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しきから聞いた話 112 一周忌

「一周忌」

 古くから行き来のある家で、一周忌の法要を行うと聞いていたので、その前日に訪ねた。

 菩提寺の住職は施主の従兄だし、法事には遠方の親戚を呼ぶことをしない。本当に内々の法事なので、せめて前日、故人への挨拶だけをさせてもらおうと思ってのことだった。

 一年前、葬儀の日のことは忘れられない。

 亡くなったのは施主の祖母で、卒寿を迎えても、自分のことは何でも自分でやれる元気な人だった。ところが夏風邪をこじらせて、まさかと思うほどのあっという間に旅立ってしまった。

 家族は皆、悲しみの実感が持てず、あたふたとしていた。その、足元のおぼつかないような時間の中で、事故が起きた。
 家の中を片付け、掃除をしているとき、どうしたはずみか、洗剤のようなものが、飼っていたハムスターのかごの中にこぼれたらしい。何がどうしてそうなったか、結果として5匹のハムスターが死んでしまった。

 この小動物は、この家の6歳になる美喜という娘が、可愛がっていた。

 美喜にとってはこのとき、曾祖母の不幸よりも、ハムスターの突然の事故の方が、ずっとずっと重大だった。あまつさえ、大人達は曾祖母のあれこれにかかりきりで、ろくに相手をしてくれない。
 美喜が、泣きはらした顔で、部屋の隅に座り込んでいた姿が忘れられない。

 一年ぶりに通された仏間で、施主とあれこれ話しているうち、美喜とハムスターの話になった。

「あのときは本当に申し訳ない、でも、助かったよ」

 こちらは弔問に訪れた立場だったが、この家の人々とは親しく、菩提寺とも懇意だ。

「まさか、ハムスターの葬式をしてもらうだなんて。いま考えてみると、ばあちゃん、呆れてただろうな、と思うよ」

 なんの。こちらは真剣に弔わせてもらった。

 美喜は曾祖母の死を理解し、悲しんでいた。けれどそれ以上に、自分がずっと心を寄せ、自分が守るべきと感じていた小動物の死を、悲しんでいた。その自分のことを、曾祖母は理解してくれるとも感じていた。

 6歳には6歳の心が、ある。その心に対してできることがあるならば、やるだけだと思った。

「今日は、きみが来るからって、美喜は朝から庭で、ハムスターの一周忌の準備をしているみたいだよ。頼子がまた真面目に付き合ってやるもんだから、おおごとになってる。ちょっと、見るだけでも見てやってくれないかな」

 施主はふふっと軽く笑ったが、そう馬鹿にしているのでもないらしい。ただ、子供のことだから、今は好きにさせておこう、というところか。
 頼子というのは施主の妻、美喜の母親だ。明るくさっぱりとした性格の人で、実は一年前に、ハムスターの葬式をしてやれないかと言い出したのは、頼子だった。

 施主との話もひと区切りがついたので、庭に行ってみることにした。
 一年前、美喜と一緒に墓を作り、供物を置き、香を焚いた、花壇の脇だ。

 行ってみると、施主はおおごとと笑ったが、そんなこともなかった。

 墓標として置いた丸い石はきれいに洗われ、周囲は草取りがされていた。墓標の前には白い小皿がふたつ。ひとつには小さく切ったニンジンとキャベツ、もうひとつには、ひまわりの種が盛られていた。
 頼子の姿はなかったが、今まで一緒にいたのだろう、火をつけたばかりの線香が、墓標の前、土に直接立ててあった。
 近付いていくと、しゃがんでいた美喜が、肩越しに振り向いた。

「あ、」

 一年経って、7歳。一年分大きくなってはいるが、心根に変わりは無いようだ。

「これで、いい?」

 いいよ、と答えて、隣りにしゃがんだ。
 一年前と、同じようにしよう。

 横には、美喜を慈しみ、愛しみ、守ろうとする、曾祖母がしゃがんでいる。
 墓標の前では5匹のハムスター達が、せわしなく小皿のご馳走の匂いを嗅いでいる。

 その姿を、見えるようにしてあげよう。
 一年分の想い、一年分の変化を、一緒に過ごすといい。

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