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藤本タツキ『ルックバック』レビュー[記事後半にネタバレあり]

先日美容院に行ってきた。
その美容師さんとは3回目だが、その日は妙にマンガの話ばかりになった。

「ジャンプ+ってアプリに最近公開された『ルックバック』って読み切り、『チェンソーマン』の作者が書いてるんですけど、やばいんですよ」
「へえ、ツイッターでその話題見かけたかも」
「読んでください!!」

私はジャンプ+を入れていなかったので入れるところからだった。

以下はネタバレが含まれるのでお気を付けください。


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正直、自分の中にぐるぐるぐるぐる巡っているマグマを未だに言葉に出来ないので、ゆっくりと消化していこうかなと思ってはいる。
一つずつ書いていくけど順番ではない。

お葬式の時に京本の部屋の前に来た藤野が「私のせいじゃん」「部屋から出さなきゃよかった」って泣くシーン。
その後、パラレルワールドのカラテ家藤野が京本に襲いかかる不審者をキックで退治した。(ああ、シャークキックだ……。)

「あのとき自分がああしていたら」「ああしていなかったら」って無限に考えるよな。
あのとき自分が京本を部屋から出していなかったら、別々の道を歩んで、その時もきっと自分がヒーローみたいに格好よく現れて不審者をやっつけられたはずなんだ。自分たちは顔も合わせたことなかったとしても、きっとそれでハッピーエンドになって、京本は助かったはずなんだ。きっとそうに違いない。

あのとき私が外泊せずちゃんと家に帰っていたら、弟は私に相談できたかも知れない。「嫌なことから逃げるよりやりたいことをやりに外に出る方向性の方が後々楽やで」「思ってもないこと書くくらいなら自分がそう思えるようになった方がええ」「あんたの目の前にある箱は何や。それで調べんかい」なんてしたり顔でアドバイスできたかも知れない。

無限に考えるよな。

でも、もし藤野が京本を部屋から出していなかったら、その後数年間のかけがえのない二人の時間はどうなっていたんだろう?
藤野自身がマンガと向き合う時間は?
もし選ぶことが可能だったとしても、何かを得ようと選んだら別の何かは得られないんだなあと思う。

でも現実は変えられない。

だからこそ、私はこのマンガがフィクションで良かったし、フィクションだからこそ京本の「背中を見て」のマンガが藤野の元に届いたんだ。
あんな救いがあるか?
あのマンガが紙だったのか、藤野の作り出した幻だったのかはどうでもいい。
私はあれに救われたんだ。私は。

だから私たち(読者)に背中を向けて、藤野は前に進み続けることを選べたんだ。

フィクション……と言ったが、アプリのコメントに「京アニや京都精華大学の事件を彷彿とさせる」とあって、さもありなん。
だからフィクションを混ぜた。フィクションは人を救えるから。
私はそれに救われたんだ。私は。

自分のことでもないのにどうしてこんなに泣いてしまうんだろう。(今泣いてる。)
私は心の中にぐるぐる巡るマグマの熱を忘れないためにここにしたためた。
我々には文字があるからそれができる。

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