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しきから聞いた話 167 優しい念珠

「優しい念珠」


 ようやく朝晩が過ごしやすくなってきた晩夏の午前、知人に伴われて、卒寿を過ぎたというご老人が訪ねてきた。

 知人は駅の近くで仏具店を営んでおり、ご老人はその客ということだ。
 腰が少し曲がってはいるが、車を降りて歩く姿は、とても九十を越えたとは見えず、表情は柔和で、挨拶の口調はしっかりとしていた。

「さっそくなんだけど」

 座敷に通して茶をすすめると、知人が話し始めた。

「曾孫さんが、留学されるそうなんだ。で、お守りになる腕輪念珠を作りたいとおっしゃってね」

 知人が黒い手さげ鞄から、濃紫の袱紗を出す。
 座卓の上に広げると、薄紅色の艶やかなサンゴの本式数珠が現れた。

「これは、わたしの連れ合いの持っていた数珠でね、亡くなったとき、娘が使うかと思って、柩に入れずに残したんだけど、娘は自分のがあるから、と」

 にこにこと話す。

「大事にはしているが、使わないのは勿体ないし、だったらお守りにして、曾孫の祥子に持たせたら、ばあさんが守ってくれるんじゃないかと思ってね」

 なるほど、事情はわかった。
 さらに知人が続ける。

「で、作り直すのに、菩提寺に相談されたそうだ」
「和尚さんに、拝んでもらわないとね」
「菩提寺って、ほら、蓮華寺」

 なるほど、わかった。
 蓮華寺ならよく知っている。

「そうだよね。で、じゃあ、これ」

 知人は首筋の汗をタオルでぬぐいながら、目の前の数珠を袱紗ごと、ずいとこちらに寄せた。

 住職は、腕輪念珠が出来たら祈祷をするよ、と、快く引き受けてくれたそうだ。ならば、その出来上がりまでをこちらに任せるというわけか。
 珠が百八個ある本式数珠を、三十珠くらいの腕輪に作り変えるわけだから、珠を選ばなければならない。
 それを、ここでやれ、というわけだ。

 手に取らせてもらうと、その数珠は、とても優しく、清やかな想いに包まれていた。
 数珠という形にとらわれておらず、百八という数に縛られてもいない。珠のひとつひとつが役割を心得て、しかも我を張らない。

 これは、本当に、大事にされてきたのだな、と感じた。
 数珠はすでに、腕輪念珠となって祥子という曾孫を守る準備を、整えていた。
 これは、もう、選ぶ必要などない。どの珠を取っても、必ず良い守りになる。

 選ぶなど必要ないよ、と言おうとして、数珠に口を止められた。

 手に取ったまま、しばらく無言でいたせいか、知人が不安そうな顔になって口を開いた。

「すぐにはできないかな。預けていこうか」

 隣りで、ご老人も眉を寄せている。

 大丈夫。
 そうじゃない。
 どれもとても好い珠だから、選びきれるかなと思っただけだよ、と言うと、ご老人が破顔した。

「ばあさんがね、大事に、大事にしてたから」

 あぁ、このご老人の妻女は、この艶やかなサンゴのように明るく、前向きに、優しく、強く、生きたいと想い続けて生きた人なのだろう。決してそうはなれない自身を知りつつも、そうありたいと願い続けたのだろう。このサンゴの薄紅の美しさは、その努力の輝きか。

 ゆっくりと、珠を選ばせてもらう。
 ご老人と、ご老人の妻女と、その子供達と。孫達。
関わりという縁も大事だろう。知人、蓮華寺。
 皆のよい想いで、腕輪念珠が、守りとなるように。

 優しい想いが、ひとを守るように。


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