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しきから聞いた話 86 権現さん

「権現さん」

 資産家のあるじが数年前に亡くなった際には、葬儀に出かけていった。

 跡継ぎの長男がその翌年に亡くなったときは、菩提寺の住職に呼ばれた。

 とても健康に見えた長男が、急な病に倒れたので、その後の不安もあって、いくつかの相談を受けた。
 もともとが古い家で、代々のあるじが誠実な人達だったから、資産家とはいえ誹謗の的になっているとは思えなかった。心根悪しき呪詛のたぐいが打たれているとも感じられなかったので、長男のことはまことに不運としか言い様がないし、特別な祭祀も不要と伝え、一族みなに納得してもらった。

 今回は、それとは別の話のはずだった。

 相続のあれこれを決着するにあたって、所有地の一部を売ることになった。
 地形が三角形のようなところで、これまで空き地のまま、使っていない。しかし以前からこれを欲しがっている会社があったので、手っ取り早くここを売ることにしたのだという。そのこと自体には、問題はなかった。
 しかし。

 この土地の端に、小祠があった。
 買主はこれを壊して整地し、コンビニエンスストアを建てる計画らしい。
 一族みなが、それを不安に思っているのだという。

 つまりは、長男の不幸について、みなが心からの納得をもって受け入れられてはいない、ということではないか。別の話だが、と言っては来たが、根は同じに思われた。

 訪ねて行くと、亡くなった長男より七つ年下の、次男が迎えてくれた。

「なんだか、はっきりしない話で、申し訳ありません」

 次男は四十代と聞いていたが、もっと若く見える。
 この一族の者らしく、真面目で優しそうな人物だ。

「あの三角地を売ること自体は、もう、決めているんです。まあ、相続税のこととか、色々あるけれど、買いたいって言ってくれる人が、いるわけですからね」

 問題、つまりは皆の気がかりは、あの小祠をどうすればいいか、ということだろう。
 そのまま売って、買主に任せるか。あらかじめ自分達で撤去するか。あるいは移動して、祀り直すか。

「そうです。まさに、おっしゃる通りです」

 次男は目を少し見開いて、二度三度うなずいた。

 ところで、あの小祠はこれまで、どのように付き合って来たものなのか。これまで何もしていなかったのと、大切に世話をしてきたのとでは、今後のやり方がまるで違ってくる。

「いやあ、それなんです、困っているのは。実はうちって、家の中でも外でも、結構、神仏のお世話をさせていただいているんですけれど・・・」

 それは知っている。だからこその、古くからの付き合いだ。
 ところが、続いて聞かされた次男の言葉には、いささか困惑した。

「くわしいことって、代々、跡継ぎにしか教えないんです。しかも、書き残されたものが全然なくて。だから、兄貴は全部、知ってたはずなんですけれど、私は何も教わってないし、兄貴から聞く間もなかったですし」

 次男は、困った、という目をしながら、薄く微笑んだ。

 これでようやく、この家の人々が、何を気がかりとしているのかがわかってきた。
 つまり、どうすればいいのかを知る人がいなくなって、まさに、どうすればいいのかがわからなくなっているのだ。おそらくは三角地の小祠だけでなく、ほかの神仏についても、事の軽重の違いこそあれ、困っているに違いない。

 やれやれ、どうしたものか。

 ここで物事を複雑にしてはいけない。事の始まりが三角地の小祠だというのは、きっと意味のあることなのだ。神仏に関わるとき、こういった順序、そして考え方の単純化は、大切だ。
 ならばまず、小祠から始めよう。

 第一に。小祠を一族のみなは、何と呼んできたのだろうか。

「権現さん、ですね。昔、区画整理で道路が広がる前は、卯の権現さんて呼んでたらしいです。でも、道路が今のようになってからは、三角地の権現さん、です。ほかにも権現さんはいくつかあるので、それで区別していますね」

 なるほど。母屋から東(卯)の方角にあるので、卯の権現か。
 名前がわかれば、やりやすい。

 さっそく場所を移して、次男と共に、権現の小祠の前に立った。
 まずは卯の権現と呼びかけると、小祠から、気が抜けるくらいあっさりと、返答があった。

「やれ、久しう聞かなんだ名で呼ぶは、誰ぞ」

 ずいぶんと友好的で、のんびりとした調子だ。
 ならばと思い、話をかいつまんで伝え、つまりこの土地を売るから、あなたをどうすればいいですか、と、尋ねる形で下駄を預けてしまった。
 権現は、しばらく沈黙したあと、ぽんっと軽く投げよこすように、こう答えた。

「好きにすれば、よいぞい」

 え、と声がもれてしまった。
 隣で次男が、不安げに眉を寄せる。
 しかし権現は、こちらが思いもしなかったことを語り出した。

「好きにすればよい。これまでずっと、そうしてもらってきた。先のあるじが不幸な病を得、若うして旅立ったことも知っておる。ここのあるじは代々、よきひとばかりであった。この家、この土地を守るものどもみな、やはり好きなように守らせてもらった。めぐるすべては天地のことわり、われらかれらが何をしようと、めぐることわりは変わらぬ。案ずることは無い」

 権現の言いたいことが、なんとなくわかった。
 つまりこの、なんとなく、が肝要なのだろう。
 ただ一点。

 悪い、と思うことは、やらないことだ。
 次男は正統な跡継ぎだと胸を張って、やりたいようにやればよい。この家、この土地、この一族を守る神仏は、悪いことさえしない限り、好きなように守ってくれる。

「でも。とりあえずこの権現さんを、どうすればいいんですか」

 困惑した表情の次男に、言えることはこれくらいだ。

 あなたが自分で考えて、決めるのだ。
 こうしよう、これなら悪くないと考えたなら、権現は必ず、受け入れてくれる。
 それが、あなたがこれから関わっていく神仏達との、付き合い方だ。

 間違いというものは、無いのだよ。

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