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【短編小説】心は宇宙人の話

僕は、G高校、2年C組にいる。
友達は僕をサダオミと呼んでいる。
フェンシング部に所属している。
友達は多い、そして、女子生徒から人気があるらしい。
僕は17歳の男子高校生、そして、心は宇宙人。
 
自分が宇宙人だと気が付いたのは、結構遅かった。まえから、すこし不思議な感じはしていたし、とても頭を使って周りの人と対応してきたのだけれど、7歳になるまで分かっていなかった。
7歳の時、友達とスーパーヒーローものを見ていた時、キキ星人がヒーローに倒されてしまった。それも、なんと、二週間も粘った上に…。そのとき、はっきりと心の声がした
「だから、きちんと頭をつかって周りに合わせないと。キキは幼かったんだなあ」
って。
別に哀れとも、面白いとも思わず、優越感も感じなかった。というか、僕にはすべての感情表現はまねごとで、実際には、まったく感じない。
僕はそのときに、「自分は宇宙人で、地球人にまじって生きていかないといけない」という心の命令を聞いた。だから、13歳になるまでは、宇宙人であることを隠して生きているとおもっていた。でも、ちがったんだ。
僕の体は、予防接種をすれば、副反応を起こすし、おなかはすくし、けがも友達と同じようにする。痛みも感じる。風邪もひく。ニキビもできたし、声変わりもした。そう、僕の体は、周りの男の子と同じように、保健の教科書に書いているように、インターネットにでているように、地球人である日本人の男の子だった。
そして、ある日、「本当につまらなくて、退屈だ」という気持ちが初めて湧き出てきたとき、体と心が一緒じゃないって知ったんだ。
 
それは、クラスの男の子たちが、漫画雑誌の表紙を飾るグラマラスな女の子の写真に興奮していた時だった。「中学生のそういうのって、あるよね。つまらない時期だよね」って思ったあなた。これを読んでいるあなた。あなたと違うのが分かったのがこのときだったんだよ。僕が心底退屈に感じたのは、白い水着を着たグラマラスな女の子のことだったんだ。
退屈というのは人間の表現で近いものがそれだというだけで、正確ではないと思う。「そこはかとなく」を、うまく英語に訳せないような感じだと思ってほしい。「これを長く見ているより、ほかのことをしたいなあ」という強い思いと言ったらより正確だと思う。
 
僕は、退屈、飽きるということがそれまでまったくなかった。だから、運動でも、勉強でも、飽きることなくできる。全く飽きないし、辛くない。ただ、眠くなる時間に眠くなるし、作業興奮もない。親や友達に、宇宙人だとばれないように、リズムをつけて自主練習、勉強をしていたけれど、それは「キキは幼かったんだなあ」という心の声が参考になったからにすぎない。
でも、そのグラビアは全くもって退屈だった。
そして、高校に進むと、退屈なことはますます増えた。僕はフェンシングで活躍していたから、女子から声をかけられるのだけれど、その姿態も、よく考えられた髪型も、短いスカートからすらりとのびた足も全く退屈で、別のことをしたり、別のものを見たり、聞いたりしたくなる。
不愉快、くだらない、といった感じはなにもない。ただ、そう、「腹を抱えていーんだよ」っていうお昼の長寿番組のMC(ダマちゃん)が、10秒に一回「いーんだよ!」といいつづけているような退屈さ、クサさなんだ(実際のダマちゃんは、頭がいいといわれていて、たまにしか「いーんだよ」とは言わないんだけど)。
ただ、これもあくまでそう表現したら通じるかもというだけの話。僕は「腹を抱えていーんだよ」の日曜特別版を大好きで欠かさずみてるけど、ダマちゃんにも、ほかのレギュラーにも、ゲストにもまったく何も感じない。少し退屈な感じがするくらいなんだ。面白いのは、全く笑えない出演者たちが何か言うたびに爆笑している会場の人たちが映った時。ああ、なんて素敵で、コロコロと滑稽で、かわいいんだろう、人間って。地球にいてよかったって思うのはこんな時だ。
 
さて、話をもどそう。僕はおしゃれをした、セクシーとみんなが騒ぐ女性が退屈に感じて、ほかのことをしたくなる。だから、僕の心、宇宙人の心は男子高校生と別のもので、地球人の魅力的な女性が退屈なんだと思っていた。
ところが違ったんだ。男の子たちも、トイレに行くたび鏡を見ては前髪を触りだしたころ、憧れの俳優、ミュージシャンの写真をみてはその話で盛り上がるようになってきた。
そう、全く退屈で、何処に見ていたいものを見つければいいのかわからなかった。でも、僕は「キキ星人になってはいけない」と心に誓ったから(ほんとは、誓いというのはわからなくて、そう決められたからそうしてるのが正しいのだけれど)、一生懸命、退屈な勉強をした。だから、クラスメイトで、もっともスターの情報に詳しいのは僕なんだ。
つまり、ぼくは、男性でも、女性でも、皆が素敵と思うものが退屈だということがとてもよくわかった。そして、それは、僕を少し自由にした。
 
僕は甘いものが子供のころから好きではなかったし、嫌いでもなかった。カレーもハンバーグも、ゆで卵も、りんごも、ケーキも、好きでも嫌いでもなかった。食べたくないという気持ちも、食べたいという思いもまったくなかった。だから、キキ星人にならないように、ともだちをよく見てそこから僕の「好きな食べ物」というカテゴリーを作りだした。
今回、退屈に思えることをみつけたとき、逆に、「好きな」食べ物もあるのじゃないのかって、ひらめいたし、試してみたくなった。そして、大好物を見つけた。それは、にがり。それも、Naがほとんど入っていない、ほんとのにがり。この苦さのなんて滑稽で楽しいことか。さらに、それに冷蔵庫に入っている黒酢を少しだけ混ぜると、もう最高なんだ。僕は退屈があることを知り、滑稽で楽しいものがあることを知った。そして、にがりは僕の隠れた楽しみになった。
 
こうしているうちに、僕にとってなぜおしゃれな美男美女が退屈なのか分かりはじめてきた。
それは、友達に連れられて、ハイキングにいったときのことだった。遠雷の音が聞こえると思っていたら、いきなり、目の前の木に落雷し、木が燃え上がった。ものすごい音、光、熱。皆、怯えきり、慌てまくっていた(幸い、その後、雷が近くに落ちることはなく、皆無事だったのだけど)。
ああ、その時の思い、なんて素敵な輝き、心が花開く思い。皆にみられたらキキ星人の二の舞だった!そう、僕は泣きそうなほど心が輝いて、笑顔がこぼれてしまったんんだ。
こうしたことが、もう一回だけあった。コンサートの後、友達は興奮して道を広がって歩いてた。そこに、半ぐれかな?とても大きな人と、痩せているけれど、体中にタトゥのある人の二人組がきて、ぶつかりそうになった。すぐに、友達の一人は引き倒されて、蹴られて血まみれ。ほかの友人二人は慌てて逃げて、警察に電話してた。僕は残って見ていたのだけど、お腹、顔をひどくなぐられた。僕の体は人間だから、機能不全を起こすし、出血もするし、痛みもある。でも、僕はどれも嫌いでも、好きでもない。ただ、本当に人を傷つける暴力に、落雷のときとおなじ、心の輝きを感じた。そう、僕はうれしくて心底笑ってしまっていたし、せき込むなどの人体の反応のなかで、心の花が開くように感じた。
人間が暴力を見たいのは、自然の脅威現象に近いからなのかもしれないと思いながら、その二人組がずっとこの世にあり続けてほしいと心が願っていた。
おそらく、そうしたちぐはぐな感じが人間には戸惑いを起こさせるのだろう。半ぐれは殴るのをやめて、すこし動きをとめた。そこに、サイレンの音が。おそらく運がよかっただけで、僕は普通なら死んでいた。キキとは違う死に方なのだが…。
そして、その時、僕の宇宙人の心は「地球のこれが好き!」と叫んでいた。
「ああ、心ってあるんだ。人間が言ってることは本当なんだ」って思ったんだよ。
 
その後、僕はキャンプに自分から行くこともないし、雷が鳴っているからってわざわざグラウンドに佇んだりすることもない。夜の街、裏町をさまよって、怖い人に会いに行くこともない。それは、どちらもまったく退屈なんだ。おしゃれな美男美女と同じ感覚。わざわさ求めにいく脅威は「養殖された脅威」に過ぎない。僕の心が開くのは、「天然の脅威。なんの取り決めも見えない脅威」なんだ。だから、僕は遠雷が来たら注意して避難するし、治安の悪いところにすすんで行ったりもしない。そうでありながら、予想外に雷が近くに落ちたり、予想外に怖い人がいきなり現れたりしたらきっとうれしいと思っている。多分、隕石が急に降ってきたら、僕の心の声は、喜びの音として、のどから出るに違いない。
でも、天然っていうのは、なかなか来ない。そして、そのことを僕は全く苦にしないが、いつか来るかもしれないという思いは、小さな喜びをくれる。そう、僕の心は育ってるんだ。
きっと、おしゃれな美男美女は、本能によって養殖された、パターン数が少ない出現系なんだろう。そういう、養殖物に退屈するのが僕の心らしい。
 
その一方、僕には毎日を輝かせてくれるものがある。それが斉山君だ。斉山君は、小太りで、歯並びがわるい。そのうえ、自分の好きなこと(火災報知器のマニアなんだ)をずっと話し続けるし、アイドルも、おしゃれも、アニメも、漫画もまったく興味がない。数学は苦手だし、運動は平均よりちょっと劣るけど、総じて学校にはなじんでる。忘れものもすくないし、当番もきちんとこなす。でも、火災報知機の話がはじまると、みんな逃げていく。そして、一日に二回はそんな時間がやってくる。
「斉山、いいかげんにしろ」という声はもうない。みんなわかってる。男子にも女子にもそれほど人気はないが、普通に変わったやつで、害はないけど、火災報知器のことは何を言っても無駄と思ってる。それだけの存在。そして、僕にとっては、「ああ。神様はいたんですね」って思うような大切な、素敵な、唯一の存在。
彼が話始めると、それはまるで世界にたった一つの高級時計の音、毎朝歌を歌う南方の鳥のように、すばらしい。くすぐったくて、きもちよくて、滑稽で、そして、かわいい。そんな思いで心が満たされる。ずっと聞いていたい。ずっと、毎日、24時間聞いていたい。そう思わせる数少ない存在、それが斉山君。でも、「キキは幼かったんだあ」という言葉は忘れない。だから、適当なところで、僕は彼のもとを離れていく。彼も別に気にしない。だって、かれは火災報知機について発話したかったのであって、ぼくなんかどうでもいいから。その素晴らしさ、神は、そんな唯一、最高のマシンをこの世に、宇宙人の心の前に遣わした。
ちなみに、クラスメイト達の反応は、「サダオミはほんとに優しいな。斉山の話をきいてやるなんて。無理すんなよ」という感じだ。宇宙人の心はわからない。そして、分からなくて「よかった」ってホッとする。
もう一人は山本さん。このひとは、近所に住んでいて、だれかれ構わず捕まえては、嫁、隣人、自治会、市役所、スーパーなどなどの悪口を言い続ける。だから、山本さん(おそらく70を超えて、息子夫婦と住んでいる)を見かけるとみんな逃げていく。僕は、もちろん挨拶する。満面の笑顔で。そして、斉山君とは異なるが本当にすばらしい話を聞くんだ。意味も理由も根拠もなく、本当に起こっているのでもないことの機械的な発話。ガラガラとした響きを含んで、ずっと話し続けている。周りの人もあまり近づいてこない日は、2時間近くうっとりと相槌を打っていた。近所の僕の評判は「いい男子高校生」と上がっていき、山本さんは僕の悪口もいうため評判が下がっていっているけれど、二人にとってそれは全く関係ない。
斉山君、山本さんがいなくなると思うとすこし嫌な気持になる。これが喪失感というものなんだろうか?この稀有な、素敵な、かわいい、滑稽、にこやかになる存在との出会いは、宇宙人の心を持っていてよかったと思わせるんだ。
 
ああ、ちょっと横道。僕は本もたくさんよむ。退屈も興奮も感じずただただ読む。覚えていることも忘れていることもあるけれど、僕という存在と似たものの過去の痕跡を探そうとしているらしい。そのなかで、「人間そっくり」な宇宙人の話があった。珍しく興味をひかれたのだが、やはりなにもなかった。その存在は宇宙人か人間かわからないという話しだったから。
僕は間違いなく地球人の男子高校生。そして、間違いなく心は宇宙人なんだ。
 
僕は人の体に触れたり、見たりするのが退屈でしようがない。だから、クラブに入るとき、防具をまとって、まるでキリコの人形みたいになって戦うフェンシングを選んだんだ。これは成功で、大会でも活躍してる。
一方、最近の僕の課題はお風呂。それも、家族や友人と温泉や合宿にいったときだ。男性と一緒だと(機会はないけれど、たぶん女性と一緒でも…)退屈さを隠せない。どうも世の中で、全裸が一番退屈らしい。それが近くにあると思うだけで、体を洗う気持ちが失せてしまう。だから、大きな風呂があっても、混んでいるときに行って、わからないようにさっと引き上げて、内風呂で済ませるのがベター。
最近はトイレで、隣に立って誰かが小用をしているというのも、不快なのではなくて、たまらなくつまらなくて、飽き飽きする(もちろん、人間の感覚と違うんだけど、近いと思う。ああ、そうか、つまり、僕はそれ以外はとても心が生き生きとしているのかもしれない)。
だから、ショッピングモールなどでは多目的トイレを使うことが多いんだ。誰とも離れて、宇宙人の心のまま、退屈を感じず、退屈を他の人にばれないように隠さなくてもいい、そんな普通の場所。
ただ、男子トイレが空いているのに、多目的トイレに入ろうとして、清掃、管理のおじさんに「そこは必要としてる人が優先だからね」と釘をさされたことがある。「はい」とはいったものの、彼がいないときにはいつも利用していた。そして、二度目に「あんた、男子トイレが空いてるんだからね」といわれたとき、はいでは済まないと思い、「表に見えない理由がありまして」というしかなかった(キキ星人と同じほど幼い対応をしてしまい、ほんとにドキドキした)。
するとおじさんは、はっとしたように、「ああ、いろんなね、なんていうかね、事情があるね。まだ、そういう問題についてよく分かってなくてね、すまんかったね」といってそれからは何も言わななくなった。
おじさんは、申し訳なさそうにしていて、逆に僕も申し訳ないような気持ちがした。だって、僕はトイレのことで、本当に困っていたわけじゃない。ただ、退屈だと思いたくなかっただけなんだ。
 
僕は、体が高校生で、心が宇宙人。そして、それは、まったく完全に無問題なんだ。僕は、この星の、滑稽で、かわいくて、素敵でコロコロと笑いたくなる存在たちが大好きだ。明日も会えるなんて、なんて素敵な生活だ。
 

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