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『音楽文』『パプリカ』 聴く人は皆「青葉の森」の中へ Foorin『パプリカ』とFoorin teamE『Paprica』 そして米津玄師


2020年5月14日♥15
 緊急事態宣言が発令されて、人と車の往来が減った街は季節だけは爽やかなせいか、なんだか私の子どもの頃の空気が戻ってきた気がします。こんなことにならなければ初夏と呼ばれる今、Foorinの『パプリカ』が最もよく似合う季節だったことでしょう。
 昨年のレコード大賞を受賞したこの曲は、まだ普通の日常があった昨秋、保育園や小学校の運動会で子どもたちの楽しげな声とともに本当によく流れていました。「米津玄師」を知らない子どもたちにこれだけ浸透するということは、楽曲自体に長く歌い継がれてきた童謡のような強度があるのでしょう。
 『パプリカ』は米津玄師さん自身も歌われたので、大人の私もよく聴いていた筈なのに、Foorin teamEの歌う英語ヴァージョン『Paprica』を聴くまで気づかなかったことがあります。 

 それは、この歌詞が日本語の特徴をとても上手に活かしているということ。

 日本語は主語が無くても成立するのですが、英語は文法的に基本、主語がないと成立しないですよね。
 冒頭の
「曲りくねり はしゃいだ道 青葉の森で駆け回る」
 主語がないこの日本語の歌詞だと、聴いた人自身が「曲りくねり はしゃいだ道」を抜けて「青葉の森」へ入る、歌詞の景色を自分の目線で見ていて、気が付くと「青葉の森」の中にいて『パプリカ』の世界に入りこんでいる仕掛けになっています。
 英語版も
「Twisting and turning, down this road we go」
 主語である「We」は文末にしてあります。英語版でも、まずは『Paprica』の世界に招き入れる仕組みになっていると思われます。
 そしては『パプリカ』は全編を通して、語り手の主語がありません。

  例えば「誰かが呼んでいる」のは「私」かもしれないし「あなた」もしくは歌の世界にいる架空の誰かかもしれない。それは『パプリカ』を聴く私たちに委ねられます。聴いた人が「私」と思えば「私」だし、他の誰かと思えば他の誰かなのです。でも『Paprica』だと
「Someone’s always calling out your name」
で、「誰かが呼んでいる」のは「あなたの名前」と言う風に限定されてしまうのですよね。
 あえて主語を使わずに、物語の中にいつの間にか入りこむような出だし。これと同じことをした日本人作家がいます。
それは誰かと言うと川端康成。
代表作『雪国』の冒頭は
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
 読んだ人の視点は、暗いトンネルの中から、ぱっと白い雪の中になり、そのまま『雪国』の世界に入り込んでしまう。
 この冒頭、英語にしてしまうと、主語が「I」、「Train」あるいは主人公の名前「Shimamura」になると思いますが、このどれを当てはめても、物語の世界に入り込むようにはならないですよね。
 川端は日本語の特性を知りぬいた作家で、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞しています。その人と同じように日本語の深さと特性を理解し、あの若さで使いこなす米津さんに驚嘆せずにはいられません。
 また『パプリカ』は、米津さんの優しさで、 子どもに分かりやすいように易しい言葉で書かれていますが、ところどころ「影が立つ」、「雨に燻り」、「かげぼうし」のように美しい古い言葉が入っています。
 『パプリカ』を歌う子どもたちが知らないままに口遊んでいる古い言葉の意味を一つ一つ知っていけることと、中学生くらいになってから「あれ、米津玄師が作ったの!?」と驚くことができるのかと思うと羨ましいなぁと思います。

 最後に米津さん歌唱の大人『パプリカ』のことを少し。
 Foorin、Foorin teamEが歌うと初夏と言う感じですが、米津さんが歌うと晩夏という気がします。
 晩夏の雰囲気はMVの加藤隆さんのアニメーション、大人になってから子どもの頃を思い出す少しさみしい感じにも投影されていると思います。MVには姉弟らしい二人と精霊らしき「風の子」が登場します。この子は、米津さんが子どもの頃、よく遊びに行ってご自身も野山を駆け回ったという『Lemon』に影響を与えた母方のおじい様の所で出逢った友達ではないかと思います。
 私の場合、住んでいるところ自体が田舎で祖父母の家も近かったため、自分が田舎に帰るということはなく、米津さんとは反対に「誰か」を迎える側でした。
 お盆になると、近所のお寺の住職さんのお孫さん姉弟が私の知らない街から遊びにきてくれるのが楽しみでした。
 その子たちがどんな子たちだったか、どんな遊びをしたのかはまるで覚えていないのに、もうすぐ逢えるというわくわくした楽しい気持ちだけは忘れることができません。
 自分がその時、置かれていた日常から離れた友達と会える、遊べるというのが、現実にはいない子と遊ぶような気がしていたのかなと思います。私にとってその子たちは“まれびと”―時を定めて他界から来訪する霊的な存在―だったように、米津さんから見た「風の子」の心の中に米津さん姉弟が“まれびと”として、存在し続けているのではないでしょうか。

 「青葉の森」の中で。 

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