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「がんと移動の関係を考える vol.7 〜文化的生活を諦めたくなかったある親子の物語〜」

CancerXモビリティチームでは、がん患者と大切な人たちの「移動・移動先」の課題について取材・執筆活動を行っています。7回目の今回は、CancerXメンバーの半澤絵里奈が、本モビリティチーム発足のきっかけのひとつとなったある親子の物語をお伝えします。
8回目の記事とご一緒に、連載記事としてお楽しみください。

母と過ごしたさいごのアート時間

ある親子とは、まさに私と私の母のこと。
美術・建築の研究を長く続けていた母にとって美術展めぐりは生活の一部でした。多いときは週に3~4件まわり、その全てのパンフレットや書籍を丁寧に整理しては、関連性のあるコンテンツや別の展覧会にも足を運んでいました。しかし、肺腺がんの告知を受けた後は、入院生活や抗がん剤治療の副作用により体力が失われて行き、美術館からも足が遠のいていました。

母の人生と美術鑑賞は切っても切り離せないもの。
少しでも動けるうちにもう一度家族でアートな時間を楽しめないか父と相談し、家族で何度も通っていたポーラ美術館への来訪を含む箱根二泊三日の旅を提案したのは2017年6月、初夏のことです。

ちょうど『ピカソとシャガール展』を開催している頃でした。左から筆者、母、娘。


雨に降られてぐんと葉を拡げた木々たちが生い茂り、霧がかった景色から洗練された建物が姿を表すポーラ美術館。入口のエスカレーターを降りながら、私は母に「受付で相談して、車椅子を借りて回ろう」と声をかけました。母は、私の方を振り返り、遠慮がちなまなざしで「いいの?」と返事をしました。

孫と同じ目線で観る美術が新鮮!という価値

美術鑑賞は、複数名で行けば作品を観るスピードに差が生まれます。そうなると、母が気を使うかもしれない、鑑賞のために照明の落とされた展示室で調子が悪くなってもすぐに気付けないかもしれないと思いました。

「その方がゆっくり観られると思うよ」とだけ伝え、受付にずんずんと進んだのは私。受付に「実は母が病気の治療中で体力に自信がないので、車椅子をお借りしても良いですか」と聞いたところ、「もちろんですよ、こちらです」と直ぐに一台の車椅子を貸して下さり、どこにエレベーターがあるのかも併せて教えて下さりました。

「ゆっくり押すお約束守るから、私に押させて」と車椅子のサポートを申し出たのは私の娘。
やや不安そうにひょうきんな表情をした母を見ないふりして、これも想い出になるかなと娘に任せることに。

当時企画展として実施をしていた『ピカソとシャガール展』を鑑賞しながら、一枚一枚、絵の前で止まり、私の娘に絵の解説をする母の姿は忘れられません。当時、私の娘は5歳。その絵を描いたときに、ピカソやシャガールの人生でどんなことが起きていたのかを話しながら、その絵に込められたとされている意図や作風、それぞれの交友関係に至るまで絵本を読むように話し、娘はその絵を観てどんなふうに思うか子どもなりの言葉で母と対話を重ねていました。


一通り観終えて、展示室を出た瞬間の母の一言が印象的です。
「この高さで絵を観るのはどうかと思っていたのだけど、5歳の孫娘と同じ目線で観る美術が新鮮。とっても面白い。100cmちょっとの彼女にしか見えない景色を共有してもらえた感じがするよ」


送りたい写真とストーリーのある食事

母が安心・安全に美術鑑賞をかなえられたこと以外にも、美術館でうれしかったことがもう2つあります。

一つは、企画展示の入口にフォトスポットが準備されていたこと。

病気によって体型や表情が変わり、写真を撮ることをあまり好まなくなっていた母がこの日はフォトスポットで写真を撮ることをとても楽しんでいました。
”箱根まで家族で来れたよ”、”大好きな美術鑑賞ができたよ”、ということを友人たちに伝えたかったようです。母の他界後、友人たちに連絡をして欲しいと彼女に託されたスマートフォンを覗いて、あの時の母の喜びに気付かされました。お友達に心配をかけまいと病気の進行を話せないでいた母にとって、病室や自宅以外で楽しんでいる姿を記録に収められることはとっても嬉しいことだったのだと思います。

もう一つは、併設のレストランで『ピカソとシャガール展』にちなんで企画されたメニューを母がぺろりと平らげたこと。

当時の母は、食事といえば小鳥がついばむ程度の量で具合を悪くすることが続いていました。そのため、レストランでランチをしていこうとなったときに人数分のコースを頼むか悩みましたが、母曰く「食べられる」と。「いいんじゃない、食べたいなら頼もうよ」と父。食べきれなかったら食いしん坊の私が頂くことにして、オーダー。驚くことに、母は、ゆっくりとではありましたが、提供されたコースをデザートまで見事に平らげました。

食事中は、直前に見た展示やレストランから見える美しい景色についていつもより饒舌に語り、ナイフとフォークを良く動かす母の様子を見て、彼女の食卓に必要だったのは、ストーリーだったのか!と思わされたエピソードです。

がんによって、文化的生活を諦めたくない

がんの告知から数か月は、父の献身的なサポートにより母の文化的生活は守られていました。しかし、だんだんと「映画館で作品が終わるまで座っていると腰が痛くてもう難しい」、「美術館に行って展示室の途中にお椅子を見つけられなくて具合悪くなっちゃいそうだった」と弱音を吐くメールが増えました。

がんに罹患してもしていなくても、人には生きていく上で大切にしている時間があると思います。それは人によっては、仕事であったり、友人との会話であったり、美味しいお酒を飲むことであったり、スポーツであったりと様々です。母にとっては、美術・建築への探求心を満たしていくことが生きがいの一つでした。がんに罹患し体力が落ちていくに従い、比例して文化的生活も失われていく様子に、母から母らしさを奪われるような気がして私は大きな危機感を覚えていました。


ポーラ美術館来訪から3か月後、母は生涯を閉じました。
さいごまで手の届くところに『ピカソとシャガール展』の関連資料を置いている様子を見て、あのとき残された体力をにらみながら移動する決断をし、貴重な時間を過ごせてよかったと思っています。あの時の母らしい姿の記憶が、今でも私を支えてくれます。

今回は、がん罹患によって文化的生活を諦めないために「移動と移動先」の課題に取り組んでいきたいと思うきっかけとなった、ある親子の物語をお届けしました。


次回記事は、本記事でもご紹介したポーラ美術館 広報担当の田中さんに、ポーラ美術館のユニバーサル対応について取材させて頂いた内容をお届けします。お楽しみに。

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