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しきから聞いた話 153 梅雨の晩に

「梅雨の晩に」

 
梅雨入りして、それらしくしとしと雨の続いた三日目の晩だった。

 日付が変わろうかという頃に、なにやら庭を動き回るものがある。しばらく放っておいたのだが、なかなか去ろうとしない。用があるなら声をかければいいのに、と思いながら床を出て、板戸を開けた。

 するとそこには、びっくりするようなものが、いた。

「おっ」

 あちらも驚いたのか、小さく声を上げ、動きが止まる。

 一本きりの足。ひょろりと細長い体。大きな目玉がひとつ。腕は二本。 これは、いわゆる。

 からかさお化けか、とつぶやくと、

「やれ、嬉しや。おれが見えるのか」

 そう言って、大きなひとつ目の下で口がすっと開き、夜目にも赤い舌が、ぺろりと長く出た。

 ずいぶんと古風なものが現れた。

 おまえの姿、見えるには見えるが、ずいぶんと古めかしいね、と言うと、からかさは舌をひらひらさせて、ついでに腕もひらひらと動かした。

「古めかしい、か。うまいこと言うね。おりゃあ、古臭いだのボロいだの言われたって、怒りやしないよ」

 ひらひらとする腕に合わせて、一本足でぴょんぴょんと跳ぶ。が、どうも足元がおぼつかないようだ。
 見ると、一本歯の下駄の鼻緒が、千切れかけてゆるくなっている。

 ちょっと見せてごらん、すげてやろうと言うと、ちょんちょんとおとなしい足取りで、素直に近付いてきた。

「直るかね」

 見てみると、下駄はずいぶんと使い古されて、台にはひびが入り、欠けてもいた。この雨でぬかるんだところを歩いたせいで、一本歯には泥がつき重くなったからか、歩くたびにひびが開いて、千切れかけた鼻緒がさらにゆるんで、歩きづらいようだった。

 これは、すぐには直せそうにない。あずけていくなら直しておいてやるが、どうするね、と訊くと、

「うーん、そりゃありがたいが、ここからどうして帰ろうか」

 なるほど。裸足で帰すのは、可哀想だ。
 物置の方へ行って、そういえばと思いついた。
 丁度、この長雨だからと、新しい長靴を買ったところだ。

 嫌でなければ、これを履いていくといい。

 差し出しながら近付いていくと、からかさはぺろんと長い舌を出したまま、大きな目をきらきらさせている。

「い、いいのか。新品じゃないか」

 いいとも。さて、おまえの一本足は、右なのか左なのか、と足元に目をやって、手元の長靴を見てから顔を上げる。と。

 驚いたことに、からかさの姿が変化していた。

「それ、両方おくれよ」

 なんと、一つ目小僧だ。
 口調まで、子供じみて変化している。

「下駄も直してくれると嬉しいなぁ。きっといつか、お礼はするよ」

 ちゃっかりした奴だ。
 いいよ、と、足元に長靴を置いてやると、小僧はにこりと笑った。
 
 一つ目、赤い舌は変わらない。だが、体は小太りになって、洗いざらした紺絣の浴衣を着ている。兵児帯にはさんだ手ぬぐいをしゅっと抜くと、泥の上に素足で立っていた自分の足を拭いて、そっと長靴に足を入れた。

「いいなぁ 嬉しいなぁ」

 足元の下駄を拾い上げて、それじゃ、預かるよ、と言うと、小僧はぺこりとおじぎをした。

「よろしく」

 しとしと小雨は降り続いていた。
 小僧の姿は、その雨に霞むように、とけるように、消えていった。

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