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Nowhere


0.飛行と回転

 薄明。風。自由気ままに飛んでいる。2つの影が交差して、互いに互いを追いかけ合う。ぐるぐる、ぐるぐると時は回り続ける。やがて1つはいなくなり、残る1つはうずくまる。
 微睡みの闇の中、《卵》は確かに息づいて――。

Ⅰ.邂逅

 明転。中央で白い布にくるまっている子ども。それに気付き、近付いていく女。暫くじっと見つめている。頬をつついてみる。起きない。つねってみる。起きない。布を掴み、引っ張ってみる。引っ張り返される。最終手段、転がす。
 倒れたまま動かない――かと思うと、むくりと起き上がる。

C)ねえ。ここで何してるの。
A)夢を見ているんだ。
C)夢?
A)空を飛ぶ夢。僕は天使なんだ。
C)天使?
A)背中に羽根がある。
C)見えないけど。
A)それは君の目が曇っているからだよ。
C)曇りを取り除くにはどうすればいいの?
A)くりぬけばいい。(と言って、青いビー玉を拾い上げる)
C)見えなくなるよ。
A)見えるようになるよ。たくさん、色んなものが。
C)きみはどこから来たの?
A)(真っ直ぐ上を指差す)
C)名前は?
A)ガブリエル。大天使って書いて、ガブリエル。
C)え、嘘。
A)嘘だよ。
C)キラキラネームかと思った。
A)君の名前は?
C)コトリ。
A)いい名前だね。
C)そう? 私はあんまり好きじゃないけど。ねえ、きみ天使なんでしょ。飛んで見せてよ。
A)駄目だよ。
C)どうして?
A)鍵が掛かっているんだ。
C)飛べないの? 天使なのに。
A)それでも、僕は天使だ。
C)だったら行かなくちゃ。
A)どこへ。
C)はじまりの場所へ!

 女は微笑み、踊るように去る。

Ⅱ.日常

 男、来る。

B)お、ユウタ。来てたのか。
A)イツキ。
B)イツキさん、だろ。こんな何もないところで何してるんだ?
A)夢を見ていたんだ。
B)どんな?
A)イツキさんが真っ二つに割れる夢。
B)……は?
A)美味しかったよ。
B)食ったのか?
A)うん。
B)お前、よくそんなこと平気で言えるな。
A)夢だから。
B)夢でも言っていいことと悪いことがあるだろ。そーゆーことは口にしないで、心の中にしまっとけ。
A)(何かを胸ポケットにしまう)イツキ……さんはどんな夢見るの?
B)コトリの夢かな。
A)コトリ?
B)彼女。
A)いたんだ。
B)失礼な。俺の可愛い、青い鳥だよ。ユウタは?
A)何が?
B)彼女。
A)いるよ。
B)マジで!? どこで知り合ったんだよ。
A)どこだっけ。
B)名前は?
A)ヒトミ。
B)ヒトミちゃんか。どんなコ?
A)綺麗なコ。
B)見た目かよ。
A)中身がたくさんつまってる。
B)中身って。内臓か? 頭か? 胸か?
A)夢。
B)……そうか。まあ、頑張れな。
A)それで、どんな夢なの?
B)知りたい?
A)(頷く)
B)(耳打ちすると見せかけて、耳たぶをつねる)
A)……。
B)お、そろそろ時間だ。
A)何の。
B)お姫様とのティータイム。つーかユウタ、お前行かなくていいのか?
A)どこに。
B)学校。
A)……行ってきます。
B)行ってらっしゃい。

子どもは布を羽織って歩いていく。

α.

 衝撃。一変する雰囲気。
 灼熱の太陽が照り付ける砂漠で、《旅人》が水を求めて歩いている。

B)俺は夢を追い続けている。花から花へ渡りゆく蝶を捕まえようとするかのように、ピン留めにするために。そして夢に追われている。脱獄した囚人、その身体は休まることもなく傷を負いながらずっと逃げ続けている。頭を亡、とさせる陽炎の熱に灼かれて額に汗の粒が浮かんでは落ちていく。流れ星を思わせる水滴は火照った身体から熱を奪い、微睡む意識を不快なまでの現実に引き戻す。咽喉の渇きは潤すための欲望だ。けれどその目的が果たされたとき、一体どのように感じるんだろう。きっと今と同じではなくなることを思うと、少しだけ怖くなる。

Ⅲ.逢瀬

 女、来る。

C)イツキ。ごめん、遅くなって。
B)大丈夫、俺も今来たとこだから。今日も可愛いな、コトリ。
C)ありがとう。
B)迷ったのか。
C)ちょっとね。……ここ、いい場所だね。
B)そう?
C)懐かしい感じがする。いい風。飛んで行けそう。

 女は歌い出す。それはどこか懐かしいメロディー。

B)(拍手)何ていう歌。
C)名前はまだ無い。今浮かんだばかりだから。
B)さすが。(ペットボトルを差し出して)飲む?
C)ありがとう。(飲む)イツキは?
B)俺はいいよ。
C)渇かない?
B)コトリの笑顔で十分潤ってる。
C)そうかな? ……マイクチェック、マイクチェック。
B)歌姫は喉を大切にしないとな。次のライブっていつだっけ。
C)今日。
B)今日!? 大丈夫なのか。
C)大丈夫。夜だから。
B)ごめんな、忙しいのに。
C)イツキだって忙しいんじゃない? 医学部って勉強大変でしょ。
B)勉強は要領だから。心配なのは、いとこの方だよ。
C)いとこって……例の?
B)ああ。
C)大丈夫なの? ハトを捕まえて、殺して、食べちゃったんでしょ?
B)まあな。
C)お腹壊さなかった?
B)そっちかよ。あいつ、元からちょっと変わってんだけど、今回みたいなのは初めてでさ。親父の病院に付き添って行ったら、俺に面倒見てろつって、そのまま帰しやがったんだよ。
C)そうだったんだ。
B)孤独は万病の元だから、話し相手になってやれって。そういう問題かよ!? 最近あんまり学校行ってないみたいだし、かと言って家にいるわけでもなく、よくここに来てボーっとしてるし……今はいないけど。ホント何考えてんだか分かんねー。
C)居場所がないんじゃない? 学校にも、家にも。
B)だからって俺かよ。確かに昔はよく一緒に遊んだけど。……にしてもなー。
C)何?
B)いや、少年犯罪ってさ、よく人を殺す前には小さい動物を殺すって言うじゃん。蟻とかミミズ、蛙から始まって、兎や猫、犬って段々大きくなって、最後には人になる……。
C)心配?
B)不安、だな。近所で噂になってるらしくて、叔母も参っちゃってるんだよ。私は一生懸命育ててるのに、誰も分かってくれないって嘆いてて。でも、親子の問題にどこまで立ち入っていいんだかなー。
C)板挟みだね。
B)ああ。お腹と背中がくっつきそうだよ……。
C)それ、お腹が減ってるって意味。
B)だっけ。
C)どうしておなかがへるのかな けんかをするとへるのかな
  なかよししててもへるもんな かあちゃん かあちゃん
  おなかとせなかがくっつくぞ
B)懐かしい、よく覚えてるな。みんなのうただっけ。
C)そうそう。
B)実際にくっついたら、死ぬな。
C)死なないでね。
B)ああ、医者たるもの、心身ともに丈夫じゃないと。俺、死なない! ……ありがな、コトリ。
C)何が?
B)俺、コトリが傍にいてくれるなら、何でもできる気がする。
C)そう?
B)ずっと俺の傍にいて、たくさん歌を聞かせてよ。
C)……イツキは、運命って信じる?
B)運命。それはコトリと出逢えたことかな。
C)それは必然?
B)もちろん必然。
C)予定調和。
B)因果律。
C)この世界の出来事は、最初からどうなるか決まってたりするのかな? 本とか映画みたいに。私たちは決められた筋書きをなぞってるだけで、自由意志はどこにもなくて。今私がこうして考えたことを話すことさえ、ずっと前から決まっていて。
B)自由意志はあるだろ。現に俺は、手の甲にキスをするか手のひらにキスをするか選ぶことができる。
C)どっちがいいの?
B)こっち。

 男、女の唇へキスすると見せかけて、目蓋の上にキスをする。

B)今日はどこ行く?
C)今日はライブがあるから。
B)そっか、今夜だもんな。
C)また今度。
B)ああ、また今度。
C)じゃあ、そろそろ行くね。
B)頑張れな。
C)うん。

 男は女を見送る。

Ⅳ.想起

A)……蝶が飛んでいた。ひらひら、ひらひら。綺麗に踊る蝶だった。綺麗な羽根の色だった。でも、蜘蛛に捕まって食べられてしまった。
B)黒板に書いたように、遺伝子というのは親から子へと遺伝する、あるいは細胞から細胞へと伝えられる形を決定する因子のことで、そしてこの遺伝子の本体が、みんなも聞いたことがあると思うがDNAという。DNAとは、デオキシリボ核酸を省略した名前で――
A)鶏が鳴いていた。空に焦がれて鳴いていた。自分は空を飛べないのだと知ってしまったから。叶わぬ思いに、泣いた。
B)――その構造は教科書に載っている図のように、二本の鎖が規則正しく螺旋状になっている。この構造のことを、二重螺旋構造と……ユウタ。ユウタ!
A)!
B)授業中はちゃんと話を聞けって言ってるだろう。

 うなだれるかのように頭を垂れる少年。おもむろに立ち上がり、先生の目を見据えた後、教室を去っていく。

B)おい、ユウタ。どこへ行くんだ。ユウタ!

 それぞれ別の場所にいる二人。

A)……その日、僕は、ハトを殺して食べた。
B)どうしてそんなことをしたのか、俺には分からなかった。ただ、自分とは違うイキモノなんだと、そう思った。

Ⅴ.予兆

 ふっと元の場面に戻る。

B)ユウタ。学校に行ったんじゃなかったのか。
A)あの人、
B)コトリがどうした。
A)ううん。何でもない。
B)お前にはヒトミちゃんがいるだろ。
A)……籠の中の鳥って、幸せなのかな。
B)閉じ込められてるってのは、その分、守られてるってことだと思うけど。だから学校もあんまり気負わずに行けばいいんだって。
A)……。
B)お前、彼女とは? 会わないのか?
A)いつも一緒にいるよ。
B)(心を示して)ここにいるってか?
A)(胸ポケットからビー玉を取り出す)
B)何それ。
A)ヒトミだよ。人魚のヒトミ。
B)綺麗だな。
A)うん。
B)付き合ってんの?
A)……拾った?
B)人間だったら犯罪だ。
A)人魚だからね。
B)いいのか、学校。
A)イツキさんはいいの?
B)何が。
A)僕の監視、サボってた。
B)監視じゃなくて、話し相手。
A)同じだよ。僕を鎖に繋いでおこうとするんだ。
B)お前は放っておくと何するか分からないからな。
A)僕は犬じゃない。
B)人間だって、みんな鎖に繋がれて生きてるもんだ。
A)窮屈だよ。
B)仕方ないだろ、院長センセのお言い付けなんだから。
A)イツキさんも、僕を病気だと思ってる?
B)病気だから病院に行ってるんじゃないのか?
A)イツキはどう思ってるの。
B)……病気とか病気じゃないとか、そういう問題じゃないだろ。ユウタは、ユウタだ。

 ――風。

A)……僕は、天使なんだ。
B)何だよ急に。
A)背中に羽根がある。
B)飛べんのか?
A)鍵が掛かっていて、飛べないんだ。
B)天使が飛べなくてどうする。
A)それでも、僕は天使だ。
B)ホント、変な奴。
A)変なのは僕じゃない、みんなの方だ。
B)自己中だな。
A)普通だよ。
B)……自由、なんだな。
A)自由じゃないよ。鍵が掛かってるんだ。
B)羽根があるならいつか飛べるだろ。
A)……。
B)……俺、最近変な夢を見るんだ。同じ夢を何度も何度も。
A)どんな夢。
B)コトリを殺す、夢なんだ。

β.

 茫漠とした世界で、子どもは一人うずくまっている。

A)始まりは、あの世界の終わりの日。――空が焼けている。不気味なまでの静けさが耳を満たす。毛布にくるまり、僕はひたすら時が来るのを待っていた。不意に電波が入り、時報を告げた。すると初めて目覚めたかのような痛みを覚え、身に覚えのない傷が熱を持って疼いた。奇妙な陶酔があった。不可思議な感慨が湧いた。まるで昔を懐かしむように、僕はただ、胸を満たす水音を聴いていた。

 波の音。女の影。

A)彼女の瞳は、青い色をしていた。空をそのまま映した海のように、深くて底が知れなかった。彼女は一言も喋らなかった。僕も何も言わなかった。彼女はすべてを知っていたから、何かを伝える必要などなかった。僕たちはただ見つめ合っていた。結晶のような炎が、静かに揺らめいていた。――最後に彼女は、微笑って姿を消した。今も耳に残る波の音。赤い花が綻んでいる。それは確かに、誰かを誘惑していた――。

Ⅵ.反転

 明転。中央で白い布にくるまる子ども。歌が聞こえる。それは優しく、とても美しいメロディー。現れる女。子どもに気付き、声が止む。

C)……。

 暫くじっと見つめている。頬をつつく。起きない。つねる。起きない。布を掴み、引っ張る。引っ張り返される。最終手段、背中を叩く。

A)……痛い。

 女は背後から子どもを抱き締める。

C)ここで何してるの。
A)夢を見ているんだ。
C)夢?
A)空を飛ぶ夢。僕は天使なんだ。

 子どもの目を塞ぐ女。

C)天使がどうしてこんなところにいるの。
A)夢を見ているから。
C)夢は見るものじゃなくて、叶えるものでしょ。……飛べばいいのに。
A)できないんだ。鍵が掛かっているから。
C)また同じこと言ってる。
A)……ロックが掛かっているから。
C)キーはどこ。
A)僕は持ってない。
C)メーテルリンクの青い鳥。探し物はいつもどこにある?
A)そんなの、分からないよ。(目隠しを外す)君は飛ばないの。
C)私は飛べないの、天使じゃないから。(Aの背中に触れ)羽根があるなんて羨ましい。でも、今は仲間だね。

 女、去る。

Ⅶ.逆行

 男、来る。

B)またここにいたのか、ユウタ。
A)誰?
B)誰? じゃ無いだろ。イツキだよ。
A)ああ、イツキ。
B)何かあったのか。
A)何も無いよ。
B)何も無いのに人は変わらない。
A)外側から見るんだね。
B)内側なんて分からないからな。……どうして病院に来ないんだ。
A)忘れてた。
B)忘れてたって……お前、ここ一週間、学校にも行ってないだろ。
A)一週間?
B)寝てばかりいるから時間の感覚失くしたんじゃないのか。
A)失くしたんじゃないよ、取り戻したんだ。
B)取り戻した?
A)僕は、本当の時間を取り戻したんだ。
B)時間に本当も嘘もあるかよ。
A)あるよ。時間は二つある。ここを軸にして、螺旋を描いて回ってるんだ。
B)螺旋?
A)赤と青の綺麗な螺旋だよ。
B)白を足すと床屋だな。
A)……ホントだ。
B)こんなところで何をしているんだ。
A)夢を見ているんだ。
B)夢。
A)背中に大きな羽根があって、僕は空を飛んでいる。耳元で唸る冷たい風と、太陽の粒子が煌く海。海の向こうには瓦礫の街があって、そこにはたくさんの人が住んでいる。僕は街の真ん中にある塔に降り立って、羽根を休めて眠るんだ。……食べる?(ビー玉を差し出す)
B)何で。
A)渇いてるんでしょう。
B)(受け取る)……どうすれば、いいんだろうな。
A)食べてしまえばいい。
B)そんなことできるわけないだろ。
A)イツキはどうしたいの。
B)……俺は、コトリを殺したくない。
A)本当に?
B)ああ。
A)それは、嘘だよ。
B)嘘じゃない。
A)嘘だよ。
B)嘘じゃない! ……いいよな、お前の夢は。俺のは悪夢だ。俺はコトリを殺す。何度も、何度も、毎日のように。殺す。殺す。殺す。……殺す? ……っはは。ははははははははははっ
A)イツキ。
B)……。
A)それは、夢だよ。

 間。

B)……そうだな。ユウタ、自由なのはいいけど、病院にはちゃんと顔を出せよ。
A)自由じゃないよ。ロックが掛かってるんだ。

 ロック音楽が鳴る。

B)はい、もしもし。……コトリ?
C)そう、私。イツキ、今から逢いに行くね。
B)今から?

 物陰に隠れて電話をしている女。状況を察し立ち去る子ども。男は気付かない。

C)駄目?
B)大丈夫。全然OK。
C)じゃあ、前と同じ場所でいい?
B)ああ、待ってるよ。
C)じゃあ、すぐに行くから。切るね。
B)気を付けてな。……あれ、ユウタ?

Ⅷ.休止

C)ユウタって?
B)うわ、早えな。
C)ユウタって。
B)例のいとこだよ。
C)さっきの子?
B)ああ。どこ行ったんだろうな。まあ、すぐ戻って来るだろ。
C)あの子、私、夢の中で逢った。
B)え。マジで?
C)自分のこと天使だって言ってた。
B)それ、夢と現実ごっちゃになってねーか。
C)なってないよ。普通、自分のこと天使だなんて言わないでしょ。
B)いや、あいつは普通じゃないからさ。
C)言ってたの?
B)ああ。
C)そっか。
B)驚かないんだな。
C)よくあるんだよね、こういうの。夢で私の名前を呼んだ人から、次の日の朝メールが来たり。夢の中でメールをもらったら、次の日話しかけられたり。指輪をもらう夢を見た次の日に告白されたり。
B)でも、必ず起こるとは限らないだろ。
C)そうだね。前に、山が噴火して溶岩がどろどろ流れて来る夢を見たことあるけど、特に何も無かったよ。
B)凄えな、それ。
C)どんどん居場所がなくなっていくの。津波みたいに。逃げて、逃げて、逃げて、最後は……。
B)最後は?
C)目が覚めた。
B)無事でよかったな。
C)イツキはどんな夢見るの?
B)いや、俺、あんまり夢見ないんだよ。
C)覚えてないだけじゃない? 夢日記付けてると、よく思い出せるようになるよ。
B)別に思い出す必要ないだろ。夢より現実の方が大切なんだから。
C)そっか、そうだよね。あ、私忘れ物しちゃった。ちょっと取って来るね。
B)どこに。
C)心の中に。……自転車の籠の中。
B)そっか。
C)すぐ戻るから。
B)ああ。

γ.

B)一時凌ぎの時間は延々と繰り返される。無意味な一周がやがて意味をなすまで回り続ける。ブラックホールにいつまでも引き延ばされた一瞬は、いつ臨界を迎えるかも分からない。
A)目を瞑れば、目蓋に甦るイメージ。踊るスカート。届かない手。鋭く空気を切り裂いていく風。無情な音に呑まれていく。羽根を失くした小鳥は、遠くへ飛んでいくことはできなかった。その代わりに、
B)ただ一つ、呪いを残して落下した。呪いの内容は、
A)知らない。肝心の内容を、僕は知らない。けれど身体は、
B)昨日よりも克明に記憶している。肌に直接、
A)刻まれた言葉は、その意味を意識の届かないところで眠り続ける僕に託した。……欠落は、
B)(ビー玉を取り出し)血を流してその存在を主張する。決して忘れさせないために。

Ⅸ.切断

ビー玉をもてあそんでいる男。女、バスケットを持って来る。

C)食べる?
B)何それ。
C)林檎。
B)そっか、お姫様が料理するわけないよな。
C)そんなこと言うとあげないよ?
B)俺は別に、
C)ん?(ナイフを手に持っている)
B)食べたいです。
C)最初から素直にそう言えばいいのに。ていうか、ちゃんとサンドイッチも作って来てるよ。
B)普通サンドイッチが先じゃないか? デザートが先って。
C)いいじゃん。産地直送で美味しいよ?

 女は鼻歌を歌いながら林檎を剥き始める。その手元をじっと見つめる男。

C)……どうしたの?
B)いや、別に。
C)ぼうっとしてない?
B)可愛い小鳥に見蕩れてたんだ。
C)見蕩れるってさ、見て蕩けるって書くんだよね? 見る方が蕩とけるのかな? 見られる方が蕩けるのかな?
B)見る方じゃないか?
C)そっか、見る方が蕩けるから、見られる方も蕩けるんだ。
B)どういう意味だよ。
C)そのまんまの意味。そういえば青い鳥って、最後は飛んで行っちゃうって知ってた?
B)いろんなところを探し回ったけど、結局身近なところにいたっていうオチじゃなくて?
C)そのあと。飛んで行っちゃった青い鳥は捕まえられなくて、「だれか、だれか、青い鳥を見付けたら教えてください。青い鳥は僕たちに必要なんですから」って、チルチルが言って終わるの。
B)どゆこと?
C)答えって自分で探すべきものじゃないんですか? 青い鳥みたいに。
B)じゃあ、今度読んでみるかな。
C)元は戯曲なんだよ。
B)へえ。
C)「未来の国」っていうのが最後の方で出て来るんだけどね。そこでは生まれる前の子どもたちが、自分の運命が入った袋を持って、時が来るのを待っているの。空を飛ぶ機械を発明する子とか、地上に正義をもたらそうって決意している子とか、いろんな子がいるんだけど。三つの大きな病気を持って生まれて、早死にしてしまうって決まってる子もいて。それでも生まれなくちゃいけないって、どういうことなんだろうって思った。
B)コトリの袋の中には、歌が入ってたんだな。
C)イツキの袋の中には?
B)コトリがいた。
C)医者じゃなくて?
B)……コトリ。俺、コトリのこと好きだよ。
C)ありがとう。
B)コトリは俺のこと好き?
C)どうしてそんなこと聞くの?
B)コトリって、時々どっか遠くへ行っちゃいそうな気がするんだよ。
C)私はここにいるよ。
B)そうじゃなくてさ。……置いてかないで。ここにいてよ、ずっと。
C)……嫌。
B)コトリ、
C)嫌! ……っ(はずみで指を切ってしまう)
B)……。

女の指先をじっと見つめる男。

C)……イツキ?

 男は女の手首を掴んで、ひねる。

C)痛っ……痛い痛い痛い!

 ふと我に返り、男は女の手を離す。

B)……ごめん。

 男は手を放し、彼女を置いて去っていった。
 彼女は残されたビー玉を拾い上げる。

Ⅹ.対峙

 物陰から現れる子ども。

C)……見てたの。
A)君は……。
C)これ、あげる。(と言って、ビー玉を差し出す)
A)何それ。
C)お守り。
A)(ビー玉を受け取る)
C)(手首の包帯を見咎め、引き寄せる)どうしたの、これ。
A)(振りほどく)……罰だよ。
C)罰?
A)僕は生まれて来なければよかったんだって。僕がいるから幸せになれないんだって。僕がみんなを不幸にするんだって。だから、罰。……血、出てるよ。

 子どもは女の指を含む。女はそれをじっと見つめている。

C)……もうすぐ、
A)(口元から指を離し、顔を上げる)
C)もうすぐ、大きな波がやってきて、この《島》は沈む。だからその前に、飛ばなくちゃいけない。背中の羽根を大きく広げて、果てしなく広がるこの世界の彼方、空と海が交わる場所へ飛んでいくの。
A)でも、ロックが掛かっているんだ。
C)それでも飛ばなくちゃいけない。
A)失敗したら?
C)死ぬよ。
A)飛ばなかったら?
C)死ぬ。
A)君は飛ばないの。
C)私は飛べないの、天使じゃないから。羽根があるなんて羨ましい。
A)羽根は鳥にだってあるでしょう。
C)もう、失くしちゃったの。
A)……だからそんなに痛そうなの。
C)痛い。そう、痛かった。
A)だからずっと籠の中なの。
C)……。
A)だから、邪魔をするんだね。
C)邪魔なのは、あなたの方。……墜ちてしまえばいいのに。
A)僕は天使だ。
C)でも、ロックが掛かってる。飛んで。早く、飛んでよ。
A)キーはどこ。
C)私は持ってない。
A)……。
C)いいな、その目。私、あなたのこと好き。大好き。
A)(ナイフを手に取る)
C)私のこと、嫌い?
A)(振り翳す)
C)でも、あなたは私を殺せない。
A)!

 天使は急激な背中の痛みに襲われ、崩れる。

C)あなたじゃ私を殺せない。血が、鎖のように私たちを繋いでいるから。私がいなければ、あなたは生きることができない。(背中に手を触れ)……ねえ、痛い? 私はもっと痛かった。羽根があるなんて、許さない。

 女は羽根を毟り取るように布を剥ぎ取り、叩き付ける。そして子どもを残し、去っていく。

A)……痛い。痛いよ、お母さん……。

ⅩⅠ.直前

 空が焼けている。異様なまでの赤い色。
 背中の痛みに苛まれながら、子どもは必死で布にくるまろうとする。

 現れる男。反対側から現れる女。男は呪詛のように言葉を吐きながら、女は歌を歌いながら、舞台を回る。

B)俺はコトリを殺す。何度も何度も、毎日のように。同じように繰り返す。同じとこだけ繰り返す。頭の中をぐるぐると、壊れたレコードのように回っている。繰り返す呪い。呪いは繰り返す。繰り返し呪う。呪われた繰り返し。繰り返し殺す。殺す。殺す。殺す。殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、

 男はナイフを拾い、その刃先をじっと見つめる。

ⅩⅡ.再現

 鐘が鳴る。

 2人は互いの存在に気付き、笑い合う。
 彼女はキスをするときのように目を瞑る。
 彼は隠し持ったナイフを彼女へ――

 暗転。
 鐘は鳴り続けている。

ⅩⅢ.黎明

  一部始終を見届けた天使は〝お守り〟をポケットにしまって立ち上がる。そして一歩一歩確かめるように階段を昇り、布を捨てて、飛んだ。

《島》は、沈む。

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