます。この「存在という概念がある世界」においてのみ、絶対無限の存在と呼べるのです。

 旧約聖書において、モーゼがシナイ山頂で神から十戒が書かれた石板を授かり山を降りてくると、人々は金の仔牛を作って神として祭りあげていました。それを見てモーゼは折角授けられた石板を投げ捨てて割ってしまうほど激昂しました。

 金の仔牛を拝むことの何がそんなに良くないのでしょうか? それはつまり、こういうことです。

 まず第一に無限である神を有限である形態に押し込めることは出来ないということ。それは神に対する冒涜です。

 もうひとつは、形を与えることで私たち自身を真理への道から閉ざしてしまうからです。

国々の偶像は金銀にすぎず人間の手が造ったもの。口があっても話せず目があっても見えない。耳があっても聞こえず鼻があってもかぐことができない。手があってもつかめず足があっても歩けず喉があっても声を出せない。偶像を造り、それに依り頼む者は皆、偶像と同じようになる。

旧約聖書 新共同訳 詩編115:4-8

 無限なるものを理解するということが私たちの目的です。それに形を与えるということは、自分でゴールラインをひいてしまうことになります。

 つまり形に押し込めた神を拝むことによって、その時点で神に対する理解が止まってしまうのです。そしてそれは神とは似ても似つかない人間の概念が作り出した別物になってしまいます。ですので、真理の探求者は「神」という呼び方ではなく「絶対無限の存在」と呼ぶのです。

 神は形を越えていて、常にとどまることはありません。したがって、形である思考や理性では理解できないものなのです。

 ではどうやって神を知れば良いのでしょうか?

 それは、私たちのハートを清めて直接に知ることです。

 キリスト意識とは、地上に顕現した神の意識のことです。意識とは何でしょうか。意識とは生命です。私たちは生命を表現する媒体として神によって創られた器なのです。神は私たちの意識を通してご自身をご自身の内に表現なさるのです。

 ヨハネの福音書は、こう始まります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

新約聖書 新共同訳 ヨハネによる福音書1:1


 この言がキリストです。神の権威です。そしてこのキリストは、ナザレ人イエスの事を示す意味の他に、私たちひとりひとりの中にもおわすキリストの事を指しています。
 
 神の言は形と成り、この物質の世界において私たちひとりひとりの現在の人格という暗闇の中で光輝いているのです。

 現在の人格とは、今、あなたがあなた自身だと思っている人格のことです。それは前にも述べた、時間と空間の中で造られたあなたの経験とその反応の蓄積の結果造られた人格のことを言います。

 それに対して永遠の人格と呼ばれるものが本来のあなたなのです。これはハイヤーセルフ、真我とも呼ばれます。

 霊とは不変の御霊、つまり神です。それが個別化したものを魂と呼びます。個別化といっても、神を分割するという意味ではありません。神は一柱のみ存在し、同時にすべての個として存在します。つまり私たちは皆、神の子供なのです。

 この全大宇宙全てが神の御心であり、私たちは神の御心の中で生きています。そして、私たちひとりひとりの中にも神がおわすのです。そして私たちが今見ているこの世界は、はじめから神の中に完全なものとして既にあったものを顕現しつつある過程なのです。

 以上が限りある言葉で表した神の概念のほんの一欠片ですが、大切なのは真理を理解した、と誤解しないことです。真理は永遠に理解できるものではありません。なぜならそれは神御自身(無限)なのですから。
           第五回へ続く


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