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15minという名の3h

今日は朝一で会議。ここのところ、朝から予定が入っているので、朝が遅い僕には辛い日々です。夕方に集中力が切れます。朝早く始めたら、早く切り上げれば良いのですが、一度始めると続けてしまうという耐久力というか、短期決戦で全てを決めたい節があります。小学校から中学校の頃は、夏休みの宿題は最初の3日以内で終わらせていました。しかし、このやり方はもう出来ませんね(後述)。

会議後は、鹿大にきてからは初めて行う処理事項を1件。その後は、事務へ行って昨晩まとめた書類などを提出し、いくつか質問をして手続きの確認。セブンイレブンに行って早めのお昼を購入しました。歯磨きもしました。

その後は、割とテキパキと事務仕事をして、かなりToDoを打ちのめしました。ここ数ヶ月の懸案事項の方針が先週固まったので、一気に手続き書類を作り(というか昨夜準備済みだった)、学内の各所へ送信。組織で仕事をするということは、大きなことをする反面、常に意思決定というものが律速となります。意思決定とその過程が全てと言ってもいい(物事が進まないことの)。待ち時間を見越して作業をしないといけません。多くの人と働いているので(良し悪し)。会議の前に、実験室のライトの不具合を1つ解消する作業をしました。

15時からはまた会議。とある先生に捕まえられて、相談を受けるも、ほどほどのところで手を打つことに。僕も、事務の上役の人を捕まえて軽く打ち合わせ。部屋に戻って午前の会議の議事録を送信。

16:30から2年生の学生さんが訪ねてきて、卒論などの相談。学生さんと話していると、理解の構造とか、人による理解の方法の違い、興味の持ち方などを感じることが出来て面白いです。初心に帰ることが出来ます。振り返れば、将来の不安とか、研究室の人間関係とか、top journalに載るかどうかとか、そういうことを考えずに、純粋に実験や研究が楽しいと感じていたのは、学部生の頃までだったんじゃないかなと感じることがあります。あの頃の感覚があるから、いまでも続けられているのかもしれないし、あの頃の感覚を、失われてしまった感覚を、取り戻したくて、いま、やっているのかもしれない。

学生さんが帰った後、耐えがたい眠気に襲われ「15minだけ...」と言いながら、寝ました。気付けば、3h以上経っていました。なんということだ。怠惰。

卒論中間発表や学会ポスター発表で使うパネルを探して、URAセンターに問い合わせ。オシロスコープ やパルスジェネレータの見積もりをディーラーさんに依頼。今年度の残り予算を再度確認など。

急いでドラッグストアに向かい、サニタリー用品を購入。帰宅後、お風呂へ。晩ご飯は、ゆとりさんがロイヤルホストで買ってきてくれるらしいです。

お風呂からあがると、ソファでMac Bookを枕にゆとりさんが寝ていたので、心を鬼にして叩き起こし、ベッドへ向かわせました。

iPhoneと年賀状

ご飯を食べながら、ここ2日のNHK朝ドラ「スカーレット」を見ました。陶芸家や絵付け師のお話です。ものづくりの話は、だいたい面白いと感じます。今日は、主人公のお父さんが他界する回でした。典型的な関西人で昭和の父といった感じな上に、酒癖も悪くて散財してしまい、どうしようもない感じで、見ているとイライラします(演技がお上手ということ)。しかし、どんな親でも、死んでしまうと悲しいなぁと思うし、子供の未来を案じている、そんな回。

iPhoneのデータがパンパンになってしまい、OSアップデートが出来ない状態が数日続いたので、年末の帰省前でもあるし、データの整理をしました。そこまでパンパンなはずはなかったので、最近のOSにまずさがあると感じています。iMacなどでも挙動がまどろっこしいことが、最近多め。

まずは、iPhoneに入れる曲を減らして、ここ3ヶ月の写真を取り込み、「取り込んだら全削除」の設定。その後、iMacの「写真」アプリ上でアルバムに分けたりして、iPhoneに同期するものを選びます。インスタにあれば十分なものは削除してしまいます。本当は、この作業を月一でやりたいのに、3ヶ月してませんでした。

同期を待っている間に、年賀状の準備。年賀状なんて、やめてしまえば楽なのですが、なぜかやめられません。院生の頃に1回やめたと思うのですが、2014年から再開してしまいました。現在30通強のやりとりをしています。日頃連絡を取る人もいれば、 Facebookではお互い見ている、年賀状くらいでしたやりとりがない、という方もいます。FBで繋がってても特にお互いコメントしないので年賀状で言及し合う、みたいな関係も結構多いです。

人間関係とは、不思議なもので、日頃たいして関わりたくもないのに関わりが深い人もいれば、その当時はとても仲が良かったのにすっかり疎遠になっている人もいます。SNSをやりがちな人と、そうでない人、発進はしないけどDMアプリとして使ってる人、いっさい使わない人、この辺りの違いも影響しそう。どのメディア、ツールを使うかに、コミュニケーションのあり方も一定程度依存する、ということ。SNS的な日常からこぼれ落ちた過去を味わうためのメディアとしての年賀状、といったところでしょうか。

どうもiPhoneの同期がうまくいきません。iPhoneに消したかった写真も残っています。同期する音楽も減らして、手動で写真も消して、再度同期。今度は成功しました。かなり、容量にも余裕ができました。

年賀状の送り先、過年の年賀状、写真の整理をしていると、この一年を振り返るだけでなく、これまでのことも振り返ることが出来てしまう。時間感覚というものが、不思議になります。小中、高校の知人。大学時代の知人。大学院以降の知人(ここがいまだに交流が深い)、鹿児島に来てからの知人。いまはまた、大学生の知人も多い。あの頃の僕らは、すっかり歳をとってしまったような、何も変わってないような。

年賀状の送り先の確認は、最終的には明日、直接聞かないとわからない人が何人か。お引っ越しをされているはずなのです。年賀状に使う画像データだけ完成させて、いまに至ります。

昨年は祖母が他界したので、年賀状を送っていません。喪中のお知らせを送りました。

人と生きるというのは、不思議なもので、1人ではしないようなことをするようになります。僕は、インスタは好きですが、自分の写真をとることには、あまり興味がありません。風景や街並みの方が好きです。今日のnoteのtop写真は、ある雨の酷い日に、ゆとりさんが撮ったもので、これをSNSにupしたので、母が祖母に見せ、それが、祖母が見た最後の僕の姿になったのでした。ゆとりさんの「upしなよ」はグッジョブだった。1人ではしてなかったし、撮れませんでした。

どうやら、noteを続けて12週になるようです。3ヶ月。後期が始まってあっという間ですね。ついこの前、日記の習慣を始めたと思っていたのに。。

かように、時間感覚とは曖昧なもの故、機械的にでも計画というものは立てておかないと、時は過ぎ去ってしまうのだなと思う、かんのなのであった。

管理したい時間と、自然に任せていたい時間。これらの調和を欲しています。

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