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しきから聞いた話 138 おくる花束

「おくる花束」

 駅から少し離れた山の麓に、古い病院があった。

 通り沿いに四階建ての本館があり、その裏には二階建てのホスピスがある。このホスピスの運営、整備に力を入れているのが副院長で、昔からの知り合いでもあり、時々、呼ばれることがあった。

 本館は、古いけれども建物はしっかりしているし、少々無機質に感じられるが、最新の設備も充実している。一方、ホスピスは、衛生面はもちろんしっかりしているが、落ち着いた雰囲気で、どこぞのホテルの別館のような佇まいだ。

 敷地内には花壇がいくつもあり、季節ごとに、常に何かしらの花が咲いている。園芸種の草花もあるし、樹木もたくさんの種類が手入れされている。この花達が来院者、入院者の目を楽しませるだけのものではないと知ったのは、数年前のことで、これも発案者は、副院長だということだった。

 本館の裏手の通用口から、副院長の執務室へ上がって行こうと、ホスピスの前を通っていくと、脇の花壇の中にしゃがむ、人影が目に入った。
 こちらに背を向けているが、服装で、看護師であることがわかる。
 ふと足を止めると、気配が知れたのか、こちらに振り向いた。

「あら、こんにちは」

 顔馴染みの看護師だった。
 手元を見る視線に気付いて、薄く微笑み、少し首をかしげる。

「今朝、ね」

 ホスピスに入院している人が亡くなると、花壇に咲いた花で小さな束を作り、リボンをかけ、胸元に置き、送る。
 最初は副院長からの提案だったというが、今では看護師達が進んで行っているという。そして、もう、ずいぶんと長いこと続いている。
 多くの家族はこれを、とても喜んでくれるそうだ。

 副院長に呼ばれた用事は、すぐに片付いた。
 小一時間ほどの後に、またホスピスの前を通ると、玄関の脇に人影があった。

 薄いピンク地に小花がプリントされたパジャマを着て、少し厚手のカーディガンを羽織っている。少し髪が乱れているのは、ベッドの上で過ごす時間が長かったからか。
 白髪は多いが、肌のしわはそれほどでもなく、還暦を過ぎたかどうか、というくらいに見える。

 亡くなるには、まだ早い。

 けれど、胸の前に組むようにした両手には、小さな花束がある。おそらくは、あの看護師が摘んでいた、あの花の束だ。
 人待ち顔で玄関の脇に立つ影からは、悲しいとも寂しいとも、感情らしきものは見てとれない。ただ、遠くを見ている。

 やがて、車の音が近付いてきた。
 見ると、タクシーがゆっくりと停まり、中から急いた様子で、若い女性が降りてきた。

「すみません おつりは結構です ありがとう」

 言葉のしまいの方ではもう、駆け出していた。
 ホスピスの玄関に向けて、真っ直ぐ。
 その横顔が、パジャマの人影に、よく似ている。

 パジャマの人影は、玄関に駆け込んだその背を追うように、ゆっくりと身をひるがえし、すうっと消えた。

 彼女がどんな人なのかは、わからない。知ろうとも思わない。

 ただ、彼女はきっと、行くべきところへ、真っ直ぐに進んで行くだろう。
 あの小さな花束に込められた想いが、必ず、彼女を導き、支えるに違いない。

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