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しきから聞いた話 133 冬眠の夜に

「冬眠の夜に」

 夜中に、少し大きな揺れがあった。

 飛び起きるほどではない。海に近くもない。そのまま明るくなるまで布団の中にいて、散歩がてら外を見て回ろうかと、用意したところで電話が鳴った。

「急ぐことではないんだけど、ゆうべの地震で石垣が少し崩れたんだ。ちょっと気になるんで、見てくれないかな」

 古くから付き合いのある、隣町の寺の住職だ。
 電話をかけてきたご当代は、五年ほど前、実子のない先代の養子となった。遠縁であるらしいが、血縁よりは、真面目な人柄が気に入られての縁組だった。

 ちょうど出かけるつもりだったし、石垣の修理は早く始めたいだろう。電話を切ってそのまま、向かうことにした。

「崩れたのはここだけ。建物とは離れているから、すぐに直さなくてもいいんだけど」

 見せてもらったのは、本堂の裏手、奥の方の石垣で、幅、高さとも一間ほどが崩れていた。
 この寺は、昔々に城が築かれていた山の中腹に、江戸時代に建てられた。城は、はるか昔に姿を消したが、土塁や石垣が、あちこちに残っている。今回崩れたのもその一部で、住職の言う通り、寺の建物にはまったく影響は無いようだった。

「ただ」

 表情を曇らせた住職が、言い淀む。
 さては。

「うん、明け方、夢枕に立たれた」

 住職がこの寺にと望まれた理由は、人柄の良さだけではなかった。いわゆる霊感がある。先代もそうだった。それがなければ駄目、ということではない。ただ、先代はそれでずいぶん、困った人の助けになってきた。できればそちらの方でも、跡継ぎになって欲しかったのだ。

「でも、今朝出てきたのは、よくわからなくて。ただ、崩れた石のイメージと、助けてほしいという気持ちだけは、伝わってきたんだ」

 よもや、生身のひとが、生き埋めになっているとは思えない。しかし、何かが埋まってしまったようだ。
 考えていても仕方がない。できることをやろう。
 まずは、崩れた石を、脇に動かすことにした。

 ここの石垣は全体に、小ぶりな石ばかりが使われていた。軽くはないが、なんとかひとりで、ひとつずつは動かせる。
 慎重に。安全に。ゆっくりと。

 ふたりでようやく十数個を動かしたとき、突然、頭の中に声が響いた。

「助けて」

 住職も、はっとした顔で手を止め、こちらを見た。

「いま、聞こえたよね」

 聞こえた。若い男、いや、少年のようだった。
 住職は無言でうなずき、手を早め、右の足元の石を二つ三つ動かした。

「あっ」

 声を上げ、体を起こす。
 何だろう。
 近付いていってのぞき込むと、石の間から、親指ほどの太さのヘビが、ひょろりと顔をのぞかせた。
 動きが鈍い。

「あぁ、こいつだ」

 住職は、きっぱりとした口調で、そう言った。

「なんだ、冬眠してたのか。おい、大丈夫か。怪我なんぞしていないだろうな」

 ヘビはゆるゆると動き始め、鎌首を上げて二度、ぺこぺこと頭を下げた。
 礼を言っているらしい。
 そして身をひるがえすように向きを変え、崩れた石垣の上を伝い、奥の斜面の落ち葉の中へと、姿を消して行った。

「え。これで、終わり?」

 住職が、気の抜けたような声を上げた。

 いいではないか。
 あの声は確かにあのヘビのものだったし、体を傷めた様子もなかった。
 それとも住職は、もっと何か、劇的な展開を期待していたのか。

「いや、そうじゃないけど。ただ、夢枕に立って知らせてくるくらいだから、よほどのものと思うだろ、ふつう」

 それだけ、必死だったのではないか。
 突然の地震。身動きが取れない。寒くてどうにも動けない。

「そうか。そうだね。怖かったんだろうかね。うん、まあ、はっきりわかって、よかったよ」

 ふふ、と笑う。
 そうとも。しかし、この先のことはわからない。
 もしかしたら暖かくなってから、恩返しに来るかもしれない。
 そう言うと、今度こそ住職はすっきりと明るい顔になって、あははと笑った。

「それは楽しみだ。うん、それを楽しみにしよう。そうだそうだ」

 この住職ならば、寺はいつまでも安泰だろうな、と思った。


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