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LINEヤフーの本部長ポジションを捨て、スタートアップへ入社した理由

こんにちは、あるいはこんばんは。
8月にカンリーに入社した矢澤と申します。
インターネットではどう挨拶するのが最適解なんでしょうね?

僕は基本的にインターネットの世界をなるべくプライベートな空間にしたいタイプなのであまりこうした記事は書かないのですが、「入社エントリのnote書いてください!」と代表や役員のみなさまから言われ、お願いはなかなか断れないタイプでもあるので重たいペンを執っています。
そんなモチベーションで大変恐縮なのですが、僕がカンリーに転職した理由をみなさんに知っていただくことで、少しでもカンリーという会社やプロダクトに興味を持ってくださる方が増えると嬉しいです。

ぜひ、最後までお付き合いください。


自己紹介

まずは簡単に自己紹介をさせてください。
こちらに僕の半生の概略をまとめました。

■基本情報
名前:矢澤 匡
年齢:39歳
出身:京都(幼少期は滋賀)

■略歴
・ウェディングプロデュース事業(大阪)
・レストラン事業(大阪)
・株式会社ぐるなび
・ヤフー株式会社(現 LINEヤフー株式会社)
 ローカル/飲食予約事業責任者 兼 本部長

とまぁこんな略歴です。続けてもう少しお話しさせてください。

大阪時代

幼少期や学生時代の話は端折ります。
社会人の第一歩目は、縁あって大阪のウェディングプロデュース事業を運営する企業に就職しました。ウェディングプランナーのバックオフィス業務から映像制作や挙式の進行まで、できることはなんでもやるのが自分の仕事でした。そのあとなぜか取引先のフレンチレストランの店舗マネージャーを任されることになるのですが、そのあたりを掘り下げると趣旨がずれるのでこの時代の話は省略します。
ちなみにとても楽しかったですし、非常に濃密な時期でした。ご興味のある方は言っていただければ飲み会一本分ぐらいにまとめてお話しします。

ぐるなび時代

30歳になる年に上京し、株式会社ぐるなびに入社しました。それまでは両手で数えられるほどの従業員しかいなかったため、1,000人超規模の一部上場企業でちゃんとした”会社員”をすることに、とても新鮮な気持ちになったのを今でも鮮明に覚えています。
ぐるなびでは、店舗ぺージディレクターとしてお店に代わってぐるなびのぺージを更新する業務を担当しました。暑い日も寒い日も関東ほぼ全域に足を運び、飲食店のオーナーや店長や料理長にお会いし、お店の良いところやこだわりをヒアリングする毎日を過ごしました。おかげさまで100法人以上もの飲食店のことを直接見て聞いて知ることができましたし、関東の地理にも詳しくなりました。

少し話が脱線しますが、僕はインターネットが好きです。厳密に言うとテクノロジーが好きで、中でもインターネットの世界に”ハマっている”、というのが正しい表現だと思います。多くの方も現在進行系でハマっているとは思いますが、どうせなら提供する側に回りたいというのが僕の幼い頃からの将来像でした。
ぐるなびではインターネットを通して仕事をするということに「少し近づいたな」という感覚で、まだまだインターネットサービスを提供する会社というよりも飲食店の支援をする会社という色が濃かった印象です。もっとも、それがぐるなびの良さであることは言うに及ばずなのですが、自分の将来像にさらに近づくためには、もう一皮剥ける必要がありました。

ヤフー・LINEヤフー時代

インターネットサービスの会社、というと幼少期からディレクトリ検索でお世話になったYahoo! JAPANのロゴがまず第一に頭に浮かびました。もちろんGoogleやAppleなども考えましたが、彼らはグローバルに展開するサービスを各国にローカライズしているだけであり、サービスのコアを作っているのはアメリカです。まず無理です。当時の自分からはギャップがありすぎました。というか、なぜかヤフーに入社できるという謎の直感があり、当時の僕はヤフーのことしか考えていませんでした。
そして謎の直感は見事に当たり、首尾よくヤフー株式会社に入社することになりました。

ヤフーでは、飲食予約事業の営業推進チームに配属され、既存顧客営業組織の推進を行うことが僕の役割でした。当時は事業全体で数十人という規模で、まだ営業メンバーが自分たちで目標を作ったり実績を管理したり営業資料を作ったり、、、という状況から、ようやく営業推進の機能を外に出すことを決めたタイミングでした。そのため、やるべきことは無限にあり、とてもやりがいを持って仕事に打ち込んでいました。

しかし、営業推進というロールのままでは「インターネットサービスを提供する側になる」という目標を叶えられなかったため、まずはサービスづくりの根幹にあたる開発プロジェクトにアサインされる必要がありました。偶然にも、当時のCMS(店舗が予約管理を行うツール)が老朽化しリニューアルしなければいけない状況で、ビジネスサイドからもUXの悪さに対して数多く指摘が上がっていた時期でした。
前職で呼吸をするようにぐるなびのCMSを使い、飲食店のオペレーションを熟知している僕は、適任中の適任です。ここぞとばかりにCMSの課題感をあおり、こうしたいあーしたいと当時の上司にプレゼンし続けました。これも偶然なのですが、上司(営業推進のチームリーダー)はプロダクト領域で企画も兼任していた優秀な方で、彼に推薦してもらったおかげでCMSの改修プロジェクトに参加できることになりました。これが僕のプロダクト経験の第一歩目です。
細かい話はコンプラ的にアレなので、ここも端折らせてください。その他にも様々なプロジェクトに関わらせていただき、営業推進としても企画としても多くの学びを得る毎日を過ごしました。ちなみに33歳、全部未経験です。

そんな未経験の僕にもどんどんとチャンスを与え、結果に対して正当に評価をしてくれる、ヤフーは素晴らしい会社でした。その後組織上ではリーダー→部長→本部長と役職を上げていただき、プロダクト上ではBiz領域責任者→サービス責任者→プロダクト責任者(事業責任者)と大きな役割も与えていただきました。上司にも恵まれていたなぁとつくづく思います。
未経験から4年でそれはすごいね、異例だね、とたまに言っていただくことがあるのですが、その異例を良しとする会社や上司や同僚のみなさんが素晴らしいのですということをあらためて強調しておきます。

カンリーとの出会い

この流れではヤフーの素晴らしさを伝えるnoteになってしまうので、そろそろ本題の方へと軌道を修正していきます。

Yahoo!プレイスの立ち上げ

僕の中で「インターネットサービスを提供する側になる」という目標がかなったことがあります。それはYahoo!プレイスというサービスを立ち上げたことでした。
当時はYahoo!ロコという店舗情報掲載メディアを担当していましたが、実は店舗情報をオーナー自らが更新するすべはありませんでした。そして数多あるヤフーサービス群のそれぞれに掲載される店舗情報も、各サービス単位で異なっている状況でした。そこで、店舗情報をオーナーが更新でき、さらにそれがヤフーのすべてのサービスにおいてマスタとなる『一次情報入稿CMS』を開発することになりました。それがYahoo!プレイスです。
非常にありがたいことに、入社して1年も満たない状況で人生初のPM(プロジェクトマネージャー)を任され、右も左もわからず周囲のサポートを最大限に借りてプロジェクトを進めたことが強く記憶に残っています。プロジェクトメンバーの多大な努力のお陰で2019年の12月にローンチし、今では数十万の施設が利用する、LINEヤフーにとってなくてはならないプロダクトにまで成長しました。

そのYahoo!プレイスが当社のCo-CEOである辰巳との出会い、つまりカンリーとの出会いのきっかけになりました。

清々しいほど熱い青年現る

2020年の後半ぐらいだったかと思います。当時の僕はYahoo!プレイスの利用施設数をいかに伸ばすかを、マーケティングの機能だけ残したプロジェクトメンバーと共に試行錯誤していた時期でした。基本的なマーケティング施策はひと通り回したものの、やはりGoogleマイビジネス(現 Googleビジネスプロフィール)ほど認知がされない、施設数が増えない。それなら弱者は弱者なりの戦い方で、Googleマイビジネスを売っている代理店にセットで売ってもらえばええやん?と、あまり響きが良くない例えかもしれませんがコバンザメ戦略に近い戦い方を採りました。
また、Googleマイビジネスのことを、それを利用するお客様のことを最も把握している方々に、どういった機能があればさらに使ってもらえるのかを聞く良いチャンスになるという考えもありました。

そんな流れで20社ほどの代理店企業と面談しましたが、中でも強烈なインパクトを残した人物が辰巳でした。何を話したかまでは覚えていませんが、とにかく熱苦しいほど熱い、いやむしろここまでくると逆に清々しいかもと思ったことは覚えています。面談したあとすぐにFacebookの友達申請があり、Messengerから飲みに誘われたのも辰巳が最初で最後です。しかもコロナ禍ど真ん中に。
とはいえ、この時点で完全に辰巳の勝利です。カンリーという会社と、辰巳という人間の名前は僕の脳裏にべっとりとこびりつきました。そしてその後も何度か会食を重ねて、お互いの仲を深めていきました。

副業でフクリーに関わる

2022年の寒くなり始めた時期、辰巳からこんな連絡を受けました。「新しくクーポンプラットフォームの事業をやりたいから力を貸してほしい」と。既存プロダクトとの方向性の違いにはじめは耳を疑いましたが、話を聞いてみるとなるほど勝ち筋が通っているじゃないですか。副業で、週1時間でもいいからという気遣い(ゴリ押し?)もあり、二つ返事でOKしました。
実際のところ週1時間程度ではあまり深くまで関わることができず、力不足だった感が否めないのですが、約1年間の副業を通してカンリーの企業文化に触れ、共にプロダクトづくりを経験できたことはカンリーへの転職を決める大きな要因になりました。

ちなみに辰巳がフクリーの開発ストーリーをnoteにしています。
ぜひこちらもご覧になってください。

なぜカンリーに決めたか

転職意向はなかった

フクリーに関わり始めてから1年ほど経った2023年11月、フクリーがローンチした直後だったと思います。突然深夜に辰巳からメッセージが届き、「あらためてカンリーに転職する気はないか?」と聞かれました。それまでも何度か軽い感じで聞かれたことがあったのですが、今回はマジな感じです。
しかし当時、僕には転職意向はありませんでした。自分にとって理想的なインターネットカンパニーに身を置き、素晴らしい仲間に囲まれ、一定の裁量も与えてもらい何不自由のない環境です。LINEとの経営統合・合併という人生で二度と経験できないような荒波もありましたが、LINEの頼もしいメンバーとの共闘でうまく乗り越えることができ、新会社として「さぁこれから」という状況でした。

自分の未来を見つめ直す機会

辰巳からのメッセージに話を戻します。
前述の通り、当時の僕には転職するつもりがなかったため、メッセージ上は「現職への責任があるから」とのらりくらり躱すような回答をしたのですが、せっかくいただいたお誘いなのでしっかりと話を聞いて考えることにしました。まずは辰巳と会い、直接話を聞く予定を立てました。しかしその後何度もリスケになり、実際に会って話したのは結果的に2ヶ月以上も先のこと。その間話す相手もいないので(笑)、必然的に自分の未来を見つめ直すことになりました。
ちょうど年末年始の休みがあり、自分ひとりでゆっくりと考える時間も、いろんな人に相談する機会もあったため、内に外に壁打ちをしながら第2の”人生ロードマップ”を引き直すことができました。実際のところ、①今のままではなくさらに自己成長したいという思い、②スタートアップで上場フェーズを味わってみたいという思い、この2つが大きくなっていました。しかし、チャレンジしたい気持ちはあれど、あくまで2本めの道筋が見えただけで、当時の”人生ロードマップ”から路線変更をするほどのモチベーションはまだありませんでした。

代表の覚悟と熱意

約束から2ヶ月越しに辰巳と会ったのは、五反田のオフィスでした。辰巳からは今後のビジョンと、それを成し遂げる上でどのようなギャップを抱えているか、そしてそれを埋めるために自分をどれほど求めてくれているのかを聞くことができました。そこで聞いた「矢澤さんの気持ちを前に向かせるためには何でもします」という言葉が、とても印象的でした。
会社を強くするためには変わる必要がある、そのためにできることは何でもやる、代表である辰巳がこの想いを強く持っていることをあらためて感じることができ、僕の心はよりカンリーへの転職へと傾きました。

メンバーの素晴らしさ

業務委託として約1年間関わってきた中で、カンリーに所属するメンバーの素晴らしさを感じていたことも転職を決めた大きな理由の一つです。
みなさんとても素直で真面目で人柄も良く、本質的な人間性の良さを持っている方々ばかりでした。これはカンリーのバリューがそうさせていて、会社の考えがしっかりと社員に浸透している証だろうな、と常々感じていました。

辰巳と面談した後、本気で転職を考えるためにもボードメンバー全員に面談を申し入れました。みなさん快く引き受けてくれましたし、話すと非常に魅力的な方ばかりでした。面談を通して感じたことは、(とても上から目線な発言で恐縮ですが)このメンバーが支えているなら大丈夫だ、そう確信しました。
また、ボードメンバーはもちろん、一般の社員のみなさんそれぞれにも素晴らしい経歴があり、まさに粒ぞろいのタレントが揃っていることにも驚きでした。さらに、その全員が同じ方向を向いている一体感があり、個のパワーがしっかりと向きを揃えて強いベクトルが生じている感覚を持ちました。今まで自分が所属してきた会社ではあまり感じたことのない感覚でした。

バリューと、バリューに対する考え方への共感

先ほど、カンリーのバリューの話をしましたが、カンリーには面白い考え方があります。それは「バリューが社長」という考え方です。ちょっと何言ってるかわからん発言に聞こえると思うのでもう少し平易にすると、「社内で最もバリューを体現できている者が社長である」ということです。裏を返せば、共同代表である秋山と辰巳は、常に誰よりもこのバリューを体現しているということになります。
このバリューがどれだけすごいのかという話をしたいわけではありません。もちろんとても素晴らしいバリューで、僕自身もこうでありたいと思うようなバリューですが、バリューは会社の状況や規模に応じて常にアップデートされるべきものです。そうではなく「バリューが社長」という考え方がすごいのです。
つまり何が言いたいのかというと、人よりもバリューが上位に設定された状態になっていることで、バリューさえ正しい状態に設定されていればそれを最も体現する人間が会社を牽引して正しい方向=事業成長に導くことになり、持続可能な成長を生む会社経営になっているのです。もちろんこれは経営のトップに限った話でなく、社員に対しても同様の力学が働いていることにもなります。
とまぁ小難しい解説はさておき、バリューに対する考え方すら利他主義な共同代表たちは、シンプルに素敵ですよね。

ちなみに、今までの経験上、社長が代わり戦略が変わりMVVが変わり、その結果会社の雰囲気が大きく変わってしまったところをいくつか見てきました。得てして社員は社長のために仕事をするわけではなく会社の事業戦略やMVVに共感して仕事をしていることが多いので、社長が変わったからといってミッションやバリューまで突然変えるのはどうかと思うのが僕の見解です。

ものづくりのスピード

業務委託として関わる中で「すごいな」と感じたことが”ものづくり”です。とにかく早い。雑に作るから早いわけではなく、一定のクオリティがしっかりと担保されている状態で早いのです。これはプロダクト開発において最も重要な要素のひとつで、ユーザーのフィードバックを受けて改善する前提でまずは世に出す、そして高速のPDCAで改善を続ける、これができるかできないかでプロダクトの成長に大きく関わってくると考えています。なのでスピードはとても大事。それがベースとして備わっているカンリーに対して高い期待値を持っていました。

見守り続けてきたからこその確信

辰巳と初めて会ったのは2020年なので、カンリーとの関わりは足掛け4年にもなります。当時のカンリーは10人強ぐらいのメンバー数で、まだLeretto(リリット)という社名でした。市場環境も「我こそは」とMEO・GMB運用代行サービスが群雄割拠していた時代です。それから約4年で社員数は100人を目前に、事業規模も10倍以上に成長しています。当時いろいろなサービスの担当者と面談しましたが、今だにしっかりと成長を続けているサービスは片手で数えられるほどしかありません。
そんな関わりがあり、初期のころからカンリーの成長を見守り続けているので、どれだけ企業努力をし続けてきたのかはよく理解しているつもりです。当時の戦乱を乗り越えられたのであれば、今後多少の困難があろうと必ず乗り越えられる会社だという確信がありました。
さらに、前述したように現在進行系で粒ぞろいのタレントがどんどんジョインしている状況です。これはさらなる成長への期待しかないですし、そんな会社に自分が入って成長をもっと加速させたいと思うようになっていました。

そして、今年の3月に、正式にカンリーに入社することに決めました。
その旨を伝えたときに、たくさんのメンバーから喜びと感謝の言葉をいただけたことは、僕の人生の中でとってもエモい思い出の一つになりました。

カンリーでなにするの?

主な役割はPMM

みなさん、PMM(プロダクトマーケティングマネージャー)ってご存知ですか?僕は職業柄ある程度理解はしていたものの、あまり世間的に知られた言葉ではないですよね。SaaS企業では最近増えてきたポジションで、端的に言うとビジネスサイドからプロダクトを見て、”作る”と”売る”の橋渡しを行うことがざっくりとした役割です。
もう少し具体的に言うと、①顧客のニーズをもとにプロダクトを磨き上げること(=何が売れるのかを考える)、②プロダクトの販売に必要なプロセスを総括すること(=売り方を決める)、この2つで言い表せると思います。

PMMの詳細な役割についてはググるなりAIに訊くなりしていただければと思いますので、ここでの説明は割愛します。

今までのカンリーにはPMMという役割はなく、これから新しく設定するポジションです。これまでPdM(プロダクトマネージャー)とビジネスサイドが分担して行ってきた中間業務を一手に引き受ける形になります。とはいえ、僕も一人しかいないですし全部を拾い切れるわけじゃないです。まずは「カンリーにおけるプロダクトマーケティングとは何か?」から定義し、最も必要性の高い業務から徐々に開拓していきます。そして、いずれは組織を拡大し、カンリーとしてのPMMの在り方を確立していきたいと考えています。プロダクトの販売領域に責任を持つ立場として、「この組織が強いからプロダクトが売れる」と言われるような組織にしていくつもりです。逆に、売れなかったら僕の責任ですのでめっちゃ頑張ります。

事業の成長に寄与したい

大変手前味噌な話ではありますが、LINEヤフーでは200名以上の事業体において責任を持つポジションにいたので、事業側の視座は持ち合わせているつもりです。また、大企業ならではのあれこれや、プラットフォーマーとしての在り方もある程度は心得ていると思っています。
これからカンリーはどんどん事業を拡大させ、100人→1,000人→10,000人と社員も増やし、世界的なインフラになっていく予定です。それを実現するために自分がジョインしたと言っても過言ではないぐらい、事業を、会社を成長させたいと考えています。そして、その事業成長になるべく成長痛が伴わないようにするために、リスク回避や課題解決もしていきたいです。
以前辰巳が僕に言ってくれたように、僕も会社を成長させるために必要なことなら何だってやるつもりです。

最後に

実は、このnoteを書いている7月下旬現在、すでにカンリーで仕事をしています。6月の上旬にLINEヤフーの最終出社日を迎えた翌日から、業務委託としてほぼフルタイムで働いています。
この1ヶ月半で、カンリーに来てよかったとあらためて感じています。正直に言うと前職に比べて劣る部分も多いですが、それを上回るほどのやりがいを感じています。給料が下がろうと、食堂やマッサージルームがなくなろうと、自分たちの努力で会社の利益を出せばなんとでもひっくり返せますし、それを成し遂げられるチームだと思っています。そんなことよりも自分が働いていて楽しいかどうか、自分が働くことで会社が成長していく実感を感じられるかどうか、そういったやりがいを重視してこの会社に転職しました。
いつかカンリーが上場し、世界的なインフラになっている世界を目指して、今後も尽力してまいります。

拙い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
これからのカンリーに乞うご期待です。

(最後の最後に)一緒に働きたい方募集中!

現在カンリーでは積極的に採用を行っています。
ぜひ、カンリーに興味がある方、プロダクトマーケティングに興味がある方、矢澤までDMしてください。→ t.yazawa@can-ly.com
ただただ面白そうだから話聞かせてよ、みたいな方でも大歓迎です。

採用ページはこちら↓(PMMの採用も公開中です)


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